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どこかで だれかが きっと待っていてくれる

だれかが風の中で

歌:上條恒彦
作詞:和田夏十
作曲:小室等

けれどもどこかで
おまえは待っていてくれる
きっとおまえは
風の中で待っている


「どこかで だれかが
きっと待っていてくれる」
そう思って生きたが、すでに老いた。


15 件のコメント
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たしかに誰も待ってはないですね
今周りにいる人しかいない
伊勢爺い
伊勢爺いさん・投稿者
Gマスター
周りに誰もいない。

だからこそ、「どこかで だれかが
きっと待っていてくれる」と夢見る。
伊勢爺い
伊勢爺いさん・投稿者
Gマスター
小室等も上條恒彦も老いたな。
男はあっという間に老いる。
私が家に帰るとネコだけが迎えに出てきます。
そうかなあ
きっと誰かいる様な気がする
だれかが風の中で…
始めてフルコーラスを聴いたような気がします🤗
歌詞がいいですね🎶
ありがとうございます🤗
伊勢花神さんの書き込みには
「咳をしても一人」みたいな寂量感があります
何もできないのですけど放っては置けないような
スルーしてしまうときっと後で後悔することになると感じてしまいます
自分の事を投影してしまっているのかもしれませんが
あるWebページからの引用ですが、

商用・非商用を問わず、著作権のある歌詞をサイトに掲載するには、著作権者の許可が必要です。外国語の歌詞を日本語に翻訳したものも同様です。

この歌は著作権なしですか?そのあたり大丈夫ですか?
 どこにでも、だれかがいるけど、待っているわけじゃない。それは、おおいなる勘違いか、単なる妄想。
1972年1月にリリースされた曲ですね。
学生運動が沈静化した1971年は、歌の世界ではエポックメイキングな年でした。
1971年のレコード大賞関係で検索すると「また逢う日まで」「おふくろさん」「わたしの城下町」「よこはま・たそがれ」「知床旅情」「さいはて慕情」「傷だらけの人生」「さらば恋人」「17才」「燃える恋人」「雨の御堂筋」「恋人もいないのに」「雨がやんだら」「真夏の出来事」「花のメルヘン」「戦争を知らない子供たち」ですが、これ以外にも大きな動きがありました。

歴史的に見ると1971~1972年はフォークの世代が終わりをつげたことを示唆する出来事が多く、吉田拓郎の「結婚しようよ」、ガロの「学生街の喫茶店」など明確に学生運動が過去のものであることを物語っていますし、荒井由実がデビューしたのもこの頃でした。天地真理の大ヒットで、男が人前で大声を上げてアイドル歌手を声援する時代となりました。

東京教育大学が廃止され、その代わりとなる筑波大学が発足したのも1972年。後に同級生が筑波大学に進学して、大学に夫婦で住める住居があると笑っていたのを思い出します。

歌にも流行りみたいなものがあって、1969年の「風」は有名ですが歌詞の中に風やどこかで誰かがみたいな歌詞が含まれる曲は、当時沢山あったような気がします。
伊勢花神さん

中村敦夫主演のテレビドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌ですねえ(^^)/🐼

懐かしいです👋👏👋👏。

「あっしには関わりのないことでござんす」と言う言葉を覚えています。
退会済みメンバー
退会済みメンバーさん
ビギナー
お見事なオチで御座います。

なにかスッキリとした〆の言の葉で。
居るかもしれないし、居ないかもしれない。
宇宙人がいないと誰もが思っているのならSFは文学、映画など観る人も居なければ造る人など居ないよね~♪
これは希望の歌なのです。
これ以上は申し上げません。洞察するもしないも貴方次第です。
伊勢爺い
伊勢爺いさん・投稿者
Gマスター
> この歌は著作権なしですか?そのあたり大丈夫ですか?

一節なら良いでしょうが全文は駄目ですね。

季節の変わり目で体調不良だが
天の定めた寿命まで
ゆっくりと生きようと
やっと思えるようになった。

たまたま結婚できたが、
いま彼女も伴侶もいないのは、己が原因。
しゃあない。
伊勢爺い
伊勢爺いさん・投稿者
Gマスター
投稿から10日過ぎ、やっとコメントを読めるようになった。

皆さま、ありがとうございました。
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