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だれかが風の中で歌:上條恒彦作詞:和田夏十作曲:小室等けれどもどこかでおまえは待っていてくれるきっとおまえは風の中で待っている「どこかで だれかがきっと待っていてくれる」そう思って生きたが、すでに老いた。
メンバーがいません。
今周りにいる人しかいない
だからこそ、「どこかで だれかが
きっと待っていてくれる」と夢見る。
男はあっという間に老いる。
きっと誰かいる様な気がする
始めてフルコーラスを聴いたような気がします🤗
歌詞がいいですね🎶
ありがとうございます🤗
「咳をしても一人」みたいな寂量感があります
何もできないのですけど放っては置けないような
スルーしてしまうときっと後で後悔することになると感じてしまいます
自分の事を投影してしまっているのかもしれませんが
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この歌は著作権なしですか?そのあたり大丈夫ですか?
学生運動が沈静化した1971年は、歌の世界ではエポックメイキングな年でした。
1971年のレコード大賞関係で検索すると「また逢う日まで」「おふくろさん」「わたしの城下町」「よこはま・たそがれ」「知床旅情」「さいはて慕情」「傷だらけの人生」「さらば恋人」「17才」「燃える恋人」「雨の御堂筋」「恋人もいないのに」「雨がやんだら」「真夏の出来事」「花のメルヘン」「戦争を知らない子供たち」ですが、これ以外にも大きな動きがありました。
歴史的に見ると1971~1972年はフォークの世代が終わりをつげたことを示唆する出来事が多く、吉田拓郎の「結婚しようよ」、ガロの「学生街の喫茶店」など明確に学生運動が過去のものであることを物語っていますし、荒井由実がデビューしたのもこの頃でした。天地真理の大ヒットで、男が人前で大声を上げてアイドル歌手を声援する時代となりました。
東京教育大学が廃止され、その代わりとなる筑波大学が発足したのも1972年。後に同級生が筑波大学に進学して、大学に夫婦で住める住居があると笑っていたのを思い出します。
歌にも流行りみたいなものがあって、1969年の「風」は有名ですが歌詞の中に風やどこかで誰かがみたいな歌詞が含まれる曲は、当時沢山あったような気がします。
中村敦夫主演のテレビドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌ですねえ(^^)/🐼
懐かしいです👋👏👋👏。
「あっしには関わりのないことでござんす」と言う言葉を覚えています。
なにかスッキリとした〆の言の葉で。
宇宙人がいないと誰もが思っているのならSFは文学、映画など観る人も居なければ造る人など居ないよね~♪
これは希望の歌なのです。
これ以上は申し上げません。洞察するもしないも貴方次第です。
一節なら良いでしょうが全文は駄目ですね。
季節の変わり目で体調不良だが
天の定めた寿命まで
ゆっくりと生きようと
やっと思えるようになった。
たまたま結婚できたが、
いま彼女も伴侶もいないのは、己が原因。
しゃあない。
皆さま、ありがとうございました。