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しもしも~? ライターの村中です。今日は「NTTドコモ歴史展示スクエア」に来ています。東京都墨田区にある、懐かしい携帯電話がズラリと並ぶ博物館です。無線電信機が発明された1895年から現在まで、歴史の年表と照らし合わせながら”移動通信サービス”の発達を知ることができる施設で、なんと見学は無料!
館長の兼平泰之さんに、自動車電話やショルダーホン、ポケットベル、iモードなど移動通信端末の歴史について解説していただきました。
村中 この施設はいつ頃、どういう目的で作られたのですか?
兼平 オープンしたのは2004年6月です。「歴史展示スクエア」のあるNTTドコモ墨田ビルは、両国駅から徒歩5分程度の場所にあり、国内外からの観光客が多い地域です。その特性を生かして博物館を設置しようと考え、この施設をつくりました。
村中 無料で見学できるのはありがたいですね。
兼平 今、多くの人がスマートフォンを使っていますが、「こんなことができたらいいな」と未来を思い浮かべながら検証や開発を重ねてきたからこそ、実現できた環境だと考えています。
この歴史を、社内の備忘録で終わらせるのはもったいない。携帯電話を使っていた方には懐かしさを感じていただき、子どもたちには通信の歴史を学んでもらいながら体験してほしい。そんな思いから無料で公開しています。
村中 では早速、展示コーナーのご案内をお願いします。
兼平 今は当たり前のように移動しながら無線で通話ができますが、その始まりは船の電話でした。1953年8月に電電公社(現・NTTグループ)が開始した港湾電話サービスです。当時、固定電話は普及していましたが、船と陸とで電話する手段がなかったんです。そこで、船に無線機器と電話機を設置しました。
兼平 次が新幹線と自動車電話です。船と同様、乗り物につける「移動体通信」の初期ですね。当時はまだ無線機自体が大きかったので、人が持って歩くような代物ではありません。なので、乗り物につけたわけです。
兼平 自動車電話はすでに海外では存在していたのですが、ゾーンを組んでつなぐ方式(セルラー方式)は世界初でした。日本でのサービス開始は1979年12月です。
村中 「ゾーンを組んでつなぐ」とは?
兼平 例えば東京から大阪まで車で移動すると、通信エリアが変わりますよね。ゾーンを組んでエリアを切り替えながら通話できるシステムは、世界初だったんです。
村中 移動中に通信エリアが変わっても途切れず電話ができる、と。今となっては当たり前ですが、当時としては画期的なシステムだったんですね。自動車電話の通話料は、固定電話と同じだったんですか?
兼平 いえ、全く違いました。公衆電話が3分10円のところ、自動車電話は6.5秒で10円とか。今と比べて公衆電話が街のあちこちにあった時代なので、「自動車電話なんて普及するわけがない」と思われていたかもしれません。
兼平 その後に出たのが「ショルダーホン」(1985年)です。
村中 本体を肩にかつぐ形の電話ですね。
兼平 ショルダーホンまでは、自動車電話を意識しています。自動車に設置するのが基本で、いざとなったら取り外して持って歩けますよ、と。ただし3kgあるので、重いんですよね。下の弁当箱みたいなのが無線機+アンテナで、上が電話機です。
兼平 これが1987年に発売された日本初の携帯電話「802型」です。技術的な特徴としては、無線機と電話機とアンテナが一体になったことですね。
村中 自動車電話では3つのパーツに分かれていたものが、ここから1つにまとまった、と。
村中 あ、ポケットベルがありますね。
兼平 実は、ポケベルは1968年にサービスを開始しています。ただ当時は、文字通りベルを鳴らす機能だけでした。
村中 そんなに古くからあったんですね。
兼平 1991年に発売したのが、超小型携帯電話「ムーバ」です。重さが約230gと一気に軽くなり、サイズも小さくなりました。ちなみに、最初のムーバはNTTのマークがついています。「NTTドコモ」ができたのが1992年なので、それ以降はドコモのマークです。
兼平 ポケットベルも、この頃から小さく、薄くなっています。
村中 えっ、腕時計型のポケベルなんてのもあったんですね。知らなかった!
兼平 1993年にはネットワークをすべて入れ替えて、アナログからデジタル方式になりました。
村中 2G(第2世代)の始まりですね。
兼平 ムーバも「デジタルムーバ」になりました。ただ、当時のサービスエリアは主要な国道沿いや高速道路が中心で、まだまだ使えない地域が多かった時代です。携帯電話の普及率も1.7%でした。
この時代になると、若者がポケベルでメッセージをやり取りするようになります。ポケベルの商品開発は、私も携わっていました。
村中 へえ、館長がポケベルを作っていたんですね。
兼平 この「センティーA」は、私が名前や料金設定、仕様を作りました。ドコモはこのあたりから、若者向けの市場開拓を始めたんです。それまではビジネスユースがメインでしたから。
村中 ポケベルの打ち方って、独特でしたよね。
兼平 ちなみに89と打つとハートマークが出ますが、これは私が入れられるようにしたんです。
村中 恋人同士のやりとりなどで、ハートマークは重宝されたんでしょうね。
兼平 あとは定型文も考えました。
兼平 当時はビジネスユースの定型文しかなかったので、若者向けも考えよう、と。ちなみに、ポケベルがカタカナを表示できるようになったのは1994年です。それ以前は数字の羅列しか送受信できなかったのですが、若い人たちは数字だけでも語呂合わせで使いこなしていましたね。例えば、14106(あいしてる)、724106(何してる)、0833(おやすみ)のように。
村中 スパイの暗号みたいですね。
村中 ポケットボード(電子メール用の携帯端末)が1997年ですか。
兼平 ネットワークがデジタルになったので、電話だけではなくデータ通信を目指そう、と取り組み始めたのがこの時期です。PHSは1995年からサービス開始しました。
機能以外で大きく変わったのが、1994年の「端末お買い上げ制度」の導入です。それ以前は、すべてレンタルのみでのご提供だったんです。使いやすく、買いやすくなったことで一気に普及しました。
兼平 1997年にパケット通信サービス「DoPa」を開始しました。1999年に始まった「iモード」も、最初はデータ通信を普及させるためのサービスだったんです。携帯電話の番号が11桁になったのも1999年です。
村中 懐かしいですね。「♪携帯・PHS 11ケタ~うさぎの耳も11ケタ~」のCMをふと思い出しました。
兼平 カラーの液晶機種が出始めたのが2000年前後です。
兼平 2001年に「iアプリ」開始で、アプリを入れられるようになりました。FOMAサービスも2001年開始で、テレビ電話が可能になりました。
村中 FOMAからが3G(第3世代)なんですね。何が変わったんでしょうか?
兼平 さらに高速データ通信ができるネットワークに入れ替えました。当時は「ワイドバンドCDMA」と言われていましたね。
兼平 2002年にカメラ付き携帯電話が誕生、2004年には「おサイフケータイ」の提供を開始しました。
村中 さっき腕時計型のポケベルがありましたが、PHSにも腕時計型があったんですね。
兼平 ワンセグ対応機種の発売が2006年。携帯でテレビも見られるようになりました。2009年の携帯電話普及率は84.5%です。
村中 ついに、今のスマホに近いものが出てきましたね。
兼平 ここまでは「データ通信もできる電話機」でしたが、スマホになると「電話機能のついたデータ通信機」と主従関係が入れ替わりました。
兼平 こちらは、携帯電話(アナログ・ムーバN)とスマートフォンの中身の違いを比較できるコーナーです。携帯電話のほうは電子回路がごちゃごちゃしていますが、スマホは比較的スッキリしています。1つのICチップにいろんな機能を詰め込めるようになったので。
村中 長い時間をかけて技術が進化し、いろんな機能が追加されて今のスマホにたどり着いたことがよく分かりました。
兼平 こちらは、日本初の携帯電話やショルダーホンを実際に触ることができるコーナーです。
兼平 最初のショルダーホンは約2.5kgで、現在のスマホは約140gなので、重量差は約2.4kgです。ショルダーホンは、もともと車に搭載することを想定しているので、衝突しても受話器が外れないようにガチっと止まっています。
兼平 ここはiモード時代の端末に触れることができるコーナーです。ネットワークに接続されていないため送受信はできませんが、着メロや写真撮影は試せますよ。
村中 当時は外側にしかカメラがなかったから、こうやって自撮りするしかないですね。
兼平 カメラのシャッター音は、盗撮防止のため大きくしています。携帯電話は便利なものですが、悪いことにも使えてしまう。当時は「携帯電話に対する世間のイメージを落とさないように」というのが最重要事項でしたね。マナーモードもその一環で、他のキャリアにも入れてもらおうと動いていました。
館長によると、来訪者は20代から60代以上のシニアまで幅広く、「懐かしい」「自分が生まれる前の電話を初めて見ました」などの声をよく聞くそうです。また、小学校や中学校の社会科見学でも利用されているとのこと。確かに、子どもから大人まで幅広い世代で楽しめる展示内容だなと感じました。
ショルダーホンやiモード時代の携帯電話に触れるコーナーもあり、誰でも無料で楽しめる「NTTドコモ歴史展示スクエア」。もしかすると、あなたが愛用していた懐かしいポケベルや携帯電話が展示されているかもしれませんよ。
取材協力・画像提供:NTTドコモ 歴史展示スクエア
編集:ノオト
なかったし
高すぎた
ショルダーフォンと言う呼び名を初めて知りました。ありがとうございます。
誰も存在を知らなくて、周りから奇異の目か羨望の目か知らないが、大注目された。
今は週一の外出以外、偶のSMS認証以外、iPhone×2もPixelも電源オフにして使わない。
今の携帯📱のはしりだったのですね。
懐かしく思います。

しもしも~? かと思ったらしもしも~? だった
当時、現物は見ましたが、触った事はありません
確か価格が、10万円以上だったと思います
しがないサラリーマンには手が出せませんでしたね
懐かしいです〜😆
でもそれが今の若い人達には珍しく、博物館でしか見れないって、年齢を感じます(^^;)

ポケベルA型は家族が使っていました。電話をすると呼び出しのアナウンスが流れていました。ポケベルが無い頃は外出中は連絡が取れないので定期的に電話を掛けていたみたいです。初期のショルダーフォンは電話工事後の連絡に使っていたと聞いた事がありました。新幹線電話もデッキの化粧室の横に数台設置されていましたね😀ショルダーフォンは☎マニアの知人が欲しそうにしていました🤤
90年代頃にはモック携帯がハードオフなどで販売されていましたが、知人はニコニコ\(^o^)/顔でたくさん買っていました😁
無茶苦茶興味のあるネタです!
ゆっくり読ませていただきます!
ありがとうございます!
昔々にありましたね.....
今のスマホ
50年後どうなっているでしょうか?
テレビドラマなどで、大手企業の重役さんが社用車に乗っている場面で小道具として登場したのを見ていたような・・・(^^ゞ

デジものは、レトロになっても愛着はわきません(私見)。建ってから百年の門司港の電話局も無料の博物館になっていました。交換機の動作も見ることができます。画像は電話ボックスのミニチュア。下段右のものは使ったことがあるかも。左はドクターフーのダーディスに似ている。ポケベルも 音だけ時代から 使いましたな
オトナの社会科見学が好きなので、今度行ってみます!
その前は車の移動電話とかベンツにアンテナ立ってたね〜。
お陰で発達史が、よく分かりました。
有難う御座居ます。
移動体通信と云えば、初体験は神戸港で、船舶電話ですね。
懐かしいです。
取材、お疲れ様でした。
楽しい記事、ありがとうございました。
ショルダーホンはトレンディドラマか、平野ノラのネタでしか見たことがありません笑
大変興味深い内容でした。
自分も外見は日々衰えても中身を軽量化して成長を続けたいですね。。
ガラケー現役だよん〜
楽しく興味深い記事でした。マイネ王内のノラよりサンQノラ🐱🤙
ショルダーホンの本物😆
当時はバックのように持たれてたのですね❗
昔の携帯は電話の替わりでしたが、現在の携帯はInternetやカメラ等の機能が付加され使いやすくなった。
自動車電話一体型とかもあったよね
阪神・淡路大震災の直後に、公務で自衛隊と協力して、倒壊家屋の解体業務に従事していました。
自衛隊員は、大きな無線機を使って、連絡をしていました。
私は、この携帯電話で災害対策本部や警察などと現場からタイムリーに電話していました。
不眠不休で、死ぬ思いで仕事をしていましたが、今はとても懐かしい思い出です。
当時は公衆電話があるのに何してるんだろうって思ってましたが、今では公衆電話減っちゃいましたね。
NHKなら、研究中の放送技術を見せてくれるのに、NTTは見せてくれないの?
ケチだなー
6G とか、量子暗号通信とか、あるでしょー?
過去より未来を観ていたほうが、心が踊るのになぁ
ʅ( ՞ਊ՞)ʃ
( 'ω' و(و"♪
( 'ω' و(و"♪
( 'ω' و(و"♪
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((o(。・ω・。`)o))
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し―-J ♪
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し―-J”