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【読み物】ほんとうの空⑤ 空へ

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この物語はフィクションです。実在の人物や団体、法令・法規などとは一切関係ありません。
また、作中に事故の描写等があります。苦手な方は閲覧をお控えください。

六話完結の第五話です。
第一話はこちら
https://king.mineo.jp/reports/244010
第二話はこちら
https://king.mineo.jp/reports/247685
第三話はこちら
https://king.mineo.jp/reports/247687
第四話はこちら
https://king.mineo.jp/reports/248079

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「ふんふん、ふるさと納税体験搭乗のお客さまかぁ」
部長が搭乗券を興味深げに眺め回しながら、手元のPCに必要な情報を入力している。
「保険契約の絡みで、氏名と住所が必要……あ、……えええぇ!」
若干動揺している部長に保険関係の書類を手渡しながら、あたしは部長の顔を覗き込んだ。
「芹香(セリカ)ちゃん、距離が近い。まさかキミ、何が何でも彼を空へ……」
『あたしじゃなくてお母さまの意思、です。今のところ本人も同意していますから』
その時、遠慮がちなノックの音とともにツバサが静かにドアを開けて部室に入ってきた。
「失礼しま~す。あの、俺…じゃないや僕はふるさと納税返礼品の体験搭乗でお世話になります景浦と申します。どうぞ宜しくお願いします」
「あ、ああ。こちらこそ宜しくお願いします。まあそんなに堅くならなくてもいいから……我々航空部は空に興味を持ってくれた方々を対象に、県民だけじゃなく全国から体験搭乗者を募集しているんだ。来てくれてありがとう」
そう言って挨拶する部長のほうがカチンコチンだ。どうして部長はツバサの名前を見てあんなに動揺したんだろう。ひょっとして、部長はツバサのお父さまのことを……?まあいい。今それを言ったって話がややこしくなるだけだから、当初の目論見通り『幼馴染みで同回生の友人がちょっと空に興味を持ったから』で話を続けよう。
「約款に書いてある内容を一通り読んでもらって…内容を正しく理解できたらここに署名を…あ、あとフライト当日に体調とかをチェックするから、その時に何か問題があれば体験搭乗はいったんキャンセル扱いになる。最後に、グライダーは悪天候だと飛べないから『雨天中止』っていう要素があることをご理解ください」
いちいち言われなくてもわかっているんだろうけど、ツバサは一言も聞き逃すまいといった感じで部長の話を熱心に聞いていた。

「で、さあ」
ツバサが面倒臭そうにあたしのほうを振り向く。
『お母さまがお膳立てしたこのフライト、ツバサは本当にこれでいいの?』
「言い出したら人の話なんか全く聞かない母さんのことだから、やるとかやらないで煮え切らない態度でいたらゼッタイに納得するはずがない。まあ、『どうしても飛びたくない、飛べない』って感じでもないから…ここは母さんの顔を立てて飛んでみることにする。その後のことは俺が決めればいいことだし」
どうでもいいことのようにしれっと答えるツバサ。でも、その言葉の中に『決心、覚悟』みたいな感情が一瞬見えたような気がした。
ツバサ、あんまり無理しなくてもいいんだよ……
あたしはその一言を言い出せないまま、遂に週末のフライト日を迎えた。

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フライト当日。

複座(操縦席が縦に並んだ二人乗り)グライダーの前席にぼくが、後席に部長が乗り込む。前席に体験搭乗者を乗せるのはお約束、らしい。
ぼく達をコックピットに乗せながら、機体点検等の発航準備が粛々と進められる。
「緊急時の手順は頭に入った?」
部長が後席から声をかける。
『大丈夫です』
いつも親父が風呂で実演していたから嫌でも憶えている。後席から部長がぼくの肩をぽんと叩いた。
「発航準備は整っているから、心の準備が出来たら声をかけて」
『ぼくは準備OKです。いつでも上げて下さい!』
部長の発航合図で、巻上機(ウインチ)がもの凄い勢いでグライダーに繋がれた索(ワイヤー)を引っ張ると、凧揚げの要領でグライダーが持ち上がる。

「上がるよ!」

機体がどんな感じで上がっていくのかは親父が飛んでいるのを何度か見ていたから知っていた。でもぼくはその『上がっていく』感覚を知らない。あっという間に機体がぐいっと上がる感覚が全身に伝わる。
『おぉっ!』
ぼくは思わず声を上げた。
想像以上の縦Gが身長を縮めるんじゃないかと思うくらいぼくの身体にかかる。そのGに慣れそうになった頃、ぼくの足下で機械的な音が聞こえた。親父がいつも言っていた、索を切り離した音だ。その瞬間、ジェットコースターがコースの頂上から投げ出されるようなふわっと浮き上がる感触を得た。
「離脱!」
機体を引っ張り上げてくれた巻上機を担当する人から無線が入る。ぼくはゆるりと旋回する機上から空を見渡した。目の前にある計器以外、前も右も左も上もどこを見渡しても空、空、空。

「ふうっ」
部長が一呼吸。
「どう、景浦くん?初めての空は」
親父は公私問わず空を飛び回っていたけれど、ぼくが空を飛ぶのはこれが初めて。ぼくは何も言わず、ただ機体が上昇するのを計器で確認していた。
『こんな簡単に、一気に上がるもんなんですね…』
思わず呟いたぼくに部長が苦笑いする。
「簡単、じゃないんだけど……まあいいや。でも、これで終わりだと思わないで。今日はいい感じで上昇気流が出てるから、上手くいけばまだまだ上がれるかも……で、どうする?体験飛行レベルで止めとく?それとも、このまま上がれるところまで行っちゃう?」
『上がれるところまで上げて下さいっ!ぼくは大丈夫です!』
そんなやり取りをしていたその瞬間、機体がふわっと持ち上がる感覚をぼくは察知した。
「来たっ」
ぼくが呟くのとほぼ同時に、部長が嬉しそうに叫ぶ。高度計の針がぐんぐん振れていく。
『ひょっとして……乗りました?』
「乗った!武士に二言はないよね……よっしゃぁ、行っくぞぉ!」

上がれるだけ上がった後、ぼく達はキャノピー越しに空を見渡した。
丁度日が傾き始める時間帯で、空がほんの少しずつ赤く染まっていく。部長にとっては見慣れた光景かも知れないけど、ぼくにとっては初めての体験。
『凄ぇ……』
親父が亡くなって以後、一切の感情を捨てて生きてきたぼくの心からそれ以上の言葉は出て来なかった。親父がいつも見ていた景色、それがこの空なんだ!
『親父が言ってた『ほんとうの空』ってこういうことだったんだ……今までこんな綺麗な空を見たことないし、今までただ見上げてきただけの空…そんなつまらないものじゃなくて、もっと凄い空があったんだ……』
ぼくが思わず発した言葉はゼッタイに部長に聞こえていたと思うんだけど、部長は何も言わず、ゆるゆると『ほんとうの空』を飛び続ける。

空はいつまでも穏やかな表情で何も言わず、部長とぼくが飛ぶ機体を優しく包んでくれた。

「これだけの高度を取れたんなら、今シーズン……ていうかここ数年でも最高レベルの記録になるんじゃないかなぁ」
嬉しそうに呟く部長の声をかき消すように無線機から歌が聞こえる。
この調子っ外れ、ていうか音痴な歌声は芹香に違いない。どれ程昔の歌かはぼくも知らないけれど『懐かしのメロディをいま』みたいな番組で何度も聞いたことがある。歌い手さんが紅白歌合戦に出場したこともある位有名な歌。確か、松村和子の『帰ってこいよ』だ。
「滞空時間が長いと、みんな羨ましいのと嫉ましいのとでこの歌を大声で歌うんだ。僕も歌われたことがあるし、嫌になるくらい歌ったことがある。フライト情報のやり取りがあるから、無線を私用に使っちゃいけないって言ってるのに……いつもこうして『さっさと帰って来い』ってやられるんだ」
部長が笑いながらぼくに説明してくれる。
無線から流れる絶叫に近い歌声を聞きながら、ぼくと部長はいつまでも笑い転げていた。
「しかし、芹香ちゃんの歌声はいつ聞いてもユニークだねぇ」
『ユニークっていうか、あいつは幼稚園の頃から音痴で有名でしたから……民謡でも演歌でもポップスでも、あいつが歌うとどんな曲もパンクロックになるって高校の頃みんなで言ってたくらいですよ』
部長の笑いが止まらない。
「彼女がこれだけ熱唱するっていうことは、それだけビッグフライトなんだってことだ。さあ、まだまだ滞空時間を延ばすよっ」

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次回、いよいよ最終章!


30 件のコメント
1 - 30 / 30
ついに飛びましたね、飛翔くん😉
でも何故ツバサくんってカタカナになったんだろう?
何か仕掛けでもあるのかしら?🤔

>> なかっぴ さん

芹香ちゃんの語りの部分が多かったから「ツバサ」になってたんじゃないでしょうか😄
桃🍑さんに聞いてみよう😁

>> なかっぴ さん

幼馴染み(芹香)がガキの頃から呼んでるから😱
飛翔くんの一人称も、子どもの頃から始まっているから『ぼく』ですよ😃
ツバサの人生の大半を占めていた負の時間が、倍速で巻き戻して飛んでますね。

うんうん。

地上の星が楽しみだ。

>> ob2@☀日々是好日🥵 さん

ジャンル違いですが、こんなヤツも😰😰😰

>> たけJ@🍀Happy🐇 さん

お見込みの通りです😃
幼馴染み目線!

>> ポンコツ河嶋桃 さん

ごめん、こっちだど空じゃなくてリングを飛んでるイメージが…😰😰

>> はれお君 さん

目を背けていた現実を目の前に突きつけられた飛翔くん、これから何を考えて何を為すのか🤔

最終章まで、いま暫くお待ちを😁
意固地になてましたが、登ってみればこんなものとニヤリとしているお母様の暗い笑みが見えるようです。

これでダメでしたら強制バンジーやウイングスーツの二の矢三の矢、お母様には勝てないわぇ~
最終章では、4話でつい”トンビが飛んでる空を見ちゃってた”あたりがほじくり返されるのでしょうか…( ̄ー ̄)ニヤリ
セリカちゃんとセリカちゃんのお父さんとのやりとり(ツバサくんの家におにぎりを差入れするくだりとか)や、セリカちゃんがツバサくんのお母さんに勉強を教えてもらっているときのエピソードなんかがあったらもっと楽しいかなぁ..........などとド素人は考えました😅

>> ポンコツ河嶋桃 さん

ジャンル違いですが、こんなのも。
空を舞うゆったり感はあるかしら?
ほんとうの空 の部分にグッときました。
最終回楽しみです! 
(桃さんの作品、どっかに出さないともったいない~~~)

>> ob2@☀日々是好日🥵 さん

ミル・マスカラスとミルフィーユのミルは同じ意味😰😰

>> ポンコツ河嶋桃 さん

🌤️おはようございます☁️

>ミル・マスカラスとミルフィーユ

?¿?¿マスカラを1000回・重ね塗り👻
ヤメといたほうが良いと思うけど・・
🎼Fly high~🎶

>> 杏鹿@………………………… さん

バンジーは落ちるほうではないかと😰😰

>> りんごのひとりごと@ぐ〜たら居士 さん

予め尺(なかなか文字数)を決めてたから、敢えて入れなかったの😵

>> まきぴ~ さん

>>ほんとうの空

思いついたのは、飛翔くんのお父さんじゃなくてポエマー河嶋Death😰

>> Yz925@CicottoGPT さん

生地729段重ねの本格派ミルフィーユを食べたことがあるけど、甘いもの苦手だから値打ちがわからなかったの😭😭

>> ポンコツ河嶋桃 さん

>生地729段重ね

何で奇数なの??
2×2×2×2×・・・どっかで破壊工作したの??
数学やりたくないので、このへんで追求終了👻
フワッと浮き上がる感触のくだり…
これは空を飛んだ奴にしか書けん文のような、そんな気がしました。

>> おれんぢ式部@🪳バル㌠🪳 さん

是非体験していただきたいです😃😃

>> Yz925@CicottoGPT さん

729=3^6
3×3×3×3×3×3
2つ折ではなくて、3つ折りにするのでは???

>>桃chan❣️
読ましてもらっているょ👍
…深夜だけれど。

桃chanがやたら体験してと薦めてきたのは
今回の話の準備中だったのね❣️
ヘリコプターで飛んだ事がある話はしたが
八尾からなら、小型飛行機で何回か飛んだょ👍
(もちろん操縦はしていない)
桃chanが飛んだ時の話、いつか聞けるかもね❣️❣️
桃chanから答が出ていましたね❣️
マイそくなので、遅れて送りました💦💦

>> イリアスA さん

3の乗数・・
Z字に折るのかな?
並みの?料理人では、やりません!!

>> Yz925@CicottoGPT さん

(↑折り込みパイ生地の作り方…バターフィユテ)
これは3×3×3×4×4のようです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Z…そうだ💦「Z」もありますね👍
私は「6」を想像していました。
Yz925サンといえば、世界を渡り歩く料理人だったぁ💦
たくさん飛んでいらっしゃいそうです❣️❣️❣️

>> イリアスA さん

>これは3×3×3×4×4のようです。

あはは~練りパイ専門でやってましたので・・・
折りパイは、薪窯があるキッチンでは温度的にムズカシイ!!!
肉体的に耐熱と汗かきに自信は有りました。💦
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