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AMラジオが2028年で終了? 思い出のAMラジオ関東5局の送信所を巡ってみた
ローカルネタ・ガジェット・卓球が好きなライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。
実はAMラジオは2028年秋に原則終了する方向で進んでおり、FMラジオへの転換がなされる予定です。
2023年の秋以降、一部の局・地域から順次試験的な停波が始まるとみられ、2028年以降も一部で利用が続けられる見通しですが、一つの時代が終わります。
AMラジオで育った僕らとしてはさみしくもあります。筆者はかつてハガキ職人でもあり、大切なものが時代とともに消えてしまうようで。
そこで……思い出作りに、関東一円に放送電波を発しているAMラジオ5局(NHK、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本)の送信所に行き、その姿を目に焼き付けてきました。
なお敷地に決して入ることなく、より臨場感のある写真を撮影するため、望遠できるズームレンズを相棒に出かけました。
日本一高いアンテナを誇るNHKラジオ送信所へ
1920年にアメリカのピッツバーグで始まった、一番古いメディアとも言われる、AMラジオの送信所を巡る旅。
まず向かうのは、NHKラジオの送信所です。1925年に東京放送局としてラジオ放送をスタートした、いわば日本のラジオ局の元祖。
筆者も20歳を過ぎてからNHKが好きになりました。今では「ラジオ深夜便」「ごごカフェ」「ニュース番組」などを聞き、「ちょっと落ち着きたいときの相棒」のような存在です。
そこで埼玉県北東部の人口15万都市、久喜市にやってきました。
駅前では、ちょうど久喜提燈祭りが開催中でした。しかしそんな賑わいとはまるでかけ離れたAMラジオの電波送信所まで行くのが今日の目的です。
バスの時間が微妙に合わなかったため、レンタサイクルの3段変速の買い物自転車(600円)で向かいます。
しかしこの日の埼玉は非常に暑く、最高気温37~38度にも達しており、「やっぱりバスで行けばよかった」と後悔しつつの行脚となりました。
汗を噴き出しながら進むと……何やら、右側に見えてきました。
そう、NHKラジオのアンテナです。まだまだ距離があるはずなのに、さすが200m級の巨大アンテナです。
さらに歩を進めるたびに、どんどんその姿が大きくなります。
これだけアンテナに近づいているので、ラジオも申し分のない受信強度です。NHKラジオ第一で流れていた昭和ムード歌謡も、第二のまいにちドイツ語初級編もはっきり聞こえます。
そして、ついにその目の前までやってきました。
天を衝く大きさでそびえ立つ、ラジオの第1放送所。アンテナの高さはAMラジオ用として日本一の245mです。出力は300kW。
さらに、こちらはラジオ第2を送信する設備で、高さは215m、さらに出力は500kWと、日本のAMラジオの中でも最大となっています。
なぜラジオ第2のほうが500kWと強い出力なのかというと、県別・ブロック別放送を行う第1と、全国一律の放送を流す第2の違いが反映されているのだとか。
この高出力のために、宮城や愛知の一部もカバーし、全国総世帯の約4割に相当する、約2000万世帯にも渡るエリアの広さを誇ります。
それにしても、その周りにも広大な土地が広がっています。
実は放送設備電波を効率よく放射するため、広い敷地全面に銅線を放射状に埋設しているのだとか。「ラジアルアース」と呼ばれています。
なお、NHKラジオ送信所の敷地面積は、約9万5000坪にもなるそうです。
たくさんの太陽光発電システムが見えますが、日中に必要な電力をすべてこれで供給しているようです(朝日新聞2011年6月3日より)。
なおNHKは2026年度からAM波「ラジオ第一」「ラジオ第二」を1つに整理・削減する方針を明らかにしており、もうすぐ1つの時代が終わります。
この日の外は、37度の灼熱地獄。熱中症が頻発しているのか、救急車がひっきりなしに走り去る外を見ながら、筆者もカルピスウォーターで一休みすることにしました。
壮絶な過去をもつ文化放送の送信所
続いては文化放送です。筆者が音楽メガヒット時代の1990年代によく聞いていたのは、「FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50」。声優・國府田マリ子さんの「Come on FUNKY Lips!」にも欠かさずチューニングを合わせていました。
そんな文化放送の送信所がある川口送信所へ。東武伊勢崎線で草加駅まで来て、そこからバスで向かいました。
ちなみに今回は「バス」が多く登場します。それだけ、駅からちょっと離れた立地の送信所が多いのです。
バス停を降りて歩くと、ほどなくして見えてきました。
入り口までやってきました。しかし、門は固く閉じられており、入ることはできません。が、ここまで来られた時点で何だか感慨深いもの。
無線局を識別する符号の「コールサイン」から送信出力(100kW)、高さ(136.69m)、位置の緯度と経度まで事細かに書かれています。
そしてやはり「危ないから入らないでください」との注意書きがありました。
花見の構内開放終了……などと書かれていますが、実は1年に1回、川口桜まつりのときだけこの敷地内が開放されています。
が、新型コロナウイルスのために祭りの中止が続いているために、久しく開放されていないようです。ラジオファンのためにも来年の桜まつり開催が今から待たれます。
少し敷地の周りを歩いてみましょう。JOQR 1134kHzと書かれた建物があります。桜まつりでの開放時にはこの間近まで行けるとか。
ちょっと怖いドクロマークの「キケン 高圧電波発射」との注意書きもあります。くれぐれも入らないように。
なお、文化放送の川口送信所ですが、もともとはNHKの送信所でした。
実は戦時中、ここに都心の空襲を避けるための仮の放送局が設けられます。それは「隠ぺい放送局」とも呼ばれ、アメリカからのプロパガンダ放送を聴かせないように、妨害放送をする目的で設置されました。
その隠ぺい放送局は敷地内の地下から2001年に発掘されるも、また長い眠りについています。
それを克明に描いた文化放送の番組、「封印された真実~軍属ラジオ」は、第58回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞を受賞しました。
そんな歴史も眠る文化放送の送信所。もし興味のある方は、来年の川口桜まつりの際にでも足を運んでみてください。
「天下のTBSラジオ」の送信所へ
続いてはTBSラジオです。思えばこの20年間のラジオ界は、聴取率1位を続けるTBSラジオの天下でした。昼の帯番組、サブカル系からや芸人の深夜ラジオまで、練られたトーク中心のプログラムが人気を誘い、ラジオ界の王様と言った風格まで漂わせていました。
近年はやや他局の追随を受けていますが、筆者としても「たまむすび」「キラキラ」「山里亮太の不毛な議論」など、数々の番組で楽しんだ記憶がよみがえります。
文化放送の送信所を後にし、バスでJR川口駅まで行き、さらにバスで戸田公園駅の先まで行きます。
そして、日が傾く中で歩を進めていた際に、それは現れました。
そう、TBSラジオ戸田送信所のアンテナです。高さは約150mで、文化放送と同じ100kWの高出力を誇ります。
正面玄関に来ました。「TBS 戸田送信所」の看板がりりしい。
2018年12月8日に、使う電力が100%再生エネルギーになった際には、「ナイツのちゃきちゃき大放送」内でこのアンテナを見ながら、外で公開生放送を行ったそうです。
ほかのAMラジオの送信所は、ちょっと田舎の立地が多いですが、TBS戸田送信所はその中でも「街の中に突然ある」と、唐突感のある送信所でした。
日が暮れていきます。これからラジオ界はどうなっていくのでしょうか。埼玉名物・山田うどんでも食べながら考えることにしましょう。
本来は1日でAMラジオ5局の送信所を巡るはずだったのですが、とても無理だとわかり、2日目のスタート。最寄りの東急電鉄・武蔵小杉駅に降り立ちます。
向かったのは、AMラジオ関東5局の中でもちょっとミステリアスな存在のラジオ日本の送信所です。
筆者が住んでいた千葉県松戸市からは、ほかの4局より受信しにくいラジオ局で、どうしても雑音が入ってしまうため、あまり聞く機会はありませんでした。が、どうしても聴取したい番組はループアンテナを外に出して何とか聞いたのを思い出します。
ここからバスで多摩川沿いまで行きます。
そして土手沿いに出ると、もうアンテナが姿を現わしました。土手沿いでさえぎるものがなく、そこを目指して歩いて行くのもまた一興です。
ラジオ日本は神奈川県をエリアとする県域局で、出力はほかの民放局の半分となる50kW。この川崎幸送信所から南西に向けて、一定方向に通信距離を伸ばせる「指向性アンテナ」で送信しています。そのため、神奈川以外でも山梨県東部や静岡県の伊豆半島では比較的良好に受信できるそう(ラジオライフ2020年7月号より)。
その反面、東京や千葉などではやや受信しにくくなり、神奈川県民以外にとってはやや地味な存在になるのもうなずけます。
その傍らには、アール・エフ・ラジオ日本川崎幸放送局がありました。
なお1960年代半ばからは実質的な本社機能は東京・麻布台にあると言われ、この社屋も心なしか現役感が少ない気がしますが、歴史を感じる佇まいです。
なお、その隣には川崎競馬場の練習馬場と、厩舎があります。
猛暑に耐えながらも、河川敷の送信所ならではの牧歌的な雰囲気を感じられました。
最後に向かうのは、千葉県木更津市にあるニッポン放送の送信所です。
ニッポン放送は、筆者が最もよく聞いたラジオ局。母親が好きだった「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」を毎日聞いていましたし、22時台の帯番組「ヤンピース」にはたくさんのネタメールを送りつけていました。
その他にも「オールナイトニッポン」「裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30」「知ってる?24時。」など、思い出は尽きません。
川崎からバスと電車を乗り継ぎ、さらに高速バスで東京湾アクアラインを越えます。
さらに木更津からローカル線のJR久留里線に乗り、最寄りの無人駅・東清川駅で下車しました。
正直に言うと、最も「田舎だな」と感じたのがこのニッポン放送木更津送信所です。何だかピクニック気分。
さえぎるものがないために、もうアンテナが見えてきました。
ちなみにAM送信所は多くの送信所が海や川沿いにあるため、津波などの災害リスクが大きく、AM各社がすでにFM補完放送をはじめている理由の一つでもあるのだとか。
「木更津送信所」の表示がまぶしく見えます。FM93というのは、「ワイドFM FM補完放送」の周波数です。
ちなみに木更津にあるおかげで、地震で陸路が寸断された場合でも、釣り船さえ用意してあれば東京湾を横断して技術者を塔まで派遣できるというメリットもあるそう(日経産業新聞2006年4月5日より)。
そして、周りの金網にやたらいるのがこのタヌキです。警告看板なわけですが、ちょっと脱力感のある姿でほのぼのとします。
なお木更津送信所は関東の南にあるため、ニッポン放送が強いのは神奈川や千葉あたりの南関東。逆に北関東に強いのはTBSラジオや文化放送のようです(エレクトロニクスライフ1992年6月号)。
ちなみにここ、1991年に直径10mほどのミステリーサークルが発見された場所でもあり、大槻義彦早大理工学部教授を団長とする日米英3カ国合同調査団が調べたこともありました。
大槻教授は当時「プラズマ現象で作られたもの」と結論づけましたが、真相は謎です。なお、絶対に敷地内には入らないように。
こちらにも広大な敷地を利用したメガソーラーがあり、一般家庭の約700世帯分の電力を発電するのだとか。NHKの施設を見学に行くなどして作り上げたそうです。
最後に行ったのが、最も思い入れのあるニッポン放送でよかった。そんなことを思いながら、また田園風景を歩いて帰宅しました。
◇
あまり注目されず、ひそかに電波を送り続けるAMラジオ送信所。AMラジオの試験的な一時停波が順次始まる直前に回れて、充実感がありました。
ちなみにAMラジオをよりクリアに受信するには、それぞれの送信所の方角に窓からラジオを向けるといいそうです。参考にしてください。
僕たちの生活を着実に彩ってくれた、AMラジオ。個人的にはradikoで聞くことが多くなりましたが、久しぶりに電波を受信して聞いてみようと思います。「ここから送信されているんだ」と感じながら。
編集:ノオト
【2024年2月29日】
記事中に誤った記載があったため、該当部分を削除しました。
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今の家(夫の実家)は山に囲まれていてFMがまったく入らないのでAM一択なのですが、地元局も何年か前からワイドFM対応になったのでAMはやめるのでしょうね。残念。
お風呂にラジオを持って入っても聞けなくなるのかー。スマホのradikoを飛ばせるように防水のBluetoothスピーカー買おうかな。
災害用受信機(手回し式)の具合を確かめるために時々聴いてます。ネット配信ではなく、時報が鳴る放送で、停波まではこれからも受信しようと思います。
私は都区部在住ですが、南北にむけて受信機を置くと大体よく聞こえるのは、送信所の位置のおかげだったんですね。
歴史も知れて勉強になりました。
猛暑の中お疲れさまでした!カルピスおいしそう。
AMではないですが最近聞いているのはOne morning、リリーフランキーのスナックラジオです🥺
スナックラジオはおもしろいです🥺
北海道は広大なエリアをカバーしなければならずFM波との相性がよくないんですよね。
北海道のAM派は山間部で聞けるのでありがたいです。
radikoはデータ通信エリアでなければならず
人が住んでいない山間部はデータ通信が行き届いていません。
JR北海道の路線でいうと、石北本線の常紋峠付近や
石勝線の新得~新夕張はデータ通信がほぼできないので
radikoでは難しいんですよね。
ちなみに、電波が届かない区間に差し掛かると、私はスマホを機内モードにします。
そうしないと、電池が早くなくなってしまうので・・・。
石勝線の区間は通過まで1時間ほどかかるので、ちょっとした飛行機に乗った感じです。
暑い中での苦労が伝わってきます。お疲れ様でした
関東だとピンと来ないので慣れ親しんだ関西の方の記事もお待ちしてます
お疲れさまでした
昔、住んでいたところの近くにCBCラジオの送信所があり、電話にラジオの音声が混じる(対策してもらいました)程の強力な電波が出ていました。
電池を使わないゲルマラジオでも、スピーカーがガンガン鳴らせました(その代わり他のラジオ局は入りませんw)。
そのうちに送信所周辺に高層マンションが立ち始め、送信所は三重県長島町に引っ越してしまいスピーカーは鳴らなくなりました。
ネットで拝聴すればクリアに聞けますが、ノイズ混じりの中で聞くのも好きです。アンテナの整備、老朽化で維持が大変だと思いますが、将来的にAMラジオのダイヤルをまわしても国内の放送が受信(無音)出来なくなるのはとても残念で寂しいです🥲
偶には、昔を思う事も人には必要かもね?
知らんやった
AMラジオは場所を選ばないから
えがったのになぁー
残念
偶には、昔を思う事も人には必要かもね?
完全には終わらないみたいですね
NHK 1局は防災上残るみたいで
民放でも3局はまだ表明がないようです(北海道の2局と秋田県の1局)
>> よっちおじさん さん
残りキー局を含め44局は2028年秋をめどにFM局になるようです>> えでぃ さん
>CBCラジオは1951年に開局した日本初の民間ラジオ局ですなので、中部日本放送はJOARですね。
このスタッフブログせっかく秀逸なんですが、コールサインや周波数が無くてちょとそこだけ残念。
JOAK NHK第一 594kHz
JOAB NHK第二 693kHz
JOKR TBSラジオ 954kHz
JOQR 文化放送 1134kHz
JOLF ニッポン放送 1242kHz
JORF ラジオ日本 1422kHz
私の方で補完しておきます。
オールナイトニッポンと言えば中島みゆき。
受験勉強しながらよく聞いた。
リスナーからのハガキで、「顔を思いっきり洗った時に、勢い余って両小指が鼻の穴に入ってしまい、鼻血を出した。」という話で、深夜にひとり爆笑したのをなぜか覚えている(笑)
あと、マリ姉大好き。
もしかしてニッ「ポン」と関係あるんですかね
パソコンでラジコ聞くようになったもんなぁ
番組が無くなるのでは無ければ、問題ないかあ。
それはAFN TOKYO(在日米軍の横田基地から放送されているラジオ)です。
810kHzなので、日本式の9kHzステップのラジオ機でも米国式10kHzステップのラジオ機でも聴ける唯一の放送です。
AFN TOKYOは出力50kWとデカいので割とどこでも聴けるイメージです。
山口県の岩国基地、青森県の三沢基地、長崎県の佐世保基地、沖縄県の嘉手納基地からもAFNの電波が出ています。周波数は違いますが。
昔はFEN - Far East Networkという名称でした。英語のお勉強のために聴いてた方も多いと思います。
ふだんは洋楽ばかりなのに、昭和天皇が亡くなられたとき君が代を流していたのが印象に残っております。
AMラジオが停波することをこの記事で初めて知りびっくり😫
人の寝静まった夜中に一人で聞くの結構好きでした。
ラジオ塔ってこんな姿をしていたんですねー
FMラジオの方が音質はいいですが、近場じゃないと聴けないんですよね😞
これからはradikoを使ってほしいということなのかな
寂しいです
深夜ラジオ族だったので大変興味深く読ませていただきました。当方の住むマンションではFMラジオは入らないのでAMラジオが停波されるとradikoでしか聴けなくなりそうです。
地元にある送信所は毎日放送(MBSラジオ)と朝日放送(ABCラジオ)です。手前が毎日ラジオで見難いですが奥の矢印が朝日ラジオのアンテナです。どちらも大阪府高石市です。
巨大建造物のアンテナ📡を巡っていました。
そして、送信アンテナ下でシグナルMAX表示で受信して満足してましたね。
そしてあの巨大な棒が送信所だったとは・・・
大変勉強になりました。
昔一番聴いていたのはやっぱり(マリ姉含む)文化放送A&G帯かなぁ。
うちのソーラー発電は一時期某電力会社経由でTBSにも供給してました。
そうそう、元々の文化放送の社屋であった新宿区若葉の予備送信所も訪ねてほしいです。
大阪からは遠いし場所がわからん。行けねー。
無電源ラジオ(鉱石、ゲルマニウムラジオ)で聞けなくなるのが寂しいです。(究極の災害ラジオ)
ラジオそのものを持っていないのでradiko経由ではありますが、毎朝聞いています。
学生の頃の勉強のおともはオールナイトニッポンでした。
なんか寂しいですね。
AMラジオ、終わってしまうんですネ~。
1970年代、私は中学生でAMラジオを聞き始めました。
当時のお気に入りはNHKの「若いこだま」。
その中の音楽評論家の渋谷陽一さんの担当の日でした。
今でこそB'zのような市民権を得た和製バンドは存在しますが、その頃は歌謡曲全盛。
そんな中、渋谷さんは海外のロックをジャンジャン聞かせてくれました。
ジミヘン、ツェッペリン、パープル、エアロスミス、クイーン・・・
刺激満載!
なくなってしまうんですネ、AM。
時代が変わるんですネ。
私も変化してロックから、今ではジャズにどっぷり・・・。
思えば、パックインミュージック、『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』、久米宏 ラジオなんですけど、、、お世話様でした。
大竹まことゴールデンラジオ、、お世話になってます。
①素敵な楽曲と出会い、ホッとし
②横行する怪しさに、ゾッとし
③悪の権化の跳梁跋扈に、カッとし
ています。
様々な考えに出会える放送が有難い。
垂れ流しは、ねえ、、、です。
北関東でも茨城はラジオ自体が入りづらい土地で、NHK以外はローカルの茨城放送(現LUCKY FM)に頼る感じでした。
とはいえ、日本初の衛星通信と、80年以上現役の短波送信所があるなど、電波事情は独特のようです。
いつも中身の濃い内容感謝です!
ぼくは、テレビも見ないしラジオも聴かないけどmineoだけは毎日何度も拝見させていただいてます!
スタッフの皆様、mineoファミリーのみなさまに多謝です(T0T)
あとは、最近全国放送にちょいちょい出ている上沼 恵美子さんはABCラジオで「上沼恵美子の こころ晴天」というレギュラー放送を持ってはりますが、カナリ面白いです。
AMラジオが停波したら、カーラジオはどうしようか...ですね🤔
専門学校を卒業した後は長らくラジオを聴く事がありませんでした(一時期派遣先→寮の最寄りバス停を結んでいた送迎バスの車内で聴いた事がありますが)。
ラジオの重要性に気付いたのは東日本大震災。地震によるブラックアウトでテレビが当時のワンセグケータイ以外は見る事が出来ず、専らラジオからの情報が唯一の収集源でした。特に地元局のIBCの場合、政府や自治体からの情報だけではなく、燃料不足の中沿岸部の避難所に車で駆けつけた内陸部のリスナーが避難所に関する情報を集めた後、そのままIBCに届けるといった「情報のバケツリレー」を展開していたのを記憶に残っています(勿論、沿岸部のリスナーの方も可能な限り機能している内陸部の携帯電話基地局の電波が届く所まで行き、IBCにメールを送信した方も)。
今では毎朝出勤時には必ずAMのIBCを聴いています(ただ、土曜日だけはradikoでTBSを聴いちゃいますが)。ただ、そのAMがどうなるか気になります。FM補完があるとは言えども山に囲まれている所は中継局が整備されない限り聴く事が難しくなるので、AMはそれまでは継続して欲しいものです。
>昔はFEN - Far East Networkという名称でした。英語のお勉強のために聴いてた方も多いと思います。
昔、英語が分からないのに漫画や雑誌読みながらBGM的にかけたのが多分FEN。
真夜中の午前0時に、日本とアメリカの国歌が毎日流れてた記憶が薄らあるが記憶違いかな。
久々にラジオ聞いてみようと思います。
自分で歩いてきたかのような、臨場感あふれる追体験をさせて
いただきました。
バーチャル旅行ができてとても楽しかったです。
詳しい(マニアックな)解説も、興味深く読ませていただきました。
(スマホではなく、X-S10と高倍率ズームの組み合わせがイイです!)
今回の企画はとてもためになりました!!!!
それにしても、AMラジオがなくなるというのは悲しいですね!!!
ただ、私自身も、もうかなり長いことAMラジオを聴くことがない生活です(涙!!)
固定電話がなくなり、ラジオもなくなり、もうすぐテレビもなくなるかもしれまえんね・・・(涙!!)
長いこと?生きていると、時代の流れを痛感いたします!!!
アンテナの高さは周波数で決まる。
周波数が高ければ波長が短くなるので周波数が高い程アンテナは短くなる。
https://www.instagram.com/p/BgTY_PtFYkT/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
私の住む静岡市にも地元局の送信所があり、訪ねたことがありますが、立地や役割などを理解するのにも、今回の記事は参考になりました。面白ッタです。
>> 超正義まーくん さん
>810kHzなので(中略)唯一の放送です。そんなことはないです。
下は540kHzのNHK山形他、
上は1530kHzの栃木放送もありますし、他にもありますよ。
小堀勝啓のわ! Wide、オールナイトニッポン、SFロックステーションなどなどいろんな思い出が…
わ!Wide聞いていた同世代のmineoユーザーさん、いらっしゃいますかね😅