- ITガジェット
- インタビュー
- 361
- 42
- 335
思えば、ほしいガジェットを買えず、じっとガマンすることの多い人生でした。
お金がなかったり、人気すぎて売り切れてしまったり、どうしても買えなかったアイテムたち。
ですが、それをとうとう手に入れるときが来たのです。
2023年の今では「生産中止」となっている、かつての人気ガジェット。今やメルカリなどで安く売られているのでは? 今こそそれらを手に入れて、あの日手に入れられなかった悔しさを晴らしてみます。
意を決して、筆者は中古相場を見てみました。あの一世を風靡したガジェットたちは、現在どれくらい安く売られているでしょうか?
しかし中古相場を眺めてみると、まだ意外と高いものも目立ちます。
たとえば2001年11月に発売された、初代iPod。
ハードディスクで大量の楽曲を持ち運ぶ音楽スタイルを広めた一台は、メルカリですらまだ2万3,000円ほどします。
1990年10月発売、セガによる国産初のカラー液晶携帯ゲーム機・ゲームギアも、問題なく動作する本体は1万円からが相場です。
AIBO(ソニー)はジャンク品を除くと、安いもので4万5,000円台から。1999年6月から販売され、もう24年経つと言えども、まだまだ高級なアイテムのようです。
このように、まず現実に突き落とされるのがこの企画のスタートでした。なぜなら、予算を合計3万円以内に設定したからです。
しかしそれでも探していくと、安く売られているかつての人気アイテムがありました。
登場するのは、勝手ながら筆者の思い入れのあるものばかり。ただ、同じ時代を過ごした多くの方には共感していただけるのでは、と期待を込めてお送りします。
2010年5月、「何だかわからないがすごいもの」として日本に登場したのがiPadです。すでに病魔におかされていたスティーブ・ジョブズの忘れ形見とも言えるかもしれません。
2010年の日経ヒット商品番付【※】でも、東前頭9枚目に名を連ねました。
※「日経MJ(日経流通新聞)」が1971年の創刊時から毎年発表している、相撲の番付になぞらえたヒット商品のランキング。
まだiPhoneの最新機種が3GSで、わずか3.5インチの画面だった時代、9.7インチという圧倒的に大きな画面サイズで登場したのがiPadでした。
当時少しだけ触ったことがありましたが、とにかく未来を感じました。こんなにスイスイ動いて迫力がある情報端末があるのかと、今でも感動を覚えています。
そんな初代iPadを、また触ってみたくなってメルカリで購入しました。当時は4万8,800円~でしたが、購入価格は2,500円です。
13年後の今持ってもまだテンションが上がる質感。総重量の680gは現行モデルの1.4倍ほどの重さですが、許容範囲です。
しかし今考えると、信じられないくらいにベゼルが太く見えます。当時はこのボディから「未来」しか感じなかったのですが……諸行無常。
このiPad、ブラウジングはまだ何とかできます。最近iPhoneやAndroidの元祖機などを使う機会がありましたが、それらよりはまだ見られるページが多い印象でした。
たとえば、我らがマイネ王のページも……表示は崩れるものの、閲覧できる範囲内でした。
Yahoo!ニュースやスポーツナビなどのページも、多少レイアウトがずれるくらいで、見られました。
ただし、1024×768と解像度が粗く、現在のきめ細やかなディスプレイに慣れた目からすると、うっすら無理して読む必要がある感じ。
さらに、Twitter(現:X)やYouTubeなどはエラー画面が出て、見られません。
続いてはApp Storeを触ってみましょう。しかしここで難問があります。そう、iOSが「5.1.1」で、古すぎるのです。
初代iPadより前に発売された、iPhone 3GSのiOS 6.1.6よりもさらに古いバージョンです。
そのため使えるアプリはほとんどありませんでした。
しかし、海外製のゲームアプリなどは何とか使えるものがいくつかあります。
このほか、iOS10以降は単独のアプリとしては消えた「Game Center」や、iOS9でApple Newsに取って代わられた「Newsstand」など、今では存在しないアプリもまだ元祖iPadでは健在でした。
いま触ると、当時感じた感動とは違っていたけれども。じっくりと使い、13年ぶりの再会と感慨を噛みしめました。
次は、往年のコンパクトデジタルカメラファンが泣いて喜ぶ、IXY DIGITALです。日経ヒット商品番付でも2000年の東前頭2枚目に入っています。
今回購入したのはシリーズ第2弾にあたるこちら、2001年5月発売のIXY DIGITAL 200。約200万画素の写真が撮影できる機種でした。
発売時価格は7万2,000円でしたが、メルカリにて5,000円で購入しました。
このIXY DIGITAL、コンデジ全盛期を代表する大ヒット商品ですが、個人的にはCMキャラの中田英寿なしでは語れません。
2000年代初頭は海外サッカーがもっとも人気だった時期のひとつ。街には思い思いのユニフォームを着た若者であふれかえりました。
その人気の頂点に立つのが中田英寿で、私もファンでした。そんな彼が何年もイメージキャラを務めたのが、IXY DIGITALだったのです。
いろいろと、当時からの同梱物が入っています。
その中には、ずっと手にしたかったカメラがありました。
思わず「ホントに俺が手に入れたのか」と心の中でつぶやいてしまいました。長らく憧れていたからか、まるで宝石のようにも思えます。
そして、当時のガジェッターたちの胸を高鳴らせた、小さくてどこか工芸品のような美しいフォルム。
今持っても惚れ惚れする姿で、本体のみの重量は約190gにすぎないコンパクトボディ。
なお付属品のデータカードは、当時全盛だったコンパクトフラッシュ。現在の標準になったSDカードと比べたら、その大きさは歴然です。
さらに、容量は8MB。8GBではありません、その1000分の1です。
当時は、これくらいの容量が当たり前でした。デジカメユーザーはたまらず節約するしかなく、640×480くらいで撮影することも多かったもの。
動画も撮れますが、同梱の8MBカードでは640×480サイズを約6秒撮影できるのみでした。
さっそく街へ出て撮影しましょう。
光学2倍ズームも搭載。2倍というとズーム幅が小さく見えますが、まったく付いていないよりはだいぶマシです。
空の白飛びは目立ちましたが、2001年のコンデジと思えばまずまず写せているのでは。
ISO感度は150までしか上げられないので、夜間は必然的にフラッシュ撮影が多くなります。そのため独特の描写となり、さらに遠くのものを明るく写しにくいですが、近いものはしっかり対象物を写してくれました。
少しでも暗いと、室内でもフラッシュがバンバンたかれるため、本が読める程度の薄暗い部屋でもこんな描写に。
近接撮影はピントを合わせづらく、下のようなピンボケ写真を量産してしまいました。
……と思ったら、「マクロモード」にする必要があったようで、設定するとちゃんとピントの合った写真が撮れました。
何せ通常撮影でのレンズ先端からの最短撮影距離は57cmと、かなり遠いもの。マクロモードはズームの広角側なら10cm、望遠側で27cmと、マクロモードにしてはじめて近接撮影ができる設計だったようです。
今使うと、ちょっとトイカメラチックなおもしろい質感の写真が撮れるIXY DIGITAL(200)。
スマホの台頭によってコンデジが売れなくなった今ですが、当時の貴重な写真を多く残した功績は計り知れません。
最後はZaurus(ザウルス、シャープ)です。現在のスマホのような機能を行えるモバイルツールで、ビジネスマンを中心に人気を博しました。
1997年の日経ヒット商品番付では「モバイル情報機器」として東関脇に。Zaurusは当時のモバイル機器の150万台市場でもトップシェアの40万台超を売っています。
当時まだ子どもだった僕は、「多機能で何やら楽しいことができそう」という漠然とした憧れを抱えていました。
しかし、Zaurusは市場に出回る中古品が少なめ。かろうじて3,200円で手に入れたのが、1999年発売のZaurus igeti MI-P1-LAです。
主にビジネスに使う人を想定していたZaurusの中でも、カジュアルな利用をめざして生まれた一台。約11~15mmと薄く、約135gの軽さとハンディサイズを実現しています。
さっそく画面を見てみましょう。起動すると、一瞬「Welcome to Space Town」なる画面が登場します。「20世紀に描いていた未来像」を思い出す構図で感慨深い。
画面が開きました。モノクロ画面がちょっと見にくいですが、注意を凝らして見ていきましょう。
看板機能はインターネットでの情報収集でしたが、そのほかの主な機能はこんな感じ。
・パーソナルデータベース……自由に項目を設定して、身の回りの情報を自分なりに整理できる
・アドレス帳……住所、電話番号はもちろん、メールアドレスや誕生日まで登録できる
・アクションリスト……やるべきことを重要度順に整理する
・手書メモ/フォトメモリー……メモや地図などをサッと手書きし、メールに添付できる
電話やメールくらいしかできなかった当時のガラケーにとっては、よき相棒だったのかもしれません。
だが、2023年にこのZaurusをいざ手に入れてみると、使い道がありません。当時全盛だったタッチペン「スタイラス」を使い、電卓を使うのが関の山でした。
せっかく手に入れたZaurus。当時を思い起こすようなことで使ってみたいと思い、「公衆電話からインターネット」にチャレンジしました。
街角から減りゆく公衆電話。その中でも貴重なグレーの電話機が、実はインターネット接続機能を備えているのです。
しかし、身の回りの知っているグレーの公衆電話はなく、ネット情報を頼りに、グレーの電話機を探す旅に出ました。
ネット情報を頼りに来たのは世田谷区。馬事公苑の周りにいろいろあるとの話でした。
さっそく見つけたグレーの公衆電話機。しかし、もう電源が抜かれているようで、使えません。マニアの方曰く、「グレーの電話機は続々とお役御免になっている」とのことで、世知辛いものです。
近くの団地や公園にもグレーの電話機があるとの話でしたが、すでに更地となっていました。
途方に暮れて歩くと、某施設のそばにグレーの電話機はあったのです。
何やら画面が損傷していますが、さっそく接続してみましょう。別売りのモデムからモジュラーケーブルをつなぎ、電話機右下の穴に差し込みます。
というか背景がいきなり昼から夜になっていますが、接続で手こずっているうちに夜になってしまったのです。
そして、やっとインターネットがつながりました。
しかし「ネームサーバーが応答しません」「URLが間違っています」などと出て、なかなかページが表示されません。
どうやら当時からZaurusで割とあるエラーだったようで、何をやってもうんともすんとも言わないまま、あきらめて回線を切断しました。
数分接続しただけで、テレホンカードの度数は17度→8度に減っていました。
今度は、もっと準備してリベンジ……と思いましたが、次の日、まったく電源がつかなくなりました。このへんで、おひらきにすることにします。
あの日「好き」と言えなかった娘に、もう告白できなくなってしまうことは多いもの。
しかし、あの日に買えなかったガジェットを安く買って、どこまでも味わい尽くすことはできます。
ぜひ、遅れてきた青春を満喫してみませんか。
編集:ノオト
ドッグイヤーばりなんですかね
規格が更新されると古い機種は
かなりしんどいですね
auの最初のAndroid携帯(韓国製)を
持っていますが…
何にもできませんね
ザウルス派と二分してましたねー
HP200LXを改造ケーブルとバケットモデム経由でグレ電と繋いで、Niftyの会議室のログをダウンロードするのが、当時の最先端でした(笑)
その時欲しかった
今でも普通に使える位に完成度が高い物がありましたね
素敵な記事を、ありがとうございました。
子供の写真PCに取り込んで無かったんだよなぁ…
当時愛用していた方は懐かしいでしょうね
探してみようかな〜
メモリ8MBとかだった気がする。
. ✳️✳️✳️✳️
. ✳️ ✳
. ✳️✳️✳️✳️
. ️ ✳
. ✳️✳️✳️✳️ th+1ヶ月
#マイネ王9周年おめでとう!
. 🟢🟢🟢
. 🟢🟢🟢🟢
. 🟢🟢 🟢🟢🟢
. 🟢🟢🟢 🟢🟢
. 🟢🟢 🟢
. 🟢
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌔🌕🌕🌕🌕🌖🌑
🌑🌕🌕🌕🌑🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌑🌑🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌑🌑🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌑🌑🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌑🌑🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌑🌑🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌑
🌑🌑🌕🌕🌑🌔🌕🌕🌕🌕🌖🌑
🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑🌑
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️ th
. #mineo10周年おめでとう!