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日本でPCが一気にメジャーになった日、それはOS(基本ソフト)の「Microsoft Windows 95」が発売された日、1995年11月23日ではないだろうか。
23日の0時に販売解禁を迎えた秋葉原にはWindows 95を求める人がごった返し、まるでお祭りのような事態に。ニュースでもセンセーショナルに取り上げられ、PCとインターネットの時代が幕を開けた。
中にはお祭り騒ぎを見て販売の行列に並ぶ人や、PCを持っていないのにWindows 95のパッケージだけを買った人もいたほど。
そんなWindows 95発売狂想曲のメイン舞台となった秋葉原。その日、そこにいた人はいったい何を見て、何を考えていたのか?歴史的な一日を目撃した3人から、貴重な証言を聞いた。
秋葉原にあったV-CLUBという小規模のPCショップで店員をしていた、河野さん(50歳)。
河野さん「アメリカで先行発売されたとき、前代未聞の深夜販売をやっていて『マジか』って。日本でも前例のない深夜販売をやるか、各店が悩んでいました。本当に人が来るのか、終電がなくなるけど大丈夫かなって」
だが直前で深夜販売を行なう店がかなり増えたこともあり、前日ごろに深夜販売を決めた。
河野さん「お祭りだから、やっぱり参加しておこうって」
当日の秋葉原には、この人もいた。WindowsやMacintoshほか、コンピュータソフトなどを卸すキヤノン販売(現・キヤノンマーケティングジャパン)に勤めていた、秀島ヒロノリさん(55歳)。
秀島さん「Windows 95は爆発的に売れるかもという話はMicrosoftの営業ともしていました」
その理由は、アメリカでの前評判のよさ。
秀島さん「アメリカでも大ブームになりましたから。そしてアメリカの発売日から、まだかまだか……と3カ月待って、ついに発売されたんです」
そして発売日の前日、1995年11月22日を迎えた。河野さんの店にはWindows 95のパッケージをもう並べている。
河野さん「売ってはいませんが、手に持って箱を見られる状態で陳列しており、中身も入っていましたよ」
それまで半信半疑だったが、店を閉める17~18時ごろでもお客さんが全然途切れない。
河野さん「Windows 95をどこで買おうか見て回る方も多くて、21時ごろには『本当にお祭りになるかも』と思いましたね」
創業250年、代々秋葉原に店を構える和菓子店「松屋」の店主・西井信樹さん(60歳)は語る。
西井さん「20時ごろにはもうすごかったです。電気街のJRのガード下にあった駐車場に戻ろうと思ったら、もう人が大行列で、車も規制されて。なかなか駐車場にも入れませんでした」
人が多すぎて車道に出てしまい、車まで規制されてしまったのだ。さらに……
西井さん「中央通り付近の各店の列が、遠い私の店の前まで延びてきて。おそらくラオックス ザ・コンピュータ館とかの列だと思います」
両店の距離は450mほどあるが、列がそれを超えて延びていた。いまUDXビルがあるあたりの広場にも人がたむろしていたという。
さらに、23時半過ぎごろに秋葉原へ到着した秀島さん。その足でラオックス ザ・コンピュータ館、通称ザ・コン館をめざした。
秀島さん「あそこに行けば何でもあるって思われていたんですよ。とくに当時コンピュータの本ってふつうの本屋さんになくて、ザ・コン館が頼みの綱だったんです」
いわばPCの聖地であり、だからメディアもそこに人が来るのを狙っていた。
秀島さん「さらに23日は勤労感謝の日です。お休みなので人が出ると見計らって、PCメーカーも要員を配置していましたね」
NECや東芝、IBMらが、1社5人くらいのコンパニオンを配置してPCのパンフレットを配った。
秀島さん「ただし数十万円もするPCをそんなときに買うのは大変なので、あの夜はパッケージソフトが主役でしたね。ものすごい人で、どんどん売れていました。ただ、売り切れてはいないんじゃないかな?」
河野さん「23時台にはもうすごくて。そんなに歩道も広くないから、人と人がぶつかっちゃうぐらい。もう本当に見たことのない人出でしたね。外に人がいすぎて、店内から外に出るのを躊躇するくらいでした」
河野さんの店では24時を過ぎてもセレモニーはやらず、粛々とWindows 95を解禁した。客寄せで呼び込みの女性にも一人来てもらってはいたが……
河野さん「売れ行きは……肩透かしでしたね。二桁行くか行かないか。お客さんはすごくたくさん来るんですけど、そのまま出て行かれて。ソフトを買うお店は、ほかの大手とかに決まっていたんじゃないですか。ポイント還元とかもあると思うので」
どの店でもWindows 95が飛ぶように売れたわけではなかったのだ。
臨時販売のため、1階や店頭だけ開けている店が多かった。
河野さん「圧倒的に男性が多くて、付き合わされている女性もいました。当時は今よりもずっとPCショップが多かったので。回るお店もたくさんあったんです。付き合わされる人は大変でしょうね」
ちなみに当時、Windows 95にはNECのPC-98用とDOS/V用【※1】があった。
※1 DOS/V(ドスブイ)は、1990年に日本アイ・ビー・エムが発表したPC用のOSの通称およびその規格。
秀島さん「だから当時は、店員さんが『○○用ですけど間違いないですか』って確認していたんです」
ちなみに23日の朝はどうだったのか。
河野さん「前夜ほどの熱狂はありませんでしたが、Windows 95入りのPCを買い求める人がどんどんやってきました。デスクトップPCを折りたたみのキャリーで持ち帰る人が多かったですね。そのまま車でサッと」
ここでWindows 95のソフトとしての意義を見てみよう。目を見張るような新機能が目白押しだった。
Windowsが時代の寵児になった夜。Macはどうだったのか。
河野さん「当日うちの店に、Macのコーナーがあったかどうかすらはっきり思い出せません。それくらい影が薄かったですし、翌日以降の他店のMac売り場も人はまばらでした」
そんな歴史的一夜には、熱狂的なマックファンから「Macintoshよ栄光あれ、打倒Windows 95」なる札を掲げた人も登場した。
秀島さん「見ましたよ。あとはMacintoshではもともと長いファイル名を付けられたんですが、その機能の実装を皮肉って『ようやくロングファイルネームがWindowsでもできるようになりましたね……』って意味のプレートも見ました」
Mac OSのメリットだった部分がWindows 95でもできるようになり、わざわざシェアの少ないMacintoshを選ぶ理由が減った。大黒柱のスティーブ・ジョブズを欠くAppleは大ピンチに陥り、iMacで反転攻勢に出るまでは低迷を続けたのだ。
それにしてもWindows 95が、なぜこれほど人を集めたのか。
河野さん「アメリカに引っ張られた感じですね。アメリカで3カ月前に発売されて、その時にちょっとしたお祭り騒ぎ的に報道されたんです。『アキバもやるのか』って見られて、フタを開けたら本当に人が来ちゃった。人々の想像をはるかに超えて人が集まりました」
河野さん「その日を境に、世界が変わりましたね」
次の日から、Windows 95入りのPCを求めるお客さんがひっきりなしにやってきた。秋葉原のPC販売の最盛期を迎える。
河野さん「Windows 95はユーザー層を広めてくれました。その日を境に、家族連れなどからもPCが本当に売れましたから」
秀島さん「世界がインターネットでつながる。その仕組みがWindows95によって標準化されました」
インターネット時代を世界にもたらしたWindows 95。それは創業200年超の老舗和菓子店にも影響を与える。
西井さん「私もWindows 95はすぐ手に入れて。おかげで袋も画像処理のソフトでデザインして、こういう商品もオリジナルで作れるようになりました。95が出る前はプリントゴッコ【※2】でやっていましたから」
※2 理想科学工業がかつて販売していた家庭用の簡易印刷器。
そして秋葉原を白物家電からPCの街にしたきっかけもWindows 95だ。
それまで秋葉原の電気店の先頭にあった白物家電が、4階などの上層階に追いやられ、1階がPC売り場になっていった。家電よりもPCが売れるからだ。
西井さん「秋葉原で60年生きてきましたが、おそらく秋葉原史上最高の大騒ぎ。あんなのは後にも先にもありません。ドラクエⅢの行列もすごかったけど、Windows 95はその比較になりませんね。ドラクエは交通規制にならなかったはずですから」
そして西井さんはこうも語った。
西井さん「Windows 95は、秋葉原の電気街を復活させたのかもしれません。それまで秋葉原をけん引した白物家電は、大手の電気店で安く売られるようになり、秋葉原の人気がなくなっていたんです。Windows 95が連れてきたPCブームは、白物家電らに代わる救世主だったんですよ」
そしてアニメの看板が増え、メイドたちも歩く今の秋葉原。
西井さん「秋葉原はこれまでのブームで生まれたお店たちを残しながら、どんどん生まれ変わっています。秋葉原は新しいものを拒まない街ですから」
(編集:ノオト )
当時はMac OSとは言わずに、漢字Talkと言う変な名前でしたね。
これからはVRがもっと普及してくるのでしょうか?
この頃は、NT3.51に専用のデータベースを作って骨塩量測定用検診バスに載せたり、電カルのむっちゃ原始的なモノや検診システムを弄ってました。
(この頃は、ある医療機器メーカーで営業兼SE兼◯◯みたいな なんだか不思議な事やってました。懐かしいなぁー 結婚して数年くらいだったかな?)
懐かしいっすね(●^o^●)
この時期のPCはかなり高価で手が出なかったように記憶しています。
懐かしの9821
阪神大震災から始まりオウム事件と…
これ以前から携帯電話(1G時代)持ってたけど通信会社も様々飛躍した時代だったなぁ…
災害、事件などで通信が飛び交い この頃、若い人達はポケベル📟が流行っていたね
大好きな友達にメッセージを送る『ベル友』自宅がアナログ電話が多く公衆電話に人が並ぶ光景が異様な時代だった。
この年は阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件といった、震撼する出来事が立て続けにありました。
そして、この年に生まれた世代が今年の東京オリンピック・パラリンピックの中心でしたね。ウルフ・アロン選手や馬瓜エブリン選手とか...。
私自身はWindows98からのユーザーですが、これはニュース番組で知っただけですね...😓
ソフマップにも、看板がWin95なChicago館とかありましたねたしか。
Win自体OS/2みたいに😁もともとGUIですが、3.1a以前はDOSを別に起動させた上で動いていましたから。
3.1の時からそうでしたが、パソコンのハードウェアの機種依存性を越えて同じアプリケーションソフトが動くというのが、Winのウリです。
で、DOS/Vって書かれていますが、IBM PC/AT互換機のことですね。なんのことはない、いま主流のパソコンはこの流れを組んでいます。
ラオックスが家電量販店だなんていう認識は、いまの人にはないかもしれませんね。免税店で復活した会社ですから。小林亜星さんももう亡くなりましたし…
家電もパソコンも、小売店は経営難になっていきました。ロケットとか、いまはアマチュア無線専門店なのかな。横浜のアリック日進とかも生きているのに忘れ去られた存在でしょうか。石丸やサトームセンがどうなったかは説明不要でしょうけれど。パソコン店もパーツ店も淘汰されましたね。九十九電機の黄金期とかありましたけどいまあんなですし、それでも健在なだけマシですけど。
Win3.1のころはファイルマネージャだったんですよね。たしかに、TCP/IPやブラウザも標準ではなかったはず。
エクスプローラとIEの時代になっていったわけですけど、もういまはEdgeですね。
この騒ぎが良くわからなかったです。
10年後にアキバに行くようになりました。
市場の時代、無線の時代、家電の時代、パソコンの時代、「萌え」の時代など、外神田は変遷を続けてきましたね。
>> 伊勢爺い さん
当時は仕事で漢字Talk7.5使ってたなあ。98SEからWin機使うことになった。そしてつい最近Win10を最後にWindowsから卒業できましたその後、98、XP、7、10といろいろなWindowsにお世話になって成長してきましたが、全ての原点はここなんですね。感慨深い😳
当時はまだ学生で「コンピューター」の授業がありましたが、その教授が「間もなくWindows95が発売されるが大変な騒ぎになるだろう」と話していて、なんのこっちゃと思っていた矢先、テレビであのお祭り騒ぎを見て、これからそんなに変わっていくのか…と思ったのを覚えています。
この30年近くでこれだけ発展したのであれば、ここから30年後はどうなってるのかな。想像できないなぁ。
Windows95にありつけたのは、半年後の1996/6/29。
大阪難波のTOWNSプラザで14,214円で購入してました。
当時はハードもソフトも高かったので毎年かなりの金額をパソコンについやしてましたね。
今のと比べたらすごくショボいけど、当時はこんな凄いことができるんだと感動しました😁
そういえば会社に入った頃は普通に UNIX と端末だったんだ…
当時仕事でWin3.1やIBMのOS/2を使っていました💻Win95パソコン、個人的に買うには高嶺の花だったな〜
問題が起きたら知識ない私は、元に状態に戻せない。
MS-DOS 2.11 から正規ユーザーでした。
Windows 3.1 も持っていましたが、MS-DOS版 Lotus 1-2-3 指がコマンドを覚えていました。(確か定価が98,000円)
大阪日本橋(にっぽんばし)でも、Windows 95の深夜販売があり、ソフマップで購入した記憶が…
以後、Windows 98, Windows Me, Windows 2000, Windows XP, Windows 7, Windows 8 の深夜販売に付き合いました。
実は、Windows NT 4.0 にも手を出していました。
Windows 10 は、並ばなかったかなぁ…
Quator Pro という表計算ソフトで、3次元ワークシートの串刺し計算をして、感激していました。その後、Excelでも3次元ワークシートを採用しました。
Windows 3.1 に比べ、インターネット接続が格段に楽になりました。
でも、まだ電話回線やISDN回線を通してのインターネットでした。
当時は、パソコン通信のnifty で、情報を得ていました。
昔話でした。
失礼しました。
それ以来歴代のバージョン全部にお付き合いしましたね。
パソコンとの出会いは、NEC98の互換機、EPSONだったような記憶。
二十数枚のフロッピーにOSが収納されていたような記憶があります。
遠い昔の懐かしい記憶・・・
友達が深夜に並んで買ってました。
自分は、自作のDOS/VマシンにWarpを入れて使っていたので買いませんでした。
一般人がインターネットにアクセスするきっかけになったのは間違いないと思います。
Windows95発売日の特別シフトなのに、思いっきり寝坊したのを覚えております。
秋葉原ではなかったのでお祭り騒ぎはなかったですが、日中もそこそこ忙しかったですね。
>> あけみやこ さん
秋葉原が大きく変化した頃は、丁度つくばエクスプレスが開通したタイミングですよね。これももう16年前です。>> 温羅志㥲汰狼 さん
お疲れ様です。肝心の「深夜販売」については、あんまり覚えてないんですよね。1本は、買ったと思います。同行させて頂いた御方との お付き合いで(・_・;)接待Windows95って 自分で使いましたよ(^^)
会社の某事業所からトコトコ歩いて
待ち合わせ場所に行って... 着いて買って帰った。
Windows98以降は、ベータテスターに登録してましたので。行って無いですから きっとこの時 現地に居たはず。ただ記憶が曖昧です(●^o^●;)
>> Rigpas さん
その日からネットが広がるきっかけになりました。私はNECの8000や9800のMS-DOS派でしたが・・・
私も初期のころはそれなりに買っていましたが、今はWindows 8.0の古いPCをメモリーの増設、HDDのSSDへの交換などでWindows10で使っています。Windowsのおかげで小学生の孫までみんなPCを使っています。
それと昔はよく行った大阪の電気街の日本橋には最近は行かなくなりました。これもPCを使った通販のせいです。
翌日に地元ラオックス行ったのは覚えている
NEC版、AT互換機版でフロッピーディスクの枚数が違うとか
エプソン PC98互換機版が後日発売されたとか
今はWindowsが動くPC=AT互換機ですけど
その年の初夏に、会社から貸与されたAC-DC変換器内蔵の重いノートPCを持って渡米させられ、現地で2年ほど作業した後、帰国した時に、約30万を出して、タワー機を買ったらWIN98になっていた。
・・・そのタワー機、XPのサポート終了後、モノも言わず静かに隣で眠ってます。。。