元首相の暗殺事件でも改めて思いましたが、情緒が乱れているので休止します
SNSはtoxicだ
エゴイズムも安倍晋三という権力者のレガシーだ。
自分のおカネをどうしようと自由と言う。増えた暴走族も晋三のレガシーだ。モノを無駄遣いして地球と将来を破壊する。
完全な自由意思というものは存在しない。社会環境に誘導されているのに、ジブンを錯覚している。そして、迫害を受けても自己責任で、いじめられたほうが悪いと言う。自己責任論は支配の手口だ。
政治と宗教とカネの癒着、日本の病みは根深い。カルトに騙されて貢いで破産しても、被害者が悪くて自己責任だと言い、罪は裁かれない。
カルトの被害者に私刑を受け銃殺されたアベシも、必然であったように思える。そして、彼は庇われず助からない、結局は彼も日本に消費された哀れな道化で終息する。
死んでもなお、芝の増上寺という政治と宗教とおカネの象徴で葬られる。増上寺は、徳川家康と宗教とおカネの癒着の産物で、支配の装置だ。安倍晋三という人の葬式が増上寺というのも、ことごとく政治と宗教とカネで、死んでも解放されないのだ。即得往生のはずなのにね。この世はこうも醜い国。
「なぜか重ねて追贈され続ける」大師号は、幕府と朝廷と宗教団体としての浄土宗の癒着の産物だ。いまもその前例を続けている。
法然房源空上人(圓光大師)もこんなつもりではなかっただろう。
私なら知恩院ならまだしも増上寺で葬式なんてまっぴらだ。知恩寺や一心寺がいい。
下山して街を転々とした源空上人の暮らしがまさに、彼の修行だったかもしれない。教養レベルの低い人々を救うには専修称名念仏が適していたのだ。かつて四天王寺の敷地の一角に居候して暮らした跡を汲むのが一心寺。骨佛の寺だ。
どんなに教養レベルが高くとも、覚っていても、哀しみと痛みはなくならない。あの九条兼実ですら苦しんだくらいなのだから。
私の思いは、法然房源空上人と勢観房源智上人とともにある。
宗教法人浄土宗と檀信徒は真実をしらずに崇拝して甘えておカネで生きている。
哀しい。
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