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70年後も使える頑丈さと音質 停電でもつながる「黒電話」の意外なスゴさを聞いた

70年後も使える頑丈さと音質 停電でもつながる「黒電話」の意外なスゴさを聞いた

辰井裕紀
ライター: 辰井裕紀
ローカルネタ・ガジェット・卓球が好きなライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。

長らく日本の電話の代名詞だった黒電話。特に1985年の通信自由化までは、多くの人々がこの電話機で通話を行っていた。

「50年持つように」を合い言葉としてつくられたとも言われ、実際に50年以上経ったいまも使えるものが多いほどの頑丈さで、当時の貴重な通信手段を支えてきた。

ちなみに1985年まで黒電話はずっとレンタルでしか持てなかった。いまでもNTTでの新規レンタル契約は180円+税で受け付けていて、レンタル契約中での買い取りも可能だ。2024年の電話網IP化の後も問題なく使える。

筆者も含めて、黒電話をほとんど使ったことのない30代以下の人には漠然としたイメージしかない黒電話だが、あまり知られていないスゴいところがたくさんあるという。

今回は、電話の歴史を研究する、東京・武蔵野市にあるNTT技術史料館にやって来た。広い館内に数々の貴重な電話機らが展示されているここで、史料館の担当者さんに話を聞いた。

71年前の電話機の音質、いまの電話と遜色ない

まずは1950年に誕生した、4号自動式卓上電話機(以下、4号機)のダイヤルを回し、生まれて初めて黒電話での通話を体験する。

※新型コロナウイルス感染症対策のため、体験コーナーは一時休止中。今回は特別に体験させていただいた。

画像

▲館内の別の黒電話へ発信

▲筆者・辰井。同行した編集担当と通話中

モヤがかかったような、妙な違和感を感じさせる音質なのかと思ったら……その予想は裏切られた。現代でも完全に使える、一点の曇りもない音質なのだ。肉声とは違う独特の響きではあるが、製作者の「しっかり声を届けよう」という意志まで感じるような、確かな通話品質であった。いまのスマホと比べても遜色ないどころか、電波状況次第ではこちらの方が上かもしれない。

——すごく音質がよくて本気で驚きました。ホントに1950年に生まれたんですよね……?

担当者:ええ。いまのメッセンジャーアプリの通話機能よりも、よく聞こえるかもしれません。ちなみに、1962年にできた600形自動式卓上電話機(以下、600形)はさらに音質が向上されていますよ。

——どんな音質でしたか?

担当者:数年前に地方の文化会館での内線電話で600形を使ったんですが、現代でも「聞こえづらいとは思えない」音質でした。

——60~70年前に生まれた電話機が、違和感なく使えるのなら相当なことですね。

担当者:できることが限られている分、構造はシンプルで壊れにくいんです。

——中には回路図の説明書も入っているので、修理を担当される方も参考になりますしね。

担当者:持つと重さが分かりますよ。受話器をかける部分の後ろ側に、持ち運びがしやすいように手を引っかけるところがあります。

——4号機は重いなあ。600形はまだ軽いですね。

担当者:4号機は約2.5kgで、600形は約2kg。500gほど軽くなりました。

——受話器の重さも違う。

担当者:ええ、4号機の受話器は約450gで、600形は約340gです。「4号機の重さが懐かしい」とおっしゃる来館者さんは多いですね。

——もっと鉄アレイみたいに重いのかなって思ったんですけど、イメージしたよりは重くなかったです。それでもスマホで最重量級の機種ですら226gなので、かなり重いですけどね……ちなみに、なぜ重いんですか?

担当者:今のようにICとか電子部品ではなくて、物理的に動くダイヤルなどの部品を使っていますから。あとは当時の材質の問題ですね。

——ただし、この重さのせいでダイヤルしても動かずに、どっしり安定感がありますね。

 

聞こえやすさが格段にアップした4号機

——ちなみに、いろんなメーカーが同じ黒電話をつくっていたと聞きますが……

担当者:はい。各電話機メーカーが、電電公社(NTTグループの前身)の仕様書に基づいて同じものをつくっていました。

——メーカーごとに品質の差は出なかったんですか。

担当者:基本的には出ないはずです。

——今じゃ考えられないですね……! SONYとかSHARPとか、競い合ってスマホをつくっていますけれども、昔は全く同じ電話機をつくっていたのか。

担当者:電電公社として、当時の武蔵野通信研究所の中で音質がよい、使い勝手がよい電話機をめざして研究開発されたのが、この4号機だったんですね。これを世に生み出すために研究者が努力してつくり出したんです。

▲4号機

——4号機は「ハイファイ電話機」といって、当時としてはとてもスゴいものだそうですが、どんなところがよかったんですか。

担当者:音質が格段に改善されたんです。前のモデルの3号自動式卓上電話機(以下、3号機)の製造は、つくる人の経験やその場での調整など、経験に由来するもので成り立っていたんですが、それではいけないと。

——3号機は、職人のカンのようなものでつくっていたんですね。

▲1933年に誕生した3号機。「鼻つまみ声」と評されるほど聞き取りづらかったが、1950年に4号機が登場するまでは日本の電話網を支えた

担当者:その後、研究開発されたのが4号機です。以前の音の聞こえやすさの試験では「本日は晴天なり」が聞こえればOKでしたが、4号機は全く意味の成さない文字1つ1つをランダムに並べたものを読み上げて、聞き取っている側の正答率で聞きやすさを確認したんです。そのように数値化された試験を乗り越えたので、諸外国の電話機よりも、格段に音の聞こえやすさが向上したんです。

——しかも、職人芸なしで大量生産できるようになったわけですね。

担当者:ええ、100万回のダイヤル試験や高さ1.5mからの落下試験にも耐えた4号機は、一段と普及しました。そのあと、1962年にできたのが600形の電話機です。

▲600形

——きた、これ。いちばん見かけた感じのビジュアルですね。

担当者:そうですね、黒電話として多くの人がイメージするのは600形だと思います。まず通話機能はさらに改善されました。また、ダイヤル文字が回転板の外にあって、文字が見やすくなりました。

——いよいよ完成されてきた感がありますね。ちなみにこの黒電話、質実剛健で壊れにくく、戦後につくられたものでも使えるものが多くあると聞きます。

担当者:はい。特にこの600形は「1箇所壊れる=全部取り替え」ではなくて、壊れている部分だけ取り替えられる工夫がされていますね。

——万が一壊れても直しやすいのか、だからこそ今でも使える電話機が残ったんでしょうね。

担当者:この600形の後も601形電話機があって、そのシリーズがダイヤル式では最後の電話機になりますね。オイルショック後の経済性を考慮して、600形を改良してつくられた黒電話でした。

▲構造や材料から見て、つくるコストは3分の1程度まで削減したとされ、暑さ寒さに耐えられた601系のダイヤルは全国の公衆電話にも採用される。

関東大震災を機に生まれ変わり、阪神大震災で活躍した黒電話

▲1958年に制式化された「41号M 磁石式卓上電話機」

——こちらの黒電話にはダイヤルがついてないですね。

担当者:はい。もともと電話にはダイヤルが付いてなかったんです。なので、まずは電話交換手さんを呼び出して、相手の電話番号を伝えて、交換手さんが手動で電話をつないでいました。

▲日本最初の電話交換の様子(1890年)

▲通話するためには、電話交換手による手作業で、電話加入者同士の回線をつなぐ必要があった。奥に描かれているのが電話交換手

担当者:加入者の増加に伴い、電話をつなぐ作業がひっ迫していたんですが、関東大震災で電話の交換局が壊滅的な被害を受けたんです。復興に際して、自動交換できる「ダイヤルがある電話」へと徐々に変わっていきました。

——電話交換手の作業が自動化されて不要になったんですね。災害などによって停電した際も、黒電話ならつながると聞いたことがあります。

担当者:ACアダプタがないタイプの電話機は、電話線からの給電だけでも使えまして、代表的なものが黒電話です。

——意外と知られていないですよね。災害時、停電によって新しめの電話機が使えないなか、黒電話だけがつながって、それで救助を呼べたみたいな話も知りました。

担当者:阪神大震災でも黒電話が使われました。阪神大震災で、神戸地域では交換機の故障などにより最大28万5000回線が不通になる被害が出ました。そこでNTTが黒電話を使った無料公衆電話を開設して、安否確認の連絡などができたんです。

——1995年じゃ、すでに黒電話は古めかしい存在だったと思いますが、大事な役目を果たしたんですね。東日本大震災でも、水をかぶった黒電話が使えたなんて話もありましたし。

障がい者用の福祉電話の開発

——このコーナーには、変わった電話や機器が並んでいますね。

担当者:聴覚障がいや視覚障がいの方も使える電話機や通信機器が開発されていまして。たとえば1975年製のシルバーホンめいりょうは、聴覚障がいの方用に、受話器のボタンを押し、音量調節ダイヤルを使うのが可能でした。

——これで黒電話でも音量調節ができるんですね。

担当者:はい、ボタンを押して、4段階の音量調節ダイヤルを回せば音圧が通常時の最大18倍になります。

——ちなみに、ダイヤルの内側にあるマークはなんですか?

担当者:ここを触ると、それぞれ「3番」「6番」「9番」がわかるんです。

——そうか、ここを起点に他の番号もわかりますね。PC用のキーボードのホームポジションみたい。

担当者:聴覚障がい者と視覚障がい者、どちらにも使える仕組みです。

——あと、この下にあるものは何ですか?

担当者:これはお年寄りやご病人のための緊急通報装置で、ボタンを押すとカセットテープがヘルパーや身寄りに緊急の知らせを伝えてくれます。また、通常の電話機の3倍まで相手の声を大きくできますよ。

——大きな筐体に時代を感じますが、大事な役目を担ったんですね。……ちなみに、ひときわ大きいこれはなんですか?

担当者:音響カプラにつなげて使う、筆談機「ひつだん」です。

——音響カプラ?

担当者:受話器を置いて、データ情報を音に変換して送受信する通信機器です。「ひつだん」はその仕組みを使って、手書きした文字を送れるようにした機械ですね。

——1985年にそれがあったのは驚きだ。

担当者:持ち運ぶことも考慮され、携帯用タイプライター並みの重さ(約2.5kg)で、充電可能な電池内蔵により、45分程度の使用が可能でした。

▲相手も端末を所有していなければならないので、導入のハードルは高かった「ひつだん」。1985年にグッドデザイン福祉賞を受賞、当時の販売価格は19万5,000円

——当時から障がい者のことをここまで考えられていたんですね。

担当者:当時は公社として、インフラを担う公共性の高い事業を行う会社でしたからね。ただし、それはNTTになった今も受け継がれていて、これらの新バージョンなども発売されていますよ。

黒電話は、いまも人々の意識の中にあり続けている

——最後にお聞きしますが、日本の通信史における「黒電話のすごさ」って何だと思いますか?

担当者:戦後の物質不足のなか、4号機は世界水準を大きく上回る性能を有していました。その後継の600形・601形もそれぞれ改良され、経済性も伴って、電話の普及に大きく貢献したと思います。

——そこから1985年の通信自由化の前後まで、ずっと使われていたんですよね。昭和の日本を支えた立役者という感じがします。

担当者:もしかしたら今後は変わっていくかもしれませんが、今でも電話のピクトグラムに黒電話の形が多く使われるなど、人々の意識の中にしっかりと存在している点もすごいですね。

▲おなじみの「電話のピクトグラム」

——単にロートルマシンじゃない、その大きな功績と、いまでも使用に十分堪えられるところに驚きました。黒電話は時代を代表する実力があったんですね。





その壊れにくさと有用性から、一部の企業や家庭などではいまだにあえて使われる黒電話。

フリマアプリでの取引も少なくなく、NTT東日本では新規レンタルを現在も受け付けている。

現代のスマホだけでは満足できなくなった方は、設置を検討してみては。


(編集:ノオト


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376 件のコメント
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実家では、世間でプッシュ式で子機がある電話が普及してからも、けっこう長い間600形の黒電話を使っていました。
学生時代、友達と長電話して、よく叱られました。
恋愛に厳しい両親だったので、恋人と電話をする時間を決めておいて、電話が鳴ると自分が即受話器を取って、小声で両親の視線を気にしながら、ドキドキしながら電話をしていました。
コンサートチケットを予約するのに、毎回なかなか電話が繋がらず、何十分もひたすらダイヤルを回し続けました。
今では体験出来ない事ばかりで、とても懐かしいですね。
あの頃にちょっとワープして、アナログな生活を、再体験してみたくなりました。
黒電話、懐かしいです。😀
とても懐かしい黒電話・・・
当時は、最後までダイヤルを回し切らずにかけ間違えたことを思い出します。

こんなに頑丈で、どんな時にも使えるとは思っていませんでした。
新しい確かを頂き、ありがとうございました♪
黒電話、懐かしいです。面白いトピックですね
黒電話の音っていいんだ!
退会済みメンバー
退会済みメンバーさん
ビギナー
懐かしい!
電話をかける映像を見ているだけで、ダイヤルが回るときの、あの独特な音を思い出して懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
音質が良かったのは、端末と交換機が近く、通信線の状態が良かったから。
実際の昔の電話は通信線の中継や老朽化でひどい音質ものも多かったです。48Vのアナログ線でしたよね。
懐かしいですね。
子どもの頃使ってました。
mineoのsimカード挿せる黒電話ってないかなあ
いやー懐かしいです。子供の頃は黒電話だったので。実に懐かしいですね。
交換手の時代は、電話番号しらなくても「どこどこの、だれだれさん」で繋いでくれました。電話機も壁につけた木箱に送話口があり、受話器は筒型でした。
ステップバイステップがたの自動交換機も見たことありますが、通話を終わって切った時、一斉に可動部が戻るので音がすごかったですね。
大学の時の「有線工学」の講師は「電電学園 ?」の先生で、600型電話機の開発に携わってた方で開発秘話を聞かせてもらいましたし、「世界最高の電話機」と自信をもっておっしゃってました。
ウチのは600形!
まだ現役です。
昔、実家で使っていた黒電話☎
600形っていうのだったんだ!
懐かしいです。
良い記事でした‼
今となっては懐かしい黒電話。
昔、実家で使っている頃は『プッシュ式』の電話機に憧れて
親に取り替えをねだった事もありました。
実家の引越しに伴い、留守番機能付きの『プッシュ式』電話機に代わり
それからは見る事が出来なくなってしまいましたが、あの「ジー、コロ。ジー、コロ」のダイヤルの戻る音は、せわしない今の世の中ではゆったりとしたノスタルジックな気持ちにさせてくれます。
黒電話は阪神大震災のちょっと後ぐらいまで使ってました。
「お化け電話」や「リカちゃん電話」とかもなぜか思い出しました。

昔は日本も企業も無駄に元気で商品情報等のテレフォンサービス等も
充実してましたよね。
退会済みメンバー
退会済みメンバーさん
ビギナー
最高です!
ためになり、色々興味をそそられる内容でした。有り難うございました。
とても懐かしいです🎵
ダイアル式の時は早くプッシュホンに換えて欲しいなぁ~と思っていましたが、
昭和レトロブームで逆に新しい‼
昔黒電話あったけどいいつからか無くなった。
どこにいったんだろう?
捨てたのか?NTTに返却したのか?
記憶がない
地元の博物館で見たことあります!
黒電話にも種類(バージョン)があるのですね☎
最近、全く見かけなくなった黒電話、子供の頃使っていました。
停電でも使用できる、通話音質が良い等今でも現役とは、素晴らしいです。
まさに、世界に誇る日本の技術力です。
この技術が直接、間接的に今日の日本の技術に繋がっているのでしょうね。
感激しました。
良い記事ありがとうございました。
退会済みメンバー
退会済みメンバーさん
ビギナー
おじいちゃんの家にダイヤルの白電話があった気がする😮
黒は見たことが無い😐
2000年代生まれですが、なぜか行きつけの歯医者に黒電話(カラーはピンクでした)があって当時携帯とかを持ってなかったので診察が終わるとそれを使って家族に電話し、迎えにきてもらっていました。
最初はダイヤルの回し方がわからなかったのですが、見様見真似でかけた記憶があります。懐かしいなあ…
懐かしの黒電話は、性能も良かったのですね。
またダイヤルを回してみたいです。。
黒電話。懐かしい(^o^)
昔はうちにも黒電話ありました!懐かしい〜
友達の家に黒電話ありました。
懐かしいですね。
私の子供の頃、家にありました。(^o^)
黒電話と言うと、当時買ってもらったゲルマニウムラジオを思い出します。
ダイヤルから流れる微弱な電流?を利用したロケット型ゲルマニウムラジオを持っていました。
ワニ口クリップをダイヤルに挟み、アンテナ棒の引出し長さを変える事でラジオ局を変えイヤホンで聴くと言う、シンプルな物でした。
懐かしい!我が家はクリーム色のを使っていたなぁ。布とレースで出来たカバーがつけられてた(笑)
祖父母の家が黒だった記憶。

昔のものって電話に限らず、作りがシンプルだから丈夫なものが多いですよね。進化したものも助かるし便利だけど、未だに現役で問題ない、なんならイザという時役に立つなんてビックリ!貴重なものになりつつあるけど、大事にしたいですね!
冒頭の今でもNTTでレンタルできるというところが一番びっくりしました。
黒電話 最強ですね\(^o^)/
あぁ黒電話、懐かしいですね。よく覚えてないけどダイヤルの仕方で通話料がタダになるとか、変な裏技がありましたよね。
レースのカバーとか、受話器を置いて待ち受けに使うオルゴールとか、昭和ですね。
黒電話懐かしく拝見しました。
自分も災害用としてNTT回線契約残しています、
時代遅れでないことが確認できました。
黒電話、存在感ありましたよね。
回線は解約したので、レンタルはできませんね。博物館で見たいと思います🌟
昔実家にあったな~なつかしい。
あれ、受信して鳴る直前に「チン」ってなるやんな。
今の若い人は、黒電話の使い方がわからない のだそうです。
電話をかけてみろと言われると、指を数字部分に触れてから
回そうとするのではなく、押そうとするようです。
黒電話。むか~し・むか~し、実家にありました。受話器重たかったの覚えています。ダイヤル回しましたね。懐かしいの一言です。今の時代ある意味新鮮ですよね。黒電話に愛を感じました。
下らない系統のブログと勉強になる系統のブログ どちらもグッドジョブ
実家の電話が黒電話でした!!おばあちゃんの家が早くからプッシュ式だったなぁ。エアコンをまだクーラーって呼んでいた、テレビのチャンネルをガチャガチャ回していた昭和の時代の懐かしい思い出です笑笑
小学校に飾ってありました。ダイヤルを回す感触と音が好きで無駄に回して遊んでいたのが懐かしいです。

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黒電話懐かしいですね。

黒じゃ無いですが、
グリーンの電話機が家にあります、(o^^o)

単身赴任先の電話回線を実家で契約して、
NTTの余り物を拝借したのです、
契約終了後も、そのままになってたのかな、
もう、時効ですね、(o^^o)
今は家はeo電話だし、もうオブジェです、
(o^^o)

記事中チョット気になる点が有ったりします、
(o^^o)
> 4号機は「ハイファイ電話機」といって、当時としてはとてもスゴいものだそうですが、どんなところがよかったんですか。

このコメントには私は違和感を感じるのですが、、
ハイファイと言えば高忠実度と、
思うのですが、、、
NTTの電話機のユニットは、再生周波数帯域に
厳しい規格が有り、この範囲内でないと、
合格しなかったと記憶してます。
話し言葉再生にクリアさを求められ、
余分な成分は再生されないようにでした。
( いわゆる高忠実度とはチョット違うような、)

電話機のユニットで、クリアな音声再生を目指してましたね。
ハイファイオーディオの感覚と少し違うと思ったもので、(o^^o)
黒電話、うちにもありました。懐かしいですね。
ACアダプタが無いのがうっすらと疑問に思ってましたが、電話線から給電できたんですね。
「電話台」って専用の家具もありましたね。
黒電話はどこへやったか記憶に残ってませんが、電話台はまだ現役で、下の電話帳入れはそのまま書類入れとして使って、上に小さな本棚を載せてます。
固定電話を家に置かなくなってきているのに、まだ黒電話の貸し出しをしていること事態、驚きです。
600形、今でも家の中に置いてあります。
さすがに使っていませんが。
NTTに返却もできたのですが、記念においておきました。
今は、ダイヤル式電話機が使えない人も多いとか。
時代は変わりましたね。
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