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~fioの旅~ the beautiful world? 【画像多め】【内容薄め】【不定期更新】

お家大好き引籠りのfioが、数少ない友人からの、半ば強引な誘いを断り切れずに外の世界と触れ合い、引籠りを脱却するまでの成長?物語です。

不定期に下手な写真と拙い説明を更新していきます。
お時間が有りましたらお付き合いくださいませ。

もし、ここを見て「行ってみたよ!」なんて報告とか貰えたら幸せ感じちゃいます。(笑)

それでは2017年fioの夏旅の始まりです。

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勇者ヨシヒコが魔王ゲルゾーマと対決した場所への聖地巡りとして(笑)
(勇者ヨシヒコをご存じ無い方はコチラ)
http://www.tv-tokyo.co.jp/yoshihiko/
栃木県宇都宮市に有る、大谷資料館へ行ってきました。
http://www.oya909.co.jp/

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外は30度超えの真夏日に、内部の気温は13度!
涼みに行くつもりがちょっと寒いくらいでした。
時折天井から冷たい水滴が首筋を襲います。

機械化される前は1本の石柱を切り出すのに4千回もツルハシを振るっていたとか…
昔の人の根気強さには頭が下がります。

中はライトアップされているものの、基本的に光量不足でスマホで写真撮っても真っ暗です。☝の画像はPCで目いっぱい明るく加工してます。
写真撮りたい人は三脚とバルブ開放できるカメラのご用意を。

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大谷資料館の近くにある、その名も大谷寺(大谷観音)。
http://www.ooyaji.jp/
平安時代(810年)に弘法大使の作という奇岩の岸壁に掘られた千手観音が祀られています。
他説ではシルクロードの石仏と共通点が多いのでアフガンの僧侶の作という説も…
国の指定重要文化財という事ですが、上の巨大な岩の造形の方が気になります。
併設の宝物館にはここから発掘された縄文人の人骨が…

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竜門の滝というと、大分のものが有名ですが、こちらは那珂川の支流江川に在る、竜門の滝、その幅は65m、高さは20mもあり大きいです。JR烏山線の滝駅という凄く小さな可愛い駅から5分程の場所で、1時間に1回滝の上を電車が通ります。
下の中州まで降りて遊べますが、滝へと降りる道が滝のしぶきでぬかるんでドロドロなので転ばない様注意が必要です。
遊歩道にはベンチも有って、木陰を涼やかな風が通り抜けて心地よいです。

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ここは茨城県北部の大子町に在る月待の滝です。
http://www.daigo-kanko.jp/?page_id=2861
最近Jinponさんが跳び下り...じゃなくてバンジージャンプをした竜神峡からそう遠くない場所ですね。
滝の岩の下の窪みまで歩いて行けて、滝を裏側から見れるので、別名「裏見の滝」とも言うそう。なんだか怖そう?ですが、物凄い量のマイナスイオンがでています。

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ちなみに、裏側からの雰囲気はこんな感じです。
滝の横のもみじ苑では天然氷の巨大かき氷を頂けます。
そして、ヒミツのお得情報です。
売店のお兄さんにお願いすると、無料で練乳マシマシで作ってくれます(笑)

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月待の滝から日立へ向かう山間の道は、そこかしこに大小の赤い鳥居が有って、山の彼方此方に神様が居る様です。神様と言っても色々ですから、この数の多さはちょっと怖いただならぬ感じがします。

ここは茨城県日立に在る御岩神社の楼門。
http://www.oiwajinja.jp/index.html
現世と神域を分かつ門。
入る時と出る時にお辞儀をしないと魂を置いてきてしまうとか。
信じるか信じないかはあなた次第です。

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冗談はさておき、楼門をくぐって少し行くと、宇宙飛行士が地上から光が伸びているのが見えたというGPS測位の場所に立つ三本杉は高さ50m以上の巨木です。参道の森の木は全てこの様な巨木で、自分が小人になったような?或いは巨大な神々の世界に迷い込んだ様な不思議な感覚に包まれます。
流石は「天地開闢の時より神々がこの地に鎮まる」と言われるパワースポットです。縄文時代の祭祀跡が発掘されていると言うから、精霊信仰の頃より何かが有るのでしょう。

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三本杉を過ぎて、登っていくと、ほどなく天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などと祀っている斎神社に着きます。ここの天井には見事な龍の天井画が有ります。この神社の横には石柱に木の車輪がはめられた物が有り、上へ回しながら祈ると現世での願いが、下へ回しながら祈ると後世での願いが叶うそうです。
何をお願いしたかはヒミツです(笑)
ちなみに記念にと思いひいた「水引の花お御籤」では愛情の花(心)を引き当てました。それによると「愛情に恵まれ、良い縁をもたらします」と有りました!
キターーーーーー!!!
でもね、個別の「縁談」のとこには「気長に待ちましょう、
良い話が来ることでしょう」ですって…
私の運命の相手はどこに??(笑)

それではみなさん、また次回お会いしましょう。


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12日に旅を再開し、常盤路へ向かう事にしたfioは、先ず成田市の第28番札所龍正院を訪れました。
先ず目をひくのがお寺の山門に何故かの注連縄…
神社では普通によく見る注連縄ですが、お寺の山門にと言うのは初めて見ました。
これは今からおよそ300年前の享保年間に門前にて大火が発生した際に、山門の仁王尊が屋根の上から大きなうちわで炎を扇ぎ返し延焼を免れた寺院より風下の集落の人々により、今日も毎年正月に奉納されているものだそうです。

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当時は水運で栄えていたとの事で、本堂には江戸時代からの満願となった人々の巡礼額等が飾られていますが、保存状態が良くなく殆ど見てとることが出来ません。
写真は1番色が残っていた物で、沈みかける米俵を積んだ船の船頭を観音様が救いに現れた様子を描いたものです。

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滑川観音の由来は、大凶作に苦しめられた年、領主が仏様に願掛けを行い、結願の日に朝日姫と名乗る不思議な少女に出会い、「汝の願い叶うべし」と告げられ、近くの川辺へ連れて行かれると、少女は忽然と姿を消し、見ると川に老僧が舟を浮かべ観音像を川より救い上げると、「近くの湧水を舐めよ」と言い、その通りにすると、穀物も実り、住民の病もたちどころに回復したとか。

それにしても、観音様って、川の中から拾われるエピソードが多い様な?

その昔、私や同級生の殆どが「橋の下で拾われた」と言われた様に、流行りがあったのでしょうか?

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霧で山頂を覆われた筑波山を車窓から眺めつつ、次に向かったのは第26番札所の南明山清瀧寺。

整備された県道から外れ畑の間の農道を少し行くと程なく辿り着きます。

ひっそりとした小さなお寺ですが、なんと推古天皇の勅願により、聖徳太子御作の聖観音像を安置したのが始まりという由緒あるお寺です。

残念な事に、昭和44年の不審火による火災で山門以外を焼失してしまっており、現在ではその姿を拝むことはかないません。

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由緒正しきお寺ですが、寺運に恵まれず、明治以後は永らく住職不在の時期もあったそうで、衰退した寺を守ろうと、住民が、輪番で寺を守っていたそうです。
そして昭和44年の焼失後も集落を中心とした再建委員の努力により再建されたとのこと。

今もなお 人の心の変わらずや 桃咲く里の 清瀧の寺

この寺をお詣りした方が残された句だそうです。

観音様と、村人の心の繋がりを感じさせる美しい句に出会うことができました。

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そしていよいよ第25番札所、筑波山の大御堂へ。
地図で見るとすぐ近くなのですが…
ナビですぐ傍まで来たのに一向につく気配がなく、道はどんどんグネグネと登って行きます。

やがて視界が開けると、お土産やのおばちゃん達の呼び込みが目に飛び込んできた所に、大御堂は有りました。

大阪城攻略の際の戦勝祈願等、徳川家の所縁が深く将軍家光による造建等を得て発展したそうですが、明治の神仏分離により、廃仏毀釈の憂目に遭うと言う波乱にとんだお寺でもあります。

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しかし、ご本尊は住民によって守られ、現在の大御堂の再建に伴い改めて安置されました。
写真の本堂はなんと今年2月に完成したばかりの新らしい本堂で、本堂前には弘法大師を表す南無遍照金剛 令和2年10月11日建之 の文字が刻まれています。
10月11日って、私が参詣した前日???

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続いて訪れたのは、第24番札所、雨引観音。
まず目に入るのは写真の長く急な145段の階段です。これは厄除の石段といい、1段毎に「南無観世音菩薩」と唱えながら登ると厄が落ちるそうですが、山門に説明が無いので、floはそのまま登ってしまいました…残念

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階段を登り切ると仁王門があり、その更に上に本堂が有るのですが、何か違和感を感じませんか?
そう、写真の奥、お寺なのに、まるでお城の様な立派な石垣です。
それもそのはず、このお寺、徳川家康により、150万石の寺領を寄せられていたとのことです。

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長い歴史あるこのお寺では、数々の逸話が残されているが、写真の木、宿かりの椎は1396年の火災の折に、ご本尊自らがこの木の下に難を避けられたそう。

また、今から800年程前に、戦火で寺が失われた際にはマダラ鬼神が集まり7日で寺を再建したとの逸話から、毎年4月にマダラ鬼神祭が行われています。
この鬼神祭は日本では京都太秦の広隆寺とここだけだそうで、是非一度見てみたいものです。
ちょっと秋田のナマハゲに似ています。

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このお寺の歴史は古く、また天皇家との所縁も深いお寺です。推古天皇の病気平癒祈願により勅願寺となった他、730年光明皇后の安産祈願、821年の大旱魃の折には嵯峨天皇による降雨祈願等が行われたそうです。
また、桜や紫陽花など花の季節も見事とのこと、機会があれば花の季節にも訪れてみたいものです。

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続いて訪れたのは第20番札所、益子にある独鈷山西明寺です。
山門手前迄車で行けるのですが、ご覧ください、この急な階段!
どうして昔の人は皆んなこんな大変な場所に寺院を作るのでしょう?ドMなのでしょうか?

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御朱印授与は12寺〜13時は昼休みなので、その間にお詣りを済ませます。階段を登るとこじんまりとした本堂と閻魔堂があります。

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閻魔堂に祀られているのは大変珍しい「笑い閻魔」や不気味な「奪衣婆」等5体の像です。善童子の背後から近寄る笑い閻魔は酔っ払いのおじさんみたいです。

なんでも閻魔様とは、地蔵菩薩の化身で人類最初の死者だそうですが、地蔵菩薩様何があってこの様なお姿に⁉︎

人類最初に死んでしまった不運を笑うしかないのか?と思いましたが、自分と他人の苦しみを分け隔てなく取り除こうと「ハハハ」と笑っているそうです。

他に方法は思いつかなかったのかしら?

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ちなみ、御朱印授与所が12時〜13時がお休みなのは、御朱印を書くおばさんがその時間は隣の食堂、その名も「独鈷處(どっこいしょ)」の店員さんに早変わりする為でした。
御朱印は幾つか種類があって、写真は坂東三十三観音版ですが、笑い閻魔のカラーイラスト付の美麗な物もありました。お値段ちょっと張りますが次に行ったら頂きたいものです。

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再び茨城県に戻り、第23番札所、佐白山正福寺にやってきました。
このお寺は鎌倉時代に宇都宮氏によって寺を破壊されたり、明治の廃仏毀釈等の危機に晒されながらも、ご本尊が守られてきたお寺です。
城址公園の駐車場から、丸木の土留で造られた、男性でもキツイと思われる程一段一段が高い階段を登って本堂へと辿り着きます。

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このお堂は写真を見ての通り人気も無いのでとりあえず?ちゃんと声を出して本堂前で読経をしました。
読経を終えて御朱印をもらう場所を探すと本堂脇の柱にチャイムのボタンを発見。ピンポ〜ン。は〜い。と昭和のコントみたいな返事が有ったかと思うとすぐ隣の引き戸を開けておばちゃんが出てきました。
もしかして、まる聞こえだった??と、戸惑い顔の私に向かって止めの一言「良いお声のお経でした」

イヤァァァァ〜

恥ずかしくて、その場で危うく成仏?しかけました…

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そして旅は本日最後の目的地である第22番札所の妙福山佐竹寺へ。

花山法皇の坂東巡礼に同行した元密上人による開基で、御本尊は聖徳太子の手彫りと伝えられている様ですが、政治の中心的役割を担っていた聖徳太子にそんな時間があったのでしょうか?とおもってしまう私は不信心者でしょうか?

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お寺の本堂は国宝や重文の指定を受けているそうですが、昨年の台風19号の爪痕でしょうか?本堂の茅葺き屋根は崩れ掛け、御燈明やお線香をあげる場所すら無くなんとも寂しい雰囲気でした。

この日は翌日のはち溝山行きに備え、袋田の滝も近い大子町の宿へと向かったのですが、その途中久慈川流域では堤防の修築や河床を深くする為の重機がたくさん稼働してり一年経っても未だ傷が癒えてない現状を目の当たりにしたのでした。

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宿には陽が落ちる前につく事ができ、少し早かったので写経をしてから、お隣のお店で夕食をすることにしました。

なんでもこの辺りでは軍鶏が有名とのことで、軍鶏の親子丼を頂いたのですが…
よく言えば身のしまった、ということなのでしょうが、要は硬い鶏肉でした。

名物に旨いものなし、ですかね?

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あけて10月13日、三十三観音最大の難所、八溝山日輪寺へ向かいます。

自然の力が人間の力を圧倒している場所で、道は木の葉と苔に覆われ、どこからどこまでが道かも解らない林道を登って行きます。
途中ナビにこの先左方向ですと言われ、地図を確認すると、正面に続くはずの路が植物に覆われて無くなっている場所が2つもありました。

やっとの思いで山頂付近まで登ると、ナビが「交通情報が変わりました、別ルートで案内します」と曰います。やめて〜と声に出して叫びながら進むと、この先崩落通行止めの看板に行き当たりました。
仕方ないのでナビに従い脇道を登って行くと神社が現れ、その先に公衆トイレがあって行き止まりです。。
山中で迷子⁉︎と半泣きで先の看板まで戻ると、通行止めの先に「日輪時までは通れます」の文字が。こうしてなんとか無事にお寺につく事ができたのでした。
御住職のお話では前日きり深い中やってきた女性2人の巡礼者も泣きながらやってきたとのこと。
悪天候の日は行かないようにしましょう。

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ちなみに、このお寺のかいきは「役の行者」とされており、この人物は日本の修験道の開祖とも言われる小角という人物で、後に世間を騒がせたつみにより島流にされたそうで、きっと幕府も懼れるすごい法力を支えた人だったのでしょう。

話は変わりますが、ご住職は毎朝麓の太子町からお勤めの為早朝に車で山を登り、17時にお勤めを終え暗い山道を街へ戻るそうです。

私の見立てでは八溝山地元最速は間違いなくこのご住職だと睨んでいます。

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想定外の険しい山道に予想外に時間を費やした為、急ぎ次の目的地である中禅寺へと向かいます。八溝山を駆け下り、日光へ向かう山道県道28号を駆け上ります。

これがまた車1台がやっとというせまく、昼なおくらい悪道で、すれ違う時は路肩を覆う草にどこまで地面があるか解らず冷や冷やものでした。

平日で空いていた第2いろは坂を一気に上ると中禅寺湖の畔に立派な山門が現れます。
実はこの時まで、中禅寺があるから中禅寺湖だと気づいていませんでした…

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観光化されたこのお寺では、あまり自分のペースでお参りする事ができず、案内されるままに本堂へ入れられて、一頻り説明を聞かされて出てくるという流れでした。
その為読経も納経もできず…

写真は本堂二階からの中禅寺湖です。前日から急に気温が下がって紅葉が始まったばかりとのことでした。
今頃はきっと見頃を迎えていることでしょう。

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第18番札所となる日光山中禅寺
男体山の別称二荒山はフタラ山と
いうそうで、これが浄土補陀落山の
ことであり、男体山こそが観音様の山ということだそうです。

ちなみにご本尊の立木観音は、木を切り倒さずにそのまま彫ったことに由来しており、現在も本堂の下に根を張っているとの説明でしたが、明治35年の山津波で観音堂が湖に流された時、本尊は傷一つなく浮かび上がり、今のお堂に移されたと記録が有ることから、現在は、元々の場所に生えたままというわけでは無いみたいです。

観音様も色々大変なんですね。

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そして再びやってきました、このスレ最初の旅で訪れた第19番札所天開山大谷寺。

実はこの時入り口の階段で躓いて手をついた時、運悪く突き指をしてしまい、右手第3指靭帯断裂、右手第4指骨折という怪我をしてしまいました。

寝不足、体力低下、疲労の中、意識が飛びながら車を飛ばしていた私は、それでも皇帝の後れを取り戻そうと無理をしようと考えていたので、このままだと事故を起こすと、聞き分けのない私を観音様が無理やりにとめてくれたのだと思います。

事実、その時最後に行こうとしていたお寺への路では事故渋滞が発生し、最終的に諦めざるを得なくなったのでした。

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怪我をした私に御朱印授与所のおばちゃんが湿布を貼ってくださいました。

アフターフォローも忘れない、お心遣いの細やかな千手観音さまなのでした。

またいつかお礼にいかないと。

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今回の巡礼の旅第2幕最後は第17番札所出流山満願寺です。

道路も空気も白く染め上げる川沿いの石灰採掘場群を抜けたその先にこの寺院はあります。

それもそのはず、開基の時の御本尊は剣ヶ峰中腹の7つの鍾乳洞に自然形成された観音様だったのです。
開基された
勝道上人の御母堂が子宝に恵まれず、この鍾乳洞の観音様に願掛けして授かったのが前出の勝道上人であったことから、子授けの観音様と言われています。

参道を進んでいくと巨木に囲まれた、どちらかというと神社ような趣の美しい本堂が現れます。
これまで回った中で雰囲気は1番好きな御寺になりました。

この御堂は後に弘法大師がこのちを訪れた際に、鍾乳洞へのお詣りは大変だろうということで、観音像を彫って安置されたそうです。

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12日〜13日の旅は一旦これで終わりです。
幸い右手は親指と人差し指が使えるので筆を使って写経は続ける事ができています。
一心に筆を使い文字を丁寧に書くことをしていると、今の仕事のただただ速度を追求していくやり方ではなく、一つひとつのことを丁寧にやる仕事をしたいと思われてきます。
普段は時間に追われ、そんな
ことを考える時間すら無い日々を送っていますが、時折立ち止まって周囲と自分を見つめ向き合う時間の大切さを思わずにはいられません。

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10月20日右手の骨折も癒えぬまま、性懲りも無く?神奈川編の続きへと出かけました。
東名高速横浜町田を降り、下道で座間へ向かうのですが、これがまた酷い渋滞続きで、最初から旅程が心配されます。
第8番札所星谷寺は、踏切を渡り、最初の信号のT字路の正面に突然現れます。
住宅地の中で、山門も無く、また本堂は奥まっているので、普通に走っていると、気付かずに通り過ぎてしまいそうです。

こちらのお寺には七不思議(http://www.shoukokuji.or.jp/)があり、一年中うどこかしらに花をつける桜や、1本の木から5種の花をつける椿、昼でも星を映す井戸等が有るそうです。

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あるそうです…
と言うのは、本堂で読経と、納経を終えて、御朱印を受けに行くと、「そこの券売機で500円の納経帳のチケットを買ってください」と言われ、見るとお蕎麦屋さんの券売機みたいなのが有ってチケットを購入する様になってまして、なんだか呆気にとられてお寺の中を見て回るのを忘れてしまったのです。

こう言うシステム導入されると、何だか御朱印もお買物みたいで何だか有り難みが無くなってしまって、残念な気持になってしまいます…

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星谷寺から相模川を越え車で30分程行くと、第6番札所の飯上山長谷寺が有ります。

新築成ったばかりの山門の横に駐車場が有り、料金は1日500円。
お花見シーズンや、こちらの白山自然公園のハイキング客には便利な様です。
ちなみにこちらのハイキングコースには、順路に33の観音様が置かれており、プチ巡礼ができる様になっています。

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本堂の前には石灯籠が左右に整然と並び、とても清潔感の有るお寺です。

行基菩薩により開基され、役の行者の像がある事などからも丹沢山系の修験道と縁の深いお寺のようでした。

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山を下り平塚方面へ、続いて訪れたのは、金目山光明寺です。
金目山とは珍しい名前と思ったら、お寺の前を流れる金目川から来ているそうです。

こちらの御本尊は潮汲みの海女の桶に何度捨てても桶に戻って来る木片を、海女が持ち帰ると、行脚の僧が「これこそ聖徳太子の手になる観音像である」といったのがこのお寺の始まりだとか。

その後行基菩薩が訪れて観音像を刻み、その胎内に海女が持ち帰った像を収めた事から、「お腹ごもりの観音様」として安産の神様となり、北条政子も、源実朝を懐妊の折、祈願に訪れたそうです。

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門前には、流れの穏やかな金目川のせせらぎがあり、境内には珍しい水琴窟が、ピローン、ペコーン、ポローンと音を奏で、聴いているととても穏やかなのんびりした心地に包まれるそんなステキな場所です。

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神奈川編第2回の最後は小田原の第5番札所、飯泉山勝福寺です。

酒匂川迄やってきたのは初めてで、川沿いからお寺へと向かう道を走っていくと、前の車が曲り角に突っ込む様にして止まりました。暫く動かないので、後ろの車に挟まれて動けないのかな?と思い、追い越して角に入って行くと、「すれ違い通行出来ません」の看板が…

きっと「他所者が…」と思われた事でしょう(T . T)

お寺の境内には大銀杏の木が本堂を覆う様に立っています。

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本堂の柱をよく見ると、お獅子と象?が刻まれています。

象には初めて気がついたのですが、何処のお寺も同じなのでしょうか?

仏教がインドから伝わったことと関係があるに違いありません。

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こちらの勝福寺ですが、小田原市なのですが、酒匂川の向こうの小田原の中心からはやや離れています。

最初、地図で見ていても道が狭そうだったので、電車とバスで行くことを考えたのですが、お寺近く迄行くバスが、なんと1日1本だけ!
つまり行ったは良いけど戻れないのです…

お寺と言うのは大体山の中とか不便な場所にあるので、行く前はよく調べるのがとても大事です。

神奈川編はこれで終了。

次回は、埼玉、群馬編に続きます。

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さて、神奈川編第2回で行ける!と味をしめたfioは、この勢いをかって、翌日埼玉群馬編に出発したのです。

とは言えちょっと朝寝坊して1時間遅れての出発、今日のノルマをクリアできるのか?

埼玉エリアは4つあり、3つが関越道エリア、1つが東北道エリアです。

先ず東北道エリアの慈恩寺を目指します。が、いきなり高速は大渋滞で大ピンチ!

なんとか最初の目的地、第12番札所慈恩寺に到着すると澄んだ青空の下、広い境内と立派な本堂が有りました。
それもそのはず、今も残っている元禄7年(1694)の地図では、境内は13万5千坪もの広さだったそうです!
13万5千坪ってどれくらいか想像もつきません…

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ちなみにこの慈恩寺には玄奘塔というのが有り、大戦中に日本軍が南京で発見した三蔵法師の遺骨の一部が祀られています。

今日、日本に伝わる仏教経典のほとんどが、三蔵法師の持ち帰ったものと言われていますから、このお寺が広大な寺領を持ち、参詣者が引きもきらなかったという話も肯けます。

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次に訪れたのは東松山にある第11番札所の安楽寺。
お寺の参道脇に茶屋があり、厄除け団子🍡が売られています。
ちょっと、うっかり八兵衛の気持が解った様な気になりつつ山門をくぐると、見事な松の奥に本堂が姿を現しました。

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本堂の前に進むと、太鼓が鳴り住職の読経が始まったので、fioも便乗して読経を始めました。
やっぱり太鼓が有ると、気分も盛り上がります(笑)

読経が終わると納経所へ行き、住職の帰りを待って御朱印を頂きました。
本来ならfioがお布施をする立場なのですが、「待たせてすみません」と、住職から売物のクッキーの施しを受けてしまいました(^^)
うっかり八兵衛ならぬ、ちゃっかりfioなのでした。

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続いてもう一ヶ所、東松山にある、第10番札所、正法寺へと向かいました。

先の安楽寺は坂上田村麻呂が開基なのですが、此処にも田村麻呂の悪龍退治の言伝えが残って居ます。

何でも、関東以北の観音信仰は坂上田村麻呂の奥州討伐の際に広められたとか。

坂上田村麻呂なんて、日本史の教科書で征夷大将軍?位の認識しか無かったので、意外なところで再会した気分です。
>行基菩薩

行基が菩薩?
と、知らなくてググってみたら…。

"大仏造営中の天平21年(749年)、喜光寺(菅原寺)で81歳で入滅し"
(中略)
"また、朝廷より菩薩の諡号を授けられ「行基菩薩」と言われる。その時代から行基は「文殊菩薩の化身」とも言われている。"
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/行基


"僧侶の諡
僧の諡号は、北魏の法果が胡霊公と追贈されたのが初めてである。日本では平安時代から実例があり、清和天皇の貞観8年(866年)7月、最澄に伝教、円仁に慈覚の大師号が初めて贈られ、後には国師号、菩薩号なども諡として併せて贈られている。"
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/


菩薩と聞くと両界曼荼羅に収まっていそうに思うのに、行基という実在で歴史の浅い人物が菩薩、である事に違和感を覚えてググったのですが、なるほどそうだったのですね。私の認識が誤っていた様です。なるほどなるほど。勉強になります。



所で。
相変わらずfioさんは良いテキストをお書きになりますね。少し遡ってみましたがとても面白く、楽しく読ませて頂きました。
読み残し部は、また改めて。

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こちらの正法寺、写真を見て頂くと岩殿山の名の通り、背後に岩山を背負っているのですが、以前ご住職が崖の枝払を終えて休憩してし、立ち上がったところへ、今迄座っていた場所目掛けて岩が落ちてきて九死に一生を得たそうです。

ただの偶然なのか?はたまた観音さまのご加護でしょうか?

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続いて訪れたのは、埼玉県最大の難所と目される第9番札所の都幾山慈光寺です。

地図で見たルートは山奥の細い道で、かなり困難なルートと思われましたが、勾配こそキツいものの道は良く舗装され、山門脇の駐車場迄車で行く事が出来ました。
かなり時間が掛かるとの予想が良い方に裏切られ、ニコニコで山門をくぐりました。

山門も静かな山間の古寺と言った趣きでいい雰囲気です。
珍しい青文字の看板が目をひきます。

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しかし、本当に大変なのはここからでした!

山門を潜るとすぐそこは、ご住職の住居兼本堂なのですが、お詣りする観音堂へはかなり急な階段を登り、山の上迄行かなければなりませんでした…

お詣りを終え、ふーふー言いながら御朱印を頂きに本堂へ戻ると、本堂の中には真っ黒な明王像が立っていたので、何故この明王像は真っ黒なのか?とご住職に伺うと、以前の火災の折に焼けて炭化してしまったのだとか。
それにしても造形は綺麗に残ったままだったのですっかりそういう特別な明王像なのかと思ってしまいました。

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先の慈光寺での観音堂への登山で、稼げた時間が帳消しになってしまった為、再び高速道路で次の目的地、群馬県の白岩山長谷寺(ちょうこくじ)へと向かいました。
ナビが目的地到着を告げた場所は右手に一見普通の住宅、左手に突如現れた空き地で、空き地の奥に慈光寺駐車場の看板が…

えっ?今のところ?と二度見してる間に通り過ぎてしまい、戻って来ました。

訝しがりながら右手に見えた住宅風建物の方へ行くと、そこはお寺の受付で、入口を覗くと誰も居なくて、「留守にしております30分程お待ちください」の書置きが…

うそ〜⁉︎こんな所でタイムロス???と途方に暮れて敷地を右往左往していると、中から白T姿の頭ツルツルのおじさんが「どうぞ〜」と声を掛けて来ました。

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お寺の建物が見当たらない理由を訊ねると、本堂の建て替え中で御本尊も学術調査の旅に出ているとのコト。
一応納経はしたものの…
今回の参拝は有効?無効?

ちなみにこちらの白岩神社の開基は、今回の旅で最も興味深い、役の優婆塞(うばそく)※優婆塞とは男性の在家信者のことで、サンスクリット語の音訳。
他の寺院と同様に戦禍による喪失を受けており、上杉憲政が整えた伽藍は、武田信玄の箕輪城攻略の兵火で喪失し、その後武田勝頼によって再建されています。
 

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そしてこの日最後の目的地、群馬県の第16番札所水澤観音へ。

榛名山の裾野、水澤うどん街道を駆け上ると山門前に駐車場が有ります。

大きな樹々に覆われて薄暗く、ちょっと異世界の入口の様な雰囲気が漂っています。
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