東日本大震災から2023年3月で13年
宮城県の北に位置する海岸沿いに南三陸町があります。
南三陸町歌津地区(旧歌津町)の伊里前湾にあった建物は全て被害を受けました。鉄道も流され津波から数日間は陸の孤島になりました。
その後、2021年12月13日、有志の方々が集まり、買い物難民を作らないというコンセプトで仮設商店街を作りました。
写真は当時の「伊里前福幸商店街」です。
工事現場にしか見えないという比喩を使った事があります。伊里前福幸商店街を知らない全国の人にはそう見えていたのだろうと思います。現在は本設の南三陸ハマーレ歌津がオープンし、復興工事が終盤になり、道路も整備されました。
のんびりできる商店街は今も健在です。
いつも綺麗なお手洗いは当時から自慢でした。
長距離移動をする方は絶対に三陸道「歌津IC」を降りて休憩してください。春には「ハマーレ広場(仮)」という公園が完成し、駐車場も増えます。
ふわふわドームや大型遊具も設置され、春にはお花見ができる公園になります。
子供連れのお父さん、お母さんは休憩場所として頭の隅に入れておいてください。
宮城県本吉郡南三陸町歌津字伊里前100番4 南三陸ハマーレ歌津
東北の片隅にある小さな商店街です。
有名観光地の賑わいを求めて立ち寄るとがっかりするかもしれません。
なぜなら、被災した地元のお客様を優先してきたからです。
この商店街の成り立ちをご存知ない方のGoogleでの評価はあまり良く有りません。
でも、私財を投げ打ち、新たに融資を受けて震災までの長い期間(買い物で)生活を支えてくれた地元の方への恩返しをしたいという思いで集まった7人の店主から復興商店街が始まりました。
この事を知れば応援せずにはいられません。
時々、「引退してれば、今頃年金で毎日孫と遊んで暮らせたのに・・・」と呟く店主もいます。もちろん冗談です。
本設の商店街が完成してからも逆境は続きました。
復興道路の工事が続き、商店街に入る道路はわかりにくく見過ごしてしまう状態が続きました。
現在の歌津町(歌津地区)伊里前(いさとまえ)の様子です。
震災前は、普通の商店街でした。
住宅件店舗が並んでいました。
人々が元の生活を取り戻すには、もうしばらく時間がかかりそうです。
これからも細く長く、この地域を応援したいと思います。
京都、大阪、神戸を含む関西から遊びに来てくれた皆さまへ
ありがとうございました。観光、トイレ休憩(笑)、ボランティアなどの機会が有りましたら、また是非お寄りください。
このタイミングで震災の話題を投稿したのは、平成7年1月17日 午前5 時 46分に起きた阪神・淡路大震災から、まもなく28年になるからです。
東日本大震災の時、阪神・淡路大震災で被災を経験されたボランティアさんに助けていただきました。
1月17日は、私たちにとっても大切な日です。
マイネオスタッフの皆さまへ
この地域にもマイネオの民は少しづつ増えております。
もうしばらくは高齢者の乗り換えをサポートしますので、歌津(うたつ)に遊びに来てくださいませ。
m(_ _)m
撮影:歌津の象
そういうわけで象さんは写ってません。
魂抜かれそうだから←古いだろそれ!!!www
そこら辺にお亡くなりになられた方が沢山
本当に悲惨な状況を目にしました
決して忘れてはいけない!!
その津波が引いたらライフラインが全滅。
震災から1週間 母と連絡が取れませんでしたが避難所に仮設の電話が設けられて、そこから母が電話をかけてきて、無事が確認できた日のことを思い出します。
その母とは、私がこの春に定年退職するので、一緒に暮らす予定です。
>> hiro.tsuka@毎日が日曜日 さん
たっぷり親孝行をお願いします。親にとっていつまで経っても子供は子供だと言いますが、円満に過ごしてほしいと思います。
あのときのショッキングなニュース映像は忘れません。
>> ダータンスヒルビリー さん
自然災害への心構えを忘れないようにしたいです。今の東北の復興が如何なものか
なかなか知る手立てがありません
生きる為に戦後すぐの東北にいた
親父の繋がりで岩手の越喜来という
地名を私が知ったのも東北の震災後です
写真や文章から生き生きととした感じがうかがえました ありがとうございます
>> B之助 さん
ほっこりコメントありがとうございます。