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ブッダのことば  8 慈しみ

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべき事は、次のとおりである。

能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ

足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ

何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして、怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない

あたかも母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし

また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし

立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりと保て

この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ

諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう


5 件のコメント
1 - 5 / 5
人の生死は沙のごとく、
ただ静かに涅槃に入る。
スレ主さんの事ではなく、
世界では仏典・聖書とかの文を、そのまま使って助言しようとする方がおられる。

しかし聖典で説かれているのは、
相手の身になって考えよである。
聖典の言葉を使えとは、
ブッダもキリストも言ってない。

>> 伊勢爺い さん

そう、それは知識の押し売りでしかない。
聖典は知識を押し売りする者を批判している、
バラモン僧とかパリサイ人とか。

知識ではなく知恵と、
古今東西の智者は実践している。

一休宗純が代表的か。
ブッダの教えの中にイカダのたとえがある。
自分の教えを川を渡るイカダに例え、川を渡って必要が無くなったら、イカダ(教え)を捨てて行けと。
ブッダは自分の教えにさえも執着するなと説いている。
こんな哲学的な自由度があるから、コンサバな私は、ブッディストの端くれが性に合うようです。
by クリスマスにケーキ喰って、神社に初詣するブッディスト
ありがたい法話❓ですが、高齢者には毎週一話くらいにして貰わないと頭が話についていけないです😰
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