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90年代のSNS…?伝説のパソコン通信「ニフティサーブ」はマイネ王に似てるって本当?【マイネ王調査団】

90年代のSNS…?伝説のパソコン通信「ニフティサーブ」はマイネ王に似てるって本当?【マイネ王調査団】

西森路代
ライター: 西森路代
1972年、愛媛県生まれ。地元テレビ局で勤務の後、香港映画に関わりたくて上京。派遣社員、編集プロダクション勤務、ラジオディレクターなどを経て、フリーライターに。主な仕事分野は韓国映画、香港映画、日本のテレビ・映画についてのインタビュー、コラム、批評など。著書に『K-POPがアジアを制覇する』、『韓国ノワール その激情と成熟』、『あらがうドラマ 「わたし」とつながる物語』、共著に『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』などがある。

初めまして。ライターの西森路代です。

皆さんは、1987年から2006年まで提供されていた会員制のワープロ・パソコン通信サービスの「ニフティサーブ」ってご存じですか?

私は1997年頃、働いていた会社の先輩がパソコン通信をやっていたことをきっかけに知り、少しの間ですが、ニフティサーブに参加していました。

今回、そんなニフティサーブについて、こんな依頼が届きました!

なんと今回依頼をくれたのは、酒子@運営事務局さん! 「マイネ王とニフティサーブが似ている」とよく言われるものの、酒子さんやマイネ王スタッフにニフティサーブを利用していた人がいないため、私のもとに調査依頼が届いたようです。

たしかに、言われてみれば、ユーザー同士の交流が盛んなマイネ王には、当時のニフティサーブに似たものを感じるかも。

というわけで、仕事の都合で来られなかった酒子さんの代わりに、天然パーマ@運営事務局さんとともに、かつてニフティサーブを運営していたニフティ株式会社(以下、ニフティ)に突撃取材しました!

インターネットとは別物! パソコン通信「ニフティサーブ」とは

画像左から天然パーマさん、西森、ニフティの石井さんと大島さん

今回、お話を伺ったのは、ニフティ広報担当の大島さんと、石井さん。ニフティ社内にも当時を知る社員は少なくなったそうですが、貴重なお話を聞かせてもらいました。

西森さん
今日はよろしくお願いします! 私も少しの間ニフティサーブを利用していたので、お話を聞けるのが楽しみです。
天然パーマ@運営事務局
そもそも、ニフティサーブってどんなサービスだったんですか?
ニフティの大島さん
ニフティサーブとは、当社が1987年から2006年まで提供していた会員制のワープロ・パソコン通信サービスです。パソコン通信時代を代表するものであり、メールや掲示板サービス、会員同士の情報交換の場所である「フォーラム」など、数多くのコミュニケーションサービスが存在し、活発な意見交換が行われていました。

ニフティサーブに接続するための専用通信ソフト「ニフティマネージャー」の画面

天然パーマ@運営事務局
僕がインターネット世代なので、よくわかっていないのですが……。そもそも「パソコン通信」って何なんでしょうか?

ニフティの石井さん
インターネットは世界中のあらゆるネットワークやサーバーと相互に接続しているオープンな世界ですが、パソコン通信は電話回線を使ってホストコンピューターに接続する仕組みです。当時のニフティサーブは有料会員制をとっていて、会員しか利用することができませんでしたが、1996年4月には会員数100万人を突破していました。
西森さん
100万人ってすごい数字ですね。どのように増えていったんですか?
ニフティの大島さん
一番のきっかけは、OS「Windows 95」の登場でした。当時は、Windows 95搭載PCの中に、NIFTY-Serveへの入会や利用に使う専用ソフトがあらかじめ入っている機種も多かったんです。 画面に表示されているアイコンをクリックし、メニューに従って進めるだけで簡単に入会・接続ができる仕組みになっており、これが「手軽にオンラインを始めたい」という多くのお客様に高く評価されたのだと思います。
西森さん
ニフティサーブがリリースされた1987年当時はパソコンよりもワープロが普及していたと思うのですが、ワープロ文化とも密接だったんですか?

ニフティの大島さん
そうですね。「Windows 95」が登場するまでは、日本ではパソコンよりも「ワープロ専用機」が爆発的に普及していました。「まずは手元のワープロを使って通信を始める」という方が非常に多かったため、ニフティサーブも開設当初は「ワープロ・パソコン通信」と冠していました。

当初はワープロでの利用とパソコンでの利用が半々くらいでしたが、「Windows 95」の登場を境に、一気に9割以上がパソコン利用へと逆転していきました。
天然パーマ@運営事務局
時代の流れを感じますね。

日常では出会えないコアな仲間と盛り上がれた

西森さん
ちなみに、会員同士の情報交換の場としては、フォーラムのほかに、「ホームパーティ」、「パティオ」などがありましたよね。それぞれにはどのような違いがあったのでしょうか?
ニフティの石井さん
「フォーラム」には、運営責任者である「シスオペ」というユーザーが必ず存在しました。その「フォーラム」の中に、お客様の「もっと身近な仲間内だけでクローズドに楽しみたい」というニーズに応える形で、パスワードを設定して特定のグループで利用できる掲示板である「ホームパーティ」や、管理者による承認制の「パティオ」という機能が追加されていきました。
天然パーマ@運営事務局
よりクローズドなやりとりができるのが「ホームパーティ」や「パティオ」だったんですね。

当時のニフティサーブの画面

西森さん
私は当時、香港映画のフォーラムに出入りしていました。その頃は、日常生活の中で、コアな趣味のことを話せる人が周りにいなかったんですが、「ニフティサーブのフォーラムに行けば、こんなに仲間がいるんだ!」と興奮したなぁ。

私は香港映画のフォーラム以外はあまり見ていなかったのですが、ほかにどんなフォーラムがあったのでしょうか?
ニフティの大島さん
当時は無償でダウンロードして利用できる「フリーソフト」が広がっていたので、会員が制作したソフトウェアを無償公開したり、開発者によるサポートや意見交換が活発に行われていた「Software Gallery Forums」というフォーラムがありました。それから、Windows 95の普及期に初めてパソコンを使う人が大量に参加した「Windows Forums」のような、パソコン文化に特化したフォーラムも多かったですね。
ニフティの石井さん
そのほか、深夜のアニメ放送時間になると接続が集中する「アニメフォーラム」や、会員数が100万人を超えた1995年に起こった阪神・淡路大震災をきっかけに情報交換の場として立ち上がった 「震災ボランティアフォーラム」などもありました。
西森さん
アニメなどの趣味のフォーラムもにぎわっていたんですね。
天然パーマ@運営事務局
マイネ王にも、共通の趣味を持つユーザーとつながれる「サークル」という機能があるのですが、ちょっとフォーラムに似ているかもしれません! こういうところに、マイネ王とニフティサーブの共通点があるのかも。

ちなみに、当時は、どんな人がニフティサーブを利用していたんですか?

ニフティの石井さん
1990年代当時、パソコンやモデムを持って通信をしている人は、ある程度パソコンの知識があったり、パソコンを購入できる環境にあったりする人が多かったと思います。有料会員制だったので、「情報交換がしたい」「勉強したい」などの目的意識がある人も多かったです。それと、当時は名刺にニフティサーブのIDを載せて、ビジネスに利用されていた方もいました。
西森さん
たしかに、私にニフティサーブのことを教えてくれた人も、会社の中で一番パソコンに詳しい人でした! 私が出入りしていた香港映画フォーラムには、映画業界で働く人や、ライター、作家さんなんかもいましたね。そうかと思えば、私のように、地方で濃く香港映画にハマってる人なんかもいて、多種多様だった印象です。
天然パーマ@運営事務局
名物ユーザーのような方もいたんでしょうか?
ニフティの石井さん
同じフォーラムに長く参加することで、IDやハンドルネームに信用や人気が蓄積されていき、それぞれのフォーラムで有名な方はいらっしゃいました。過去に開催された「NIFTY-Serve 大同窓会 3days -オフラインで、逢いましょう。-」では、登壇者として当時の名物会員ともいえる方々が参加していましたよ。
西森さん
大同窓会はサービス終了後の2012年に開催されたそうですね。当時のユーザーは盛り上がったでしょうね!
ニフティの石井さん
そうですね。イベントだけでなく、サービス終了後も、同窓会のようにオフ会やオンライン交流を続けているフォーラムもあるようです。

ユーザーがコミュニティの運営を支えていた!?

天然パーマ@運営事務局
さきほど「シスオペ」というワードが出ましたが、それはどんな役割なんですか?
ニフティの石井さん
シスオペは単なるフォーラムの管理者ではなく、場の雰囲気や文化を育てる存在だったんです。当初は、関係者とつながりのある会員の方へ、こちらからお声がけしていたんですが、次第に「自分もフォーラムをやってみたい」「私ならこう運営する」という会員の方が増え、応募制へと移行しました。
西森さん
シスオペは完全なボランティアではなかったそうですね。
ニフティの石井さん
弊社規定のもと、フォーラムの維持・運営においてサポートに対する一定の優遇措置などを設けさせていただいていました。

シスオペの方は、ご自身の熱意あるテーマでコミュニティを動かす楽しさもあったかと思いますし、シスオペが一堂に会する会議やイベントなども定期的に開催されていました。シスオペ同士、あるいはシスオペとニフティの間で、非常に濃い情報交換や交流が行われていました。
天然パーマ@運営事務局
そこは「マイネ王」とも似ているところですね! マイネ王でも、ユーザー同士のコミュニケーションの場としてQ&A形式の掲示板があって、スマホに関する質問などが寄せられると5分以内にユーザーさんが答えてくれたりするんですよ。
それから、1対1の個別チャットでスマホの相談に乗ってくれる「サポートアンバサダー」制度を設けていて、サポートアンバサダーによるリアルイベントも開催しているんです。

サポートアンバサダーによるリアルイベント「mineoスマホ相談会」の様子。6名のサポートアンバサダーと、緑のトレーナーのマイネ王スタッフたち

西森さん
シスオペもサポートアンバサダーも、もともとは一般ユーザーなのに、運営との間に立って活躍する存在になっているんですよね。すごい!
ニフティの石井さん
コミュニティの運営を支える会員の皆さまの存在は、ニフティサーブとマイネ王さんの大きな共通点ですね!

伝説の「中村メール」とは

西森さん
私は自分のパソコンではなく、会社の先輩から借りる形でニフティサーブに参加していたので、直接は受け取ってなかったんですが、当時、「常務取締役であった中村明さんから直接、ユーザーにメールが送られてきていた」ということを聞いてました。
ニフティの石井さん
新しく加入したユーザーの方宛に、中村から「○○様、ようこそニフティサーブへ」とか、「どうですか、ニフティサーブは?」という「ごきげんようメール」が送られていたんです。これは一斉送信ではなく、中村が一通一通送信していました。
西森さん
えっ! 中村さんご自身で、一人一人に送っていたんですか!?
ニフティの石井さん
そうなんです。さらに、ユーザーの方からの返信に対しても、中村が返信を送っていました。一人のユーザーと継続してメールを送り合うこともあったとか。
参考:インターネットマガジン 1995年8月号インタビュー
天然パーマ@運営事務局
マイネ王も、コメント欄やQ&Aで意見交換を行ったり、掲示板で雑談したり、オフラインイベントで直接話したり、スタッフとユーザーの交流は盛んなんです。そういう点も、似ていると言われる理由の一つかもしれないですね!
西森さん
たしかに、SNSや、ほかのコミュニティサイトにはあまりない要素ですよね。運営側の方と気軽に連絡を取り合えるのって嬉しいし、安心感もありそう!

なぜニフティサーブはサービス終了したの?

天然パーマ@運営事務局
なぜニフティサーブはサービス終了してしまったんでしょうか?
ニフティの大島さん
インターネットが爆発的に普及したことが大きく関係しています。インターネットサービス「@nifty」を1999年に開始した後もニフティサーブの継続利用者の方が多くいらっしゃったので、最後まで運営を続けてきましたが、インターネット普及とともに利用者数が減少している事実を受け、終了しました。
西森さん
時代が大きく変化していましたもんね……。ニフティサーブは、パソコンの過渡期に、どのような役割をしたと思いますか?
ニフティの大島さん
初期のニフティサーブは会員同士だけがつながる世界でしたが、インターネットの普及に伴い、外の世界とつながる新機能が次々と追加されました。パソコン通信からインターネットの世界へと進化する、その「橋渡し」の役割を担っていったと思います。

西森さん
サービス終了後、ニフティサーブのノウハウを生かした事業や、ニフティサーブから学んだこと、引き継がれていることはありますか?
ニフティの石井さん
システムとビジネスの両面において、現在の事業に深く継承されています! システム面では、通信事業者として必要な機能の骨格はほとんどニフティサーブがベースとなっています。

またビジネス面で引き継がれているのは、「あらゆるサービスにおいて必ずお客様の視点に立つこと」という考え方。画面の使いやすさはもちろん、説明文や図解などの表現、そしてお客様からいただいたご意見をスピーディーにサービス改善へ反映させる仕組みは、当時の経験から学んだ大きな財産です。
天然パーマ@運営事務局
すばらしいですね!

ニフティの石井さん
私たちにとって最も重要なのは、「お客様の声に耳を傾け、対話を通じてサービスを向上させていくこと」です!現在にいたるまで、弊社がカスタマーサポートセンターを外注せず、自社で運営し続けているのは、このニフティサーブ時代から続く「お客様第一」の姿勢を、今も変わらず大切に受け継いでいるからです。

マイネ王とニフティサーブの共通点

西森さん
ここまでお話を伺ってきましたが……。天然パーマさん、マイネ王のスタッフとして、どんなところに共通点があると思われましたか?

天然パーマ@運営事務局
マイネ王では「Fun with Fans!」と言って、mineoファンの方と一緒に楽しみながら、サービスをより良くしていこうというスローガンを掲げています。その想いのもと、マイネ王上でたくさんのユーザーの方と交流し、いろんな意見をもらって、そこから他社にはないようなサービスがたくさんできました。そんなことをしていたら、ユーザーの方から「ニフティサーブに似ているね」って言われることが増えたんです。
西森さん
それはすごいことですね!
天然パーマ@運営事務局
ただ通信サービスを提供するだけでなくて、「マイネ王を使ってると楽しい」とか「人の役に立てる」という、価値を提供したいと考えてやってきた結果なのですが、マイネ王スタッフの僕たちはニフティサーブを利用したことがなかったので、ずっとどんなものだったのか気になっていたんです。今回は、ニフティの方にたっぷり教えてもらえて、本当に嬉しかったです!
ニフティの大島さん
こちらこそ、この度は取材のご依頼をいただきありがとうございました。そのように話題にしていただけて、大変嬉しく思っています!
ニフティの石井さん
時代やシステムは違いますが、「会員(ユーザー)の皆さまが自分たちで、温かいコミュニティや独自の文化を楽しそうに育てている空気感」は、私たちがかつて大切にしていたフォーラムに本当にそっくりだと感じます。

人がたくさん集まる場所を運営するのは、ルールの維持やトラブルの対応など、外からは見えない苦労が本当に多いはずです。それはいつの時代も変わらない、コミュニティ運営の共通の難しさだと思います。形は変わっても、ネットで人がつながる楽しさは変わりません。これからもお互いに、素敵なコミュニティの場を大切に守っていけたらと思います!


企画・編集:人間編集舎
撮影:柴崎まどか


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68 件のコメント
19 - 68 / 68
シスオペには担当フォーラムの課金額(フォーラムへのユーザー総接続時間)に応じたキックバックがありましたね。
巨大フォーラムだと年収4,000万超えたらしい。

202608121618.jpg

Nifty の運営は日商岩井と富士通がかかわってた関係で、
富士通のユーザーに関連したフォーラムも多数あったと思います。添付写真のメンバーもたいがいフォーラムで繋がってました。
電子メールアドレスもNifty ID+@niftyserve.or.jpでした。
特に FISDN は ISDN 以外にも PHS によるモバイル通信で大変お世話になりました。

余談ですが、通信料金 1,000円分が付いたイントロパックの ID、3件ほど残ってます。
なるほど。当時からパソコンは使っていたが、お遊び気分で高額な電話代=通信費や音声カプラー等の機器購入費・その他経費を個人の趣味で負担するのはかなり厳しかったので、ニフティサーブの導入はパス。という訳でインターネット以降に本格参入以前のPC世界は、雑誌に載ってたプログラムを打ち込んで、「run」する程度。個人でやってた人は…金持ちの道楽のイメージでした。そんな世界とマイネ王が似てるとは。好き者がほぼボランティアで運営に関わっているところかも。
時代は
ノジマで日立の家電買って
パソコンはVAIO買って
ニフティに加入して

ノジマ浸けになるのでしょうね
niftyがniftyサーブの時代の最後の方に参加しました。その頃は富士通傘下でしたね。

今みたいな便利なSNSがない時代、某企業のアルバイトの連絡用にフォーラムを使うからと速成栽培状態でパソコン研修を受けて、niftyフォーラム専用のニフタームというソフトもダウンロードしました。ニフタームのフロッピー付きの参考書を見つつ何とか使いました。

皆さん書いていらっしゃるように常時接続が出る前の通信費が恐ろしく高い時代、文字だけでテーマ別のお部屋が出来ていたので、個人的には写真や動画も見られて便利な反面、話題がとっちらがりになりがちな今のSNSより見やすくて使い勝手が良かったと思っています。

フォーラムがきっかけで声を掛けてくれた友人、今もずーっと仲良くさせていただいています。

困った時にしばしばマイネ王国でお助けいただいていますが、フォーラムを思い出します(お助けくださる皆様、ありがとうございます)。

フォーラムから話が外れますが、インターネット黎明期はユーザーが少なかったからか、そして日本にまだ経済力があったからか企業も太っ腹でした。ずいぶんいろいろな物やちょっとした報酬がいただけました。良い時代でした。

いつのまにかインターネット老人会メンバーの年齢となりました(その割に習熟度は低空飛行のまんまの永遠の初心者ですf^_^;)
いつもはこっそり読んでいるだけの者ですが、まさかNIFTY Serveの
話題が出るとは思いませんでした。そう言われればマイネ王の掲示板は
そのテイストを感じると言えない訳でもないですね。

フォーラムにあまりのめり込んだ訳では無く、また直接は無関係ですが
一応関連会社、業務に使える程普及する前から名刺に刷り込まれてました。
友人はもっと近い位置に昨年までいたりしました(^^;。

もっと知られてると思ったら記事読むともう世代が全然違う
みたいですね、しかたがないですねNIFTY Serve設立と同じ年の新人なので。

当時を知ってると今の状況が残念としか言いようがないですがこれも
単なる昔を懐かしむ老害ジジイの戯言になりますかな…でも数カ月前の
事件は驚愕する程の悲しみでした。自分及びパソコンをよく知らない
友人の対応をしたりしましたし…

まぁ暗い話題は置いといて前向きに考えるしかないですね(^。^;) アセアセ!
こんな風なキャラ文字?も親指シフトの変換キーで一発で出たりします(^^)
に、ニフ姉、餃子…おや、誰か来たようだ

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モデムの「ピーガー」のネゴシ音⋯夜11時から朝8時までの時間のゴールデンタイム⋯夢中になると、つい言葉足らずや粗野な言葉遣いで生じる軋轢とその後の和解⋯文字通り「オフラインミーティング」に初めて出会う人のドキドキ💓感⋯年賀状の返信に送られきた訃報の通知

「⋯何もかも皆懐かしい」♪
昔は、時間を気にしながらでね。今は、良い時代になりましたね。写真の緑のトレーナーのマイネ王スタッフたち、みなさん輝いていて、なつかしい方がいますね。
プロバイダーのニフティさんは、インターネットが始まった当初、有名で知っていましたが、ニフティサーブ?さんは、今日はじめてきいた言葉でブログを読んでもぴんっとこなかったです・・・。今回の記事、いちから勉強します。いつもありがとうございます。
ニフティサーブ入ってた
なつかしい

>> R168 さん

パソコンの中探してみたら、当時のログ残ってました。
FISDN も 5系統もあったのですね。

FISDNB の冒頭案内文です。
---------------------------------------------------------------
○インターネット,SOHOへのISDN活用などの総合的的話題は「ISDN総合フォーラム」
[ nifty:FISDNG ]へどうぞ
○新サービス、次世代通信、研究などの高度な話題、PHSなどのモバイル通信全般に
ついては「ISDNスーパーユーザーズフォーラム」 [ nifty:FISDNS ]へどうぞ
○TA機種別の話題は 「ISDNターミナルアダプタフォーラム」 [ nifty:FISDNT ]へ
どうぞ
○ルーター機種別の話題は「ISDNルーターフォーラム」[nifty:FISDNR ]へどうぞ
---------------------------------------------------------------

IMG_0369.jpeg

「DynaBook J-3100SS」でパソ通してました。
楽しかったし、膠原病闘病真っ最中だったので家で仲間ができて良かった。
アナログモデムでパソコン通信全盛の頃にニフティのフォーラムと家電量販店の草の根BBSでシスオペをしていました。いや〜思いっきり懐かしい。PC-8801にて日本語BASICで通信ソフトを自作して運用してましたが処理速度も通信速度も遅くて精神的に鍛えられたもんです(笑) 当時の仲間と会いたいなぁ…
@ニフティに加入していた頃が懐かしいです!
mineoさん・マイネ王さんが益々の好業績を挙げられ!
全ユーザーの皆様に末永く愛されます様に!
祈念しております🍀✨
懐かしいですね。 Win95以前から、Niftyは利用させて頂いたもんで。
「PC通信」と言う結構コアな部類やったせいか、割とPC関連の技術的な話題が多くて、何かと勉強させて頂いたもんです。
みんな「ハンネ」しか使って無かったので今頃、どこでど~していらっしゃるコトやら・・・。
Mobile Gearで巡回マクロ作ってました!
なつかしい~(⁠⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

>> ピカリ王 さん

同じくメールアドレスに250円払っています。周りに聞ける人がいなくてウィンドウズビギナーWINBGだったかな?過去ログ検索でほとんど疑問解消してました。その後CADのコミュニティでも色々と教えてもらって、、、懐かしいです😊
私はMacintosh PlusにNinjaTarmというフリーアプリを使い、1200ボーのジャンクモデムを繋げてNIFTYにアクセスしてましたっけね。普通の電話回線を使うので当然、電話料金もすごい額取られたものです😅
久しぶりの話題に当時を懐かしく思い出しました。
テレホタイムの瞬間を避けて、PC-386GSと電源タイマーを連携し、AUTOEXEC.BATにniftermを起動するように仕込み、寝ている未明に巡回させていました。朝起きたら、その巡回ログの閲覧とメールの返信とレス返しがルーチンでした。
フォーラムよりもPATIOに入り浸っていましたね〜
確かに、「まさか!」というオーソリティから返事をいただけたりしたのもパソコン通信時代の思い出です。

そして、マイネ王が似ているという話は言われるとうなずくところが多いです。多くの人の「善意」で成り立っているコミュニティというところでしょうか。マイネ王はこの古き良き雰囲気をこれからも残していただければと思います。

素敵な記事、ありがとうございました。
NIFTY-Serve
パソコン通信の憧れ的存在だった気がします。

電話回線もなくパソコン通信自体できない環境でしたので、手も足も出ずでした。😅😅😅

色んな意味で昔を思い出しました。
ありがとうございます😊😊😊
パソコン通信はワープロにて(^^;)ニフティサーブとビッグローブ、そしていくつかの有料&無料の草の根ネットで遊んでいました。
端末はNECだったのに富士通系のニフティの方が肌にあったのでいくつかのフォーラムに所属し、阪神淡路大震災の時は震災ボランティアフォーラムにお世話になりました。
その他分からないことなどは答がありそうなフォーラムを訪問して色々教えてもらったり地域フォーラムで地元のメンバーと情報交換したり。
人の数だけ知恵があるので大規模なニフティの中でフォーラムも多岐にわたりその中のグループの区切りがテーマによって細かくてもそれぞれが賑わっていてとても楽しかったです😊
マイネ王との共通点といえば中で親しくしていても相手が突然退会等で消えれば連絡のしようがなくなる点かも?
でもこれはネットあるあるですよね🤔
うーんと、、So-net、yahoo BB、でしたね。
モデムが送られてきて、電話のジャック(正式な名称かしら?)にポチリ。月々の支払いの安さが、決めてだったのかなあ。曖昧。
ユーザーファースト、コミュニティは、考えていなかったような。そうそう、ゲーム、ミクシー、未経験。8インチのFD、NECのパソコンからの世代。歳とりましたわ。
ニフティフォーラム懐かしいです。
当時参加していたフォーラム関連でオフ会に参加し、世代を超えて今でもお付き合いが続いております。
逆に全世界と繋がっていたわけではないので、安心して参加できたのかなぁと思ったりします。
ニフティーサーブとかPCVANとかピープルとか使ってました(^o^)丿
懐かしいです(^o^)丿
自分も若い頃ヤラカシてました!
ニフティー、People…!
当時、汎用機って呼ばれてた機種のプログラムを組んでまして、新たなシステムを作るためにキッカケを探しに御同業者と繋がりたく、パソコン通信の世界を歩き回ってました。
自分はMacintosh LC3にJTermというソフトを入れて通信してました。

ニフティ経由でアメリカのコンピュサーブにも入る事が出来ました。当然ながら表示は全て英語でしたが、日本に居ながら外国と通信してると思うと何かワクワクでしたね。
パソコン通信は、いとこの兄ちゃんがやってたけど、当時の俺はゲームにしか興味が持てなかったので、ゲームだけやらせてもらっていました。源平討魔伝とか
回線形態こそ変わりましたが、富士通時代から加入しています。
自宅から自転車圏内だったので、中高生の時は大森の事務所にいろいろ聞きに行った思い出があります。
おつかれさまです
懐かしいです
パソコン通信してましたw
JRAのIPADで競馬🏇をしていた90年代後半、競馬予想ソフトのフーラムにガンガン参加していました😊
お気に入りソフトは還暦過ぎて忘れちゃいました😅
「ニフティサーブ」の情報ありがとうございます。
「@nifty」という名称は見たことがありましたが、どういうものか全く知りませんでした。
ニフティサーブも利用したことは無いですね。
ニフティ 会員になったことないな〜
パソ通
今は、昔
武勇伝語ると嫌われるから
やめときます〜♪
Mineoいいね‼️
振り向くな もう帰れない
帰れない

風が欲しい 夜明けが欲しい
命の隙間に輝くものは
あの日みた コバルトの空
俺はゆく
ひとすじの光となって
光となって


ためらうな もう止まらない
止まらない

風が欲しい 言葉が欲しい
命の隙間に輝くものは
あの日みた 花の咲く丘
俺はゆく
ひとすじの光となって
光となって




  Heippa
'  ∧貝∧   ξ
 (  * ´ )ー・
 /   ┃
(____⊃
>手元のワープロを使って通信を始める
なんかあったなぁ
ワープロに
もう30年前なのか すごいねしみじみ
懐かしいですね~。
懐かしいです。Windows 3.1が入ったミニノートパソコンThinkPad 230CSで、ライトユーザとして短期ではありましたが細々とニフティサーブのフォーラムを覗いたりしていました。

「これからはインターネットの時代だ」という風潮に誘われてモデムでのインターネット接続にトライしましたが、なかなか繋がらずに、原因を求めてニフティで情報を探したりしてました。そういう意味でも役にたっていたと思います。
そっかー、天パーさんは知らない世代なんだ、、、

僕は1989年にFM Towns20Fを購入して、Nifty Serveに入会しました。
当時の社名エヌ・アイ・エフは日商岩井と富士通の名前を取ったんだったかな。

FM Towns系のフォーラムや、その後はHP200LX系のフォーラムに出入りしていて、当時のフリーソフトの恩恵を受けてました。
また、オフ会にもドキドキしながら初参加したことを覚えています。
200LXのフリーソフト作者さんと直接話しができたことがめちゃくちゃ嬉しかったなぁ
当時のフリーソフトは、フォーラムの中で公開して、ユーザーがフィードバックしてどんどん良いものになっていきました。
そんな過程を一緒にたどることができたのも良い思い出です。
モデムと電話回線でアクセスしていたのが懐かしいですね。
ワープロ(Sony製)→Windows3.1(所謂自作PC)→Win95・・・
自宅インターネットのプロバイダーはいまだに@nifty使ってます。

フォーラムとサークルは本当に通じるところがあると思います。
しかし、もうパソコン通信とか知らない人が多くなったのですね・・・
ニフティサーブよりfjを使っていた、という方が複数いるのは感慨深いですね。
懐かしいなぁ〜 と言うか、いまだにメインのメアドはニフティ(笑) 
フォーラムで知り合った人と今でも遊んでるし、初めての海外出張での連絡手段も海外のアクセスポイント経由でのメールでした!
 モデムが9600bpsとか4800bpsの時代ですね。niftyやvan等のパソ通、草の根BBS、大学やNTTのネットワーク、それらがつながるインターへ。
 懐かしい時代です。僕自身本格的に計算機に触れたのが丁度1995年。win95が出る直前。当時は学生で大学のSPARCstation2上でNCSA Mosaicを動かしてました。
 個人でパソコン所有している連中はniftyで盛り上がっていて系統が違ったけど、メールだけはやり取りできたっけ。良い思い出だ。
私はYahoo!BB ADSLからなのでnifty使ったことはないですが、OASYSという富士通のワープロ専用機の説明書にニフティサーブの案内が書かれていたのを覚えています。

インターネット時代に入ってもニフティさんは老舗プロバイダというイメージが強くありますね。(^^)

>> Dote chin さん

私も基本アドレスは今もNiftyです(笑)
自宅からもAPアクセスでしたけど、
確かに海外出張時も近くのAPを調べておいてホテルの部屋から
ダイヤルアップしてました。
コンセント変換アダプタとか電話のジャックの変換機とか買いました。
今も、引き出しの奥で眠ってます。電圧変換機機能付きとか。
(昔は、100Vのみ対応がほとんどでしたので)
時代の変化には驚かされます。
海外では、今もコンセント変換アダプタは必要でしょうが、
電話のジャック変換機なんて必要ないんですよね。
もう、老害にならないように努力するような年になりました(涙)
懐かしくなってログインしてみました。
メールサービスが不正アクセスされたとのことで、パスワード変更を促されました。
放置していたメアドですが、今回、対応できてよかったです。
24,96,144,288,INS64とか通信発展期は楽しかったなあ。
WindowsNT 3.X時代に JW-Cad for MS-DOS 2.X 時代 NIFTY Serve の建築フォーラムで公開し利用者がフォーラムでユーザーが問題点があればスレッドを立ててユーザー同士でサポートしており、利用しておりました。
建築フォーラムはその当時 建築士や建築現場監督で利用している方は多くいたと思います。
 その当時 CADソフトは100万超えがほとんどのところに 無料で使えるCADが現れ こぞって 利用する方が増えて 日本の代表的なCADソフトになっている。 NIFTY Serve建築フォーラムがなかったら日本のCAD創世記はもっと混沌していたかもしれません。
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