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世界初のポータブルPCは25kg?「昔の携帯用ガジェットは重かった」から見る技術の進歩
ガジェット・ローカルネタ・卓球が好きなライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。
「昔の携帯用ガジェットは、重かった」。
例えば、1985年に登場した日本初の携帯型自動車電話、「ショルダーホン」。約3kgもの重さが、その名の通り肩にのしかかる、ズッシリ仕様でした。
さらにその後、1987年に発売された日本初の携帯電話「TZ-802」。連続待ち受け時間は6時間、重量は約900gとだいぶ軽くなりましたが、まだまだ気軽に使えるものではありませんでした。
なおスマートフォンの元祖は、1994年にIBMが発売した「simon」とも言われています。640×200ドットのモノクロ液晶でしたが、約510gという重さでした。iPhone 16は170gですから、3倍違います。
操作は基本的にタッチパネルで行い、電子メール送受信、ペン入力によるメモ、電卓、カレンダー、世界時計などが使えました。
これ以外にも、昔の携帯用ガジェットは驚くほどに重かったのです。しかし、それでも出始めの頃は画期的だったもので、例えば発売前のショルダーホンも、日航ジャンボ機墜落事故の捜索隊に使われました。
そして、ガジェットが徐々に軽くなっていく過程にも、科学技術の大いなる日進月歩がありました。
今では考えられないヘビーなモバイルライフをのぞきつつ、技術の進歩に迫ります。
世界初のポータブルコンピューターは「25kg」あった
今では驚くほど軽くなったのが、ノートパソコン。例えば富士通の2024年冬モデル「FMV Zero」は、14型ノートで世界最軽量の約634gを実現しています。
しかし、世界初のポータブルコンピューター、「IBM 5100 Portable Computer」の重さは約25kgもありました。
今の感覚ではとても携帯できるシロモノではありません。これをスターバックスで使っているノマドワーカーがいたら、褒めてあげたいほど。
これだけの重さでありながら、ディスプレイはわずか5インチのCRTディスプレイで、中央ではなく左端に付いていました。
しかし、さまざまな機能を一台にまとめ、あとはプリンターさえ外付けすればいい画期的なものでした。
そこから徐々に重量は軽くなっていったのですが、1989年にAppleから発売された、「Macintosh Portable」はまだまだ重いものでした。
こちらもポータブルという言葉とはほど遠く、ハードディスクモデルでは7.2kgもの重量がありました。それも影響して日本では数百台しか売れていないという説もあります。
しかし、Macintoshで初のバッテリー駆動および、視認性の高いTFT液晶をいち早く搭載するなどした画期的な一台で、後のMacBookにもつながる礎になったとも言われます。
ちなみに、本格的なパソコン持ち運び時代を到来させたのは、1985年に登場した東芝の「T1100」。3.5インチフロッピーディスクを採用して小型化を図り、約4.1kgという軽量を実現しました。
それでいて8時間のバッテリー駆動を可能とするなど、ここから「ラップトップPC」の市場が世界で拡大し、我々の知る軽いノートパソコンへとつながっていくのです。
「ゲームギア」より重いゲーム機があった
携帯ゲーム機も、黎明期は重いものでした。
例えば国産の携帯ゲーム機として、初めてのバックライト付きの3.2インチカラー液晶ディスプレイを搭載した、1990年発売の「ゲームギア(セガ)」。
電池未挿入の状況で約380gあり、単三電池を6本を追加すると、約520gにもなってしまったとか。
しかも単3アルカリ乾電池6本を使っても、稼働できるのはわずか3~4時間のみ。長く動作させるには、替えの電池を持っていったり、ACアダプターを携帯したりする必要があるため、さらに重くなってしまいました。
このうえにTVチューナー、ビッグウインドーII、充電式バッテリーパックなどを付けると一眼レフカメラのような姿になり、セガ公式サイトが「大きさ・重量ともに、お世辞にも携帯ゲーム機とは呼べない」と認めたほど。
ちなみに、かつての携帯ゲーム機の中でもひときわ重かったのが、「Atari Lynx(アタリコープ)」。3.4インチのバックライト型カラー液晶を搭載し、2インチのスピーカーとヘッドホン端子を備えて、臨場感あふれるゲームを楽しめました。
日本でも販売されていたものの、影の薄かった一台。重さは単3乾電池6本と合わせて、700gほどありました。
ちなみに1989年発売、任天堂が生んだ大ベストセラー「ゲームボーイ」初代機も約220gあり、単3乾電池4本とゲームカートリッジを挿すと、約334gとなかなかの重さでした。
しかし、この初号機があったからこそ、軽さと高性能を兼ね備えた後継機が生まれたのです。
ウォークマン以前にも“携帯オーディオ”があった?
携帯用オーディオの起源は1979年に発売されたウォークマン、「TPS-L2(ソニー)」と言われています。重さは電池を入れて約390gで、当時としては感動モノの軽さでした。
ちなみに2024年10月現在で現行のウォークマンである「NW-S310」は、本体のみでわずか約53gです。
このウォークマンが出るまでは、携帯用テープレコーダーで音楽を聞いていた時代も長かったと聞きます。その元祖と言われたのが、1963年発表の「Philips EL 3300」です。重さは約1.35kgありました。
しかし乾電池で動き、片手で持てるほど小型と、当時としては驚くほどの利便性がありました。ここからウォークマンやiPodなどへの礎が築かれたのです。
電卓の重さは7年で10分の1に
今では小さなタイプばかりで、完全に携帯用アイテムの一つとなった「電卓」ですが、昔はその名前の通り、卓上にドッシリ据えて使うものでした。
1962年に発売され、世界初の電卓と言われるのが「Anita MK8」。各桁について1から9のボタンの付いたフルキーボード方式を採用し、重さは約14kgありました。
その後、技術革新を重ねて電卓は小さくなっていき、1969年に発売されたシャープマイクロコンペット「QT-8D」は、重量1.4kg。わずか7年で10分の1になりました。
史上初の完全ELSI(多機能大規模集積回路)化で発売され、当時は「電子ソロバン」との異名もありました。(ぎりぎり)手のひらサイズで、価格も9万9,800円と、電卓を個人で持てる時代をもたらしたと言われています。
重い専用機時代から、スマホ一台でも完結する夢の時代へ
テレビ付きラジオカセットテープレコーダー、その名も「ラテカセ」。3つの機能を一つに集めた力業的な商品で、1970年代後半から1980年代中盤にかけてヒットしました。
しかし、この3つを当時の技術でてんこ盛りにすると、どうしても重くなりました。
中でも1977年に発売された「ナショナル TR-512F(松下電器産業、現パナソニック)」は重く、本体のみで6.7kg。電池駆動をするためには単一乾電池が9本必要で、137g×9=1233gほどの重さが追加され、8kg近い重量にまでなっていました。
さらに当時としては高価で、6万9,800円しました。しかし、テレビが一家に一台だった時代にチャンネル争いに加わらなくて済んだり、モノとしての所有感を大いに満たせたりするため、人気が続いたようです。
これに加え、1979年にはコンピュータと時計まで入れ込んでしまった「ラテカピュータ(シャープ)」まで発売されましたが、わずか200台を生産するにとどまったとか。
時代が進むにつれて、「ラテカセ」はジャンルとしてほぼ存在しなくなりましたが、「何でも一つに詰め込む精神」は、どこかでスマホにつながっている……かもしれません。
なお、当時のガジェットの傾向として、相当な重量があるものも、無理やり取っ手をつけて「ポータブル」と言い張るものも多くあったようです。
また、そうでないものに関しても、どうにか持ち運ぶ猛者もいたのだとか。
その後も……「世界最小・最軽量」の機器を作るのが得意な日本のメーカーなどが、どんどん軽量で、携帯できるガジェットを生みだしていきます。
そして今では、全てがスマホに収まるようにもなりました。
重い専用機をどうにかして使っていた時代を超え、全てを手のひらで享受できるようになりました。
クオリティを求めれば、それぞれの専用機に一日の長があることもいまだ多いですが、「何でもできる」というすばらしい選択肢を与えてくれたのが、スマホです。
そのありがたみを大いに感じ、文明の利器の結晶を、大いに使いまくろうではありませんか。
編集:ノオト
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携帯ゲーム機と言ったら
【ゲームウォッチ】
じゃないか!!
忘れるんじゃねーよ
これだからセガ派は…(セガ派か知らんけど)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲーム&ウオッチ
セガのより早く(約10年前)から発売され、コンパクトの物で、当時は流行ったんだぞ。
今でも持ってるものあるもん。
それと、重さを強調した記事を書くなら、重さの源泉が何だったのか?取材して紹介して欲しかった。
コンデンサやバッテリー(または電源)が、
重さの源泉なのか?
集積回路の(基板が大きかった事)が、その根源だったのか?それが小型化されて軽くなったとか、示さないと、ただの古い物の紹介だよ
おそらく、部品全体の小型化が発展の歴史なんだろう。
将来は、スマホサイズに量子コンピューターが載るようになるかなー?
いや、スマホすら持たない時代になるかなー?
首に下げた端末からホログラフィが空間に映し出されて、使えるようになる物の開発とかされてるからな、
そういう研究の進捗状況まで取材して紹介して欲しかったなー
>> KZ改TOUFU さん
親のだけど、家に埃被ったものが今もあります。タイプライターもあるAIに人の仕事がどんどん取られていきそうで怖いです。
持ち手が出し入れできるタイプ・・わかるかな?
小生が入社当初のデータ保存メディアが8インチFDDだったと記憶しています。ワープロは東芝の初期バージョンだったと記憶して行います
重い、、大きい、、滅多に目にしない、、懐かしいです。
コピー機は無くて、青焼でしたね。製図の図面も焼ける大きな大きな青焼。
一枚ずつ手差しでしたね。あー懐かしい。
開発者に感謝です。
青みがかったモノクロの液晶でわりと見やすかった。
3.5インチのフロッピードライブ起動でMSDOS-3.4とFM-OASYSを使ってました。
携帯も最初のハンディーフォン使ってました。
電池がニッケル水素で、出張時は予備の電池パック2個位もって行きました。
ポータブル(可搬型、1人で持ち運べて 100Vのコンセントから電源を取って使うもの) と
携帯型(バッテリーから電源を取って移動中でも使えるもの)とが
ごっちゃになって紹介されている様に思いました。
取っ手が付いていたボンダイブルーのiMacも見たかったです♪
可愛いね
>> Jolie さん
昭和から平成に代わるくらいの時期ですが、とある雑誌でJ3100の特集をしているのを読んだ記憶があります。確か6kgぐらいの重さだったような。
後のdynabookにつながるものですね。
長じてアメリカ人の友人の仕事を手伝った時仕事場にはPC9800ではなくMacintosh。
分解する時に必要なドライバー等専用品を探すのに見たカタログに「どこにでもあなたのMacintoshを連れていこう」と専用バッグが掲載されているのを見てアメリカ人はこんな重さの物を持って歩くのかと慄きました。
でも記事によれば日本でも持ち歩く方がいらっしゃったのですね。
肩を壊されなかったのでしょうか(^^;)
しかし、その時に今のようなスマホ全盛の世の中が来るなんて予想だにできませんでした。
テクノロジーってすごく便利ですが、ある意味恐ろしいと思うのは私だけでしょうか。
中盤〜今直前はスルーされがちなんですよね…
CDラジカセ
各種ポータブルプレーヤー
ガラケーのサイト、ワンセグ、写メ
PDAと小型ノートPC、GPSと地図
安定して動くAndroidのNexus7、モバイルバッテリ
そしてそれらに合わせたネット回線やアプリ
なんだかんだ技術進歩は物凄い
最初に仕事で使ったのは、電卓で厚くて重たかったです。
次がワープロ、ノートパソコンでした。
個人では高価で買えなかったですね。
最初に買ったのは、ガラケーでした。
ガジェットの技術的進歩に驚くべきものがあり、これからも進化し続けていくのでしょうね。
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#マイネ王10周年おめでとう!
ありがとう御座いました。
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9800円で買えたよ
50年後の世界が怖いです!!
キャリングケースもまだ有ります(更笑
当時は車に積んで持ち運んでましたが、友人に聞かれたら『布教道具』って言って笑ってました。(マック教布教の為🤣🤣🤣)
NEC PC-9801T
重量10.3キロの巨体なのに、ラップトップ機。
>> KZ改TOUFU さん
MSXはマイクロソフト関連の傑作だし、日本でも300万台は売れたし、まぁ確かに最盛期は83年からMSX2が出た85年くらいまでかもしれないが、当時(中学生)の感覚だと決して一瞬で消えた訳ではなく、自分もお世話になったし(グラディウス2は傑作だ)、グヌヌ…>> sma さん
昔の職場でザウルスを扱う同僚を羨ましく見てた気がするが、それも一瞬だったか…絶対、最近の人の考える「一瞬」って早いよな(何年かのものでも)w
>> amarift さん
「Windows Phone良さそうだなぁ、次はあれにしようかな」と思ってたら、消えちゃいましたしね。メモ帳が標準でついててLINEが使えれば、自分としては持ち歩けるWindows PCとして完成形なんですけど。