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思えば、ほしいガジェットを買えず、じっとガマンすることの多い人生でした。
お金がなかったり、人気すぎて売り切れてしまったり、どうしても買えなかったアイテムたち。
ですが、それをとうとう手に入れるときが来たのです。
2023年の今では「生産中止」となっている、かつての人気ガジェット。今やメルカリなどで安く売られているのでは? 今こそそれらを手に入れて、あの日手に入れられなかった悔しさを晴らしてみます。
意を決して、筆者は中古相場を見てみました。あの一世を風靡したガジェットたちは、現在どれくらい安く売られているでしょうか?
しかし中古相場を眺めてみると、まだ意外と高いものも目立ちます。
たとえば2001年11月に発売された、初代iPod。
ハードディスクで大量の楽曲を持ち運ぶ音楽スタイルを広めた一台は、メルカリですらまだ2万3,000円ほどします。
1990年10月発売、セガによる国産初のカラー液晶携帯ゲーム機・ゲームギアも、問題なく動作する本体は1万円からが相場です。
AIBO(ソニー)はジャンク品を除くと、安いもので4万5,000円台から。1999年6月から販売され、もう24年経つと言えども、まだまだ高級なアイテムのようです。
このように、まず現実に突き落とされるのがこの企画のスタートでした。なぜなら、予算を合計3万円以内に設定したからです。
しかしそれでも探していくと、安く売られているかつての人気アイテムがありました。
登場するのは、勝手ながら筆者の思い入れのあるものばかり。ただ、同じ時代を過ごした多くの方には共感していただけるのでは、と期待を込めてお送りします。
2010年5月、「何だかわからないがすごいもの」として日本に登場したのがiPadです。すでに病魔におかされていたスティーブ・ジョブズの忘れ形見とも言えるかもしれません。
2010年の日経ヒット商品番付【※】でも、東前頭9枚目に名を連ねました。
※「日経MJ(日経流通新聞)」が1971年の創刊時から毎年発表している、相撲の番付になぞらえたヒット商品のランキング。
まだiPhoneの最新機種が3GSで、わずか3.5インチの画面だった時代、9.7インチという圧倒的に大きな画面サイズで登場したのがiPadでした。
当時少しだけ触ったことがありましたが、とにかく未来を感じました。こんなにスイスイ動いて迫力がある情報端末があるのかと、今でも感動を覚えています。
そんな初代iPadを、また触ってみたくなってメルカリで購入しました。当時は4万8,800円~でしたが、購入価格は2,500円です。
13年後の今持ってもまだテンションが上がる質感。総重量の680gは現行モデルの1.4倍ほどの重さですが、許容範囲です。
しかし今考えると、信じられないくらいにベゼルが太く見えます。当時はこのボディから「未来」しか感じなかったのですが……諸行無常。
このiPad、ブラウジングはまだ何とかできます。最近iPhoneやAndroidの元祖機などを使う機会がありましたが、それらよりはまだ見られるページが多い印象でした。
たとえば、我らがマイネ王のページも……表示は崩れるものの、閲覧できる範囲内でした。
Yahoo!ニュースやスポーツナビなどのページも、多少レイアウトがずれるくらいで、見られました。
ただし、1024×768と解像度が粗く、現在のきめ細やかなディスプレイに慣れた目からすると、うっすら無理して読む必要がある感じ。
さらに、Twitter(現:X)やYouTubeなどはエラー画面が出て、見られません。
続いてはApp Storeを触ってみましょう。しかしここで難問があります。そう、iOSが「5.1.1」で、古すぎるのです。
初代iPadより前に発売された、iPhone 3GSのiOS 6.1.6よりもさらに古いバージョンです。
そのため使えるアプリはほとんどありませんでした。
しかし、海外製のゲームアプリなどは何とか使えるものがいくつかあります。
このほか、iOS10以降は単独のアプリとしては消えた「Game Center」や、iOS9でApple Newsに取って代わられた「Newsstand」など、今では存在しないアプリもまだ元祖iPadでは健在でした。
いま触ると、当時感じた感動とは違っていたけれども。じっくりと使い、13年ぶりの再会と感慨を噛みしめました。
次は、往年のコンパクトデジタルカメラファンが泣いて喜ぶ、IXY DIGITALです。日経ヒット商品番付でも2000年の東前頭2枚目に入っています。
今回購入したのはシリーズ第2弾にあたるこちら、2001年5月発売のIXY DIGITAL 200。約200万画素の写真が撮影できる機種でした。
発売時価格は7万2,000円でしたが、メルカリにて5,000円で購入しました。
このIXY DIGITAL、コンデジ全盛期を代表する大ヒット商品ですが、個人的にはCMキャラの中田英寿なしでは語れません。
2000年代初頭は海外サッカーがもっとも人気だった時期のひとつ。街には思い思いのユニフォームを着た若者であふれかえりました。
その人気の頂点に立つのが中田英寿で、私もファンでした。そんな彼が何年もイメージキャラを務めたのが、IXY DIGITALだったのです。
いろいろと、当時からの同梱物が入っています。
その中には、ずっと手にしたかったカメラがありました。
思わず「ホントに俺が手に入れたのか」と心の中でつぶやいてしまいました。長らく憧れていたからか、まるで宝石のようにも思えます。
そして、当時のガジェッターたちの胸を高鳴らせた、小さくてどこか工芸品のような美しいフォルム。
今持っても惚れ惚れする姿で、本体のみの重量は約190gにすぎないコンパクトボディ。
なお付属品のデータカードは、当時全盛だったコンパクトフラッシュ。現在の標準になったSDカードと比べたら、その大きさは歴然です。
さらに、容量は8MB。8GBではありません、その1000分の1です。
当時は、これくらいの容量が当たり前でした。デジカメユーザーはたまらず節約するしかなく、640×480くらいで撮影することも多かったもの。
動画も撮れますが、同梱の8MBカードでは640×480サイズを約6秒撮影できるのみでした。
さっそく街へ出て撮影しましょう。
光学2倍ズームも搭載。2倍というとズーム幅が小さく見えますが、まったく付いていないよりはだいぶマシです。
空の白飛びは目立ちましたが、2001年のコンデジと思えばまずまず写せているのでは。
ISO感度は150までしか上げられないので、夜間は必然的にフラッシュ撮影が多くなります。そのため独特の描写となり、さらに遠くのものを明るく写しにくいですが、近いものはしっかり対象物を写してくれました。
少しでも暗いと、室内でもフラッシュがバンバンたかれるため、本が読める程度の薄暗い部屋でもこんな描写に。
近接撮影はピントを合わせづらく、下のようなピンボケ写真を量産してしまいました。
……と思ったら、「マクロモード」にする必要があったようで、設定するとちゃんとピントの合った写真が撮れました。
何せ通常撮影でのレンズ先端からの最短撮影距離は57cmと、かなり遠いもの。マクロモードはズームの広角側なら10cm、望遠側で27cmと、マクロモードにしてはじめて近接撮影ができる設計だったようです。
今使うと、ちょっとトイカメラチックなおもしろい質感の写真が撮れるIXY DIGITAL(200)。
スマホの台頭によってコンデジが売れなくなった今ですが、当時の貴重な写真を多く残した功績は計り知れません。
最後はZaurus(ザウルス、シャープ)です。現在のスマホのような機能を行えるモバイルツールで、ビジネスマンを中心に人気を博しました。
1997年の日経ヒット商品番付では「モバイル情報機器」として東関脇に。Zaurusは当時のモバイル機器の150万台市場でもトップシェアの40万台超を売っています。
当時まだ子どもだった僕は、「多機能で何やら楽しいことができそう」という漠然とした憧れを抱えていました。
しかし、Zaurusは市場に出回る中古品が少なめ。かろうじて3,200円で手に入れたのが、1999年発売のZaurus igeti MI-P1-LAです。
主にビジネスに使う人を想定していたZaurusの中でも、カジュアルな利用をめざして生まれた一台。約11~15mmと薄く、約135gの軽さとハンディサイズを実現しています。
さっそく画面を見てみましょう。起動すると、一瞬「Welcome to Space Town」なる画面が登場します。「20世紀に描いていた未来像」を思い出す構図で感慨深い。
画面が開きました。モノクロ画面がちょっと見にくいですが、注意を凝らして見ていきましょう。
看板機能はインターネットでの情報収集でしたが、そのほかの主な機能はこんな感じ。
・パーソナルデータベース……自由に項目を設定して、身の回りの情報を自分なりに整理できる
・アドレス帳……住所、電話番号はもちろん、メールアドレスや誕生日まで登録できる
・アクションリスト……やるべきことを重要度順に整理する
・手書メモ/フォトメモリー……メモや地図などをサッと手書きし、メールに添付できる
電話やメールくらいしかできなかった当時のガラケーにとっては、よき相棒だったのかもしれません。
だが、2023年にこのZaurusをいざ手に入れてみると、使い道がありません。当時全盛だったタッチペン「スタイラス」を使い、電卓を使うのが関の山でした。
せっかく手に入れたZaurus。当時を思い起こすようなことで使ってみたいと思い、「公衆電話からインターネット」にチャレンジしました。
街角から減りゆく公衆電話。その中でも貴重なグレーの電話機が、実はインターネット接続機能を備えているのです。
しかし、身の回りの知っているグレーの公衆電話はなく、ネット情報を頼りに、グレーの電話機を探す旅に出ました。
ネット情報を頼りに来たのは世田谷区。馬事公苑の周りにいろいろあるとの話でした。
さっそく見つけたグレーの公衆電話機。しかし、もう電源が抜かれているようで、使えません。マニアの方曰く、「グレーの電話機は続々とお役御免になっている」とのことで、世知辛いものです。
近くの団地や公園にもグレーの電話機があるとの話でしたが、すでに更地となっていました。
途方に暮れて歩くと、某施設のそばにグレーの電話機はあったのです。
何やら画面が損傷していますが、さっそく接続してみましょう。別売りのモデムからモジュラーケーブルをつなぎ、電話機右下の穴に差し込みます。
というか背景がいきなり昼から夜になっていますが、接続で手こずっているうちに夜になってしまったのです。
そして、やっとインターネットがつながりました。
しかし「ネームサーバーが応答しません」「URLが間違っています」などと出て、なかなかページが表示されません。
どうやら当時からZaurusで割とあるエラーだったようで、何をやってもうんともすんとも言わないまま、あきらめて回線を切断しました。
数分接続しただけで、テレホンカードの度数は17度→8度に減っていました。
今度は、もっと準備してリベンジ……と思いましたが、次の日、まったく電源がつかなくなりました。このへんで、おひらきにすることにします。
あの日「好き」と言えなかった娘に、もう告白できなくなってしまうことは多いもの。
しかし、あの日に買えなかったガジェットを安く買って、どこまでも味わい尽くすことはできます。
ぜひ、遅れてきた青春を満喫してみませんか。
編集:ノオト
昔からのデータが入っています。
そういえば公衆電話激減したと言われて久しいですが、グレーのやつは存在すら忘れてました。
これからは外で気にして探してみようかな
ザウルス MI-106
1998年 仕事で使用してました
電池交換したら、起動しました
データも残っていました。
楽しみにしてますね!
ちょっと私には無理ですね〜
当時は、とってもほしくて、給料もボーナスもはたいて、買った記憶がよみがえってきました(涙!!!)
今でも、壊れずに?大切に保管しています!!!
さっそく、壊れていないか?使ってみたいと思います(笑!!!)
グレーの公衆電話機って、ディジタル公衆電話機(ISDN対応)は、一時は、人気有りましたね。
デジカメは、カシオのQV-10を使ってましたが、新しい物が出ると、欲しくなります❗️
私には、出来ない取り組みに挑戦され、大変お疲れ様でした。
🤗🙇🤗
デビュー当時は同時に、書籍のPDF化(電子書籍化)も大流行りだったのを覚えてる。読み取り機に通すために、バラバラにされた書籍が印象的で、衝撃的でもあった。
私はCASIOPEIAだったし、友人はCLIEだったしで、ザウルスを使ってる人はいませんでしたが、PDAの一時代を築いたことは間違いないですよね。
IXYは残念ながらあんまりわからんかったっす。
敬意を込めて、お疲れ様でした(^^)v
必要に駆られてタブレットを持つようになりデジカメを買わずじまいです。
グレーの公衆電話には、こんな働き…機能が付いていたのを初めて知りました。
グレー見かけませんねーー出会いたいですね。
ご近所にmineoカラーの公衆電話がボックス無しで台の上に鎮座してるものがあります。
使用している方を見たことがないですね。
鎮座しているだけで安心感がありますね☺️🍀🤙
2000年代 初代iPad、IXY DIGITAL、ザウルスの説明をありがとうございます。
私はまだスマホを通信代が高いので携帯電話、カメラはIXYのフィルムタイプは持っていましたがデジタルはオリンパス光学工業製、ザウルスは興味なし、それから少しして音楽用にウオークマンからiPod shuffleに切り替えました。
過去を反省してみると、何も考えずに処分してきましたね!
勿体ねー😞
#メディアの変遷もちょっと困ったりする
(LD,S-VHS→DVD,Blu-Ray...20年後は?!)
日本のカメラが欲しいって言われて、20年前Canonのデジカメ買って、マレーシアまで現地民に持って行ってあげたけど~(喜んでた)🌴その頃だってmade in Chinaが普通だったような😆
住所録管理と出張時のレポートの下書きに使ってました。
今では全てスマホで簡単に出来てしまいます。
まだ書棚の片隅に置いてあるので、久しぶりに電源を入れてみようかと。
エサあげなくても、トイレ用意しなくてもいつでも好きな時に遊べると安易な気持ちで購入。
実際スイッチ入れて動かすと、モーター音が気になるし、フローリングでは滑って転ぶし、待機中に掃除機ぶつけて起こしてしまったりとアニメのよう(ロボット類)にはいかないと痛感しました。
相手をしないと、学習機能が低下するし、気に入らない叱り方をすると片足上げて「おしっこ」する動作(音付き)はするし、ひと月もたたないうちに押し入れにしまい込んでしまいました。
高かったのに・・・。
あと、気に入らない性格に育った場合、リセットできる事に疑問を感じました。生き物だったら、リセットなんてできませんから。
私も古いガジェットを出して来ました。
電子手帳を持ってましたが、メモリーが不足するので使えんなと思ってました。
ノスタルジック。
普段、ゲームしませんが、昔、息子に買った、プレステのペプシマンのゲームは、クリア出来ないけど、遊びたいです。
売っぱらっちゃいましたけど。
当時の携帯は2G(セルラー,IDO-ブランドはau-のみ2.5G)で、Mbpsの速度と携帯単体でネット接続できる3Gより前の時代でした。ケーブル接続でPHS繋いでましたね。
私はその後キーボード付き→カメラ付き→Linux機とZaurusを変えました。ストレージもTypeII CF(少し厚い)、MicroDrive(CFサイズのHDD:1GB)とか使ってました。PHSも通信用にCFタイプに変えましたが、それが今も通話用と通信用に2台持つ状態の最初でした。一時期はこの倍以上も回線契約していたことも...。
縦長スリムなiPodを電車内で使っていたある日、イヤホンから聞こえているのに、内臓スピーカーからも聞こえているという恥ずかしい誤動作をやられました。その誤動作は本体リセットしたら治りましたがもう後の祭りです。その後はずーっとWalkmanユーザです。
正にロマンですね。
IXYも持ってた。。
ザウルスだけは、、でも欲しかったなぁ~
懐かしいですねぇ~
当時はヨドバシカメラで、120,000円を分割2回で購入しました。
4年以上プライベートで使いましたが、Watch OSのアップデートができなくなり、やむなくApple Watch 5を購入しました。こちらは今でも現役ですが、次のWatch OSに対応できるかどうか不安な部分もございます。
最近、昔のデジカメは解像度が良くないことがエモとかで、JKに人気があるとのこと。
いつも楽しい企画ありがとうございます!
ユーザー歴はまあまあ長いのに
mineoがこんなにすごいとは
知りませんでした( ・ิω・ิ)
mineoユーザーでよかった!
mineoファミリーの皆様いつもありがとう
ございます!
そしてこれからもずっとよろしく
お願い致します!
当時欲しかったなぁ。
今はネット環境が当たり前になっていますが、携帯端末でインターネット接続できることが驚きでしかありませんでした。
灰色の公衆電話、ありましたね・・・。ISDN回線が便利でした。
私は公衆電話では利用したことはありませんでしたが、Windows98が出た時は衝撃でした。
MS-DOSから使っていたので、この30年で一変したように感じました。