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長らく日本の電話の代名詞だった黒電話。特に1985年の通信自由化までは、多くの人々がこの電話機で通話を行っていた。
「50年持つように」を合い言葉としてつくられたとも言われ、実際に50年以上経ったいまも使えるものが多いほどの頑丈さで、当時の貴重な通信手段を支えてきた。
ちなみに1985年まで黒電話はずっとレンタルでしか持てなかった。いまでもNTTでの新規レンタル契約は180円+税で受け付けていて、レンタル契約中での買い取りも可能だ。2024年の電話網IP化の後も問題なく使える。
筆者も含めて、黒電話をほとんど使ったことのない30代以下の人には漠然としたイメージしかない黒電話だが、あまり知られていないスゴいところがたくさんあるという。
今回は、電話の歴史を研究する、東京・武蔵野市にあるNTT技術史料館にやって来た。広い館内に数々の貴重な電話機らが展示されているここで、史料館の担当者さんに話を聞いた。
まずは1950年に誕生した、4号自動式卓上電話機(以下、4号機)のダイヤルを回し、生まれて初めて黒電話での通話を体験する。
※新型コロナウイルス感染症対策のため、体験コーナーは一時休止中。今回は特別に体験させていただいた。
▲館内の別の黒電話へ発信
モヤがかかったような、妙な違和感を感じさせる音質なのかと思ったら……その予想は裏切られた。現代でも完全に使える、一点の曇りもない音質なのだ。肉声とは違う独特の響きではあるが、製作者の「しっかり声を届けよう」という意志まで感じるような、確かな通話品質であった。いまのスマホと比べても遜色ないどころか、電波状況次第ではこちらの方が上かもしれない。
——すごく音質がよくて本気で驚きました。ホントに1950年に生まれたんですよね……?
担当者:ええ。いまのメッセンジャーアプリの通話機能よりも、よく聞こえるかもしれません。ちなみに、1962年にできた600形自動式卓上電話機(以下、600形)はさらに音質が向上されていますよ。
——どんな音質でしたか?
担当者:数年前に地方の文化会館での内線電話で600形を使ったんですが、現代でも「聞こえづらいとは思えない」音質でした。
——60~70年前に生まれた電話機が、違和感なく使えるのなら相当なことですね。
担当者:できることが限られている分、構造はシンプルで壊れにくいんです。
——中には回路図の説明書も入っているので、修理を担当される方も参考になりますしね。
担当者:持つと重さが分かりますよ。受話器をかける部分の後ろ側に、持ち運びがしやすいように手を引っかけるところがあります。
——4号機は重いなあ。600形はまだ軽いですね。
担当者:4号機は約2.5kgで、600形は約2kg。500gほど軽くなりました。
——受話器の重さも違う。
担当者:ええ、4号機の受話器は約450gで、600形は約340gです。「4号機の重さが懐かしい」とおっしゃる来館者さんは多いですね。
——もっと鉄アレイみたいに重いのかなって思ったんですけど、イメージしたよりは重くなかったです。それでもスマホで最重量級の機種ですら226gなので、かなり重いですけどね……ちなみに、なぜ重いんですか?
担当者:今のようにICとか電子部品ではなくて、物理的に動くダイヤルなどの部品を使っていますから。あとは当時の材質の問題ですね。
——ただし、この重さのせいでダイヤルしても動かずに、どっしり安定感がありますね。
——ちなみに、いろんなメーカーが同じ黒電話をつくっていたと聞きますが……
担当者:はい。各電話機メーカーが、電電公社(NTTグループの前身)の仕様書に基づいて同じものをつくっていました。
——メーカーごとに品質の差は出なかったんですか。
担当者:基本的には出ないはずです。
——今じゃ考えられないですね……! SONYとかSHARPとか、競い合ってスマホをつくっていますけれども、昔は全く同じ電話機をつくっていたのか。
担当者:電電公社として、当時の武蔵野通信研究所の中で音質がよい、使い勝手がよい電話機をめざして研究開発されたのが、この4号機だったんですね。これを世に生み出すために研究者が努力してつくり出したんです。
——4号機は「ハイファイ電話機」といって、当時としてはとてもスゴいものだそうですが、どんなところがよかったんですか。
担当者:音質が格段に改善されたんです。前のモデルの3号自動式卓上電話機(以下、3号機)の製造は、つくる人の経験やその場での調整など、経験に由来するもので成り立っていたんですが、それではいけないと。
——3号機は、職人のカンのようなものでつくっていたんですね。
担当者:その後、研究開発されたのが4号機です。以前の音の聞こえやすさの試験では「本日は晴天なり」が聞こえればOKでしたが、4号機は全く意味の成さない文字1つ1つをランダムに並べたものを読み上げて、聞き取っている側の正答率で聞きやすさを確認したんです。そのように数値化された試験を乗り越えたので、諸外国の電話機よりも、格段に音の聞こえやすさが向上したんです。
——しかも、職人芸なしで大量生産できるようになったわけですね。
担当者:ええ、100万回のダイヤル試験や高さ1.5mからの落下試験にも耐えた4号機は、一段と普及しました。そのあと、1962年にできたのが600形の電話機です。
——きた、これ。いちばん見かけた感じのビジュアルですね。
担当者:そうですね、黒電話として多くの人がイメージするのは600形だと思います。まず通話機能はさらに改善されました。また、ダイヤル文字が回転板の外にあって、文字が見やすくなりました。
——いよいよ完成されてきた感がありますね。ちなみにこの黒電話、質実剛健で壊れにくく、戦後につくられたものでも使えるものが多くあると聞きます。
担当者:はい。特にこの600形は「1箇所壊れる=全部取り替え」ではなくて、壊れている部分だけ取り替えられる工夫がされていますね。
——万が一壊れても直しやすいのか、だからこそ今でも使える電話機が残ったんでしょうね。
担当者:この600形の後も601形電話機があって、そのシリーズがダイヤル式では最後の電話機になりますね。オイルショック後の経済性を考慮して、600形を改良してつくられた黒電話でした。
——こちらの黒電話にはダイヤルがついてないですね。
担当者:はい。もともと電話にはダイヤルが付いてなかったんです。なので、まずは電話交換手さんを呼び出して、相手の電話番号を伝えて、交換手さんが手動で電話をつないでいました。
担当者:加入者の増加に伴い、電話をつなぐ作業がひっ迫していたんですが、関東大震災で電話の交換局が壊滅的な被害を受けたんです。復興に際して、自動交換できる「ダイヤルがある電話」へと徐々に変わっていきました。
——電話交換手の作業が自動化されて不要になったんですね。災害などによって停電した際も、黒電話ならつながると聞いたことがあります。
担当者:ACアダプタがないタイプの電話機は、電話線からの給電だけでも使えまして、代表的なものが黒電話です。
——意外と知られていないですよね。災害時、停電によって新しめの電話機が使えないなか、黒電話だけがつながって、それで救助を呼べたみたいな話も知りました。
担当者:阪神大震災でも黒電話が使われました。阪神大震災で、神戸地域では交換機の故障などにより最大28万5000回線が不通になる被害が出ました。そこでNTTが黒電話を使った無料公衆電話を開設して、安否確認の連絡などができたんです。
——1995年じゃ、すでに黒電話は古めかしい存在だったと思いますが、大事な役目を果たしたんですね。東日本大震災でも、水をかぶった黒電話が使えたなんて話もありましたし。
——このコーナーには、変わった電話や機器が並んでいますね。
担当者:聴覚障がいや視覚障がいの方も使える電話機や通信機器が開発されていまして。たとえば1975年製のシルバーホンめいりょうは、聴覚障がいの方用に、受話器のボタンを押し、音量調節ダイヤルを使うのが可能でした。
——これで黒電話でも音量調節ができるんですね。
担当者:はい、ボタンを押して、4段階の音量調節ダイヤルを回せば音圧が通常時の最大18倍になります。
——ちなみに、ダイヤルの内側にあるマークはなんですか?
担当者:ここを触ると、それぞれ「3番」「6番」「9番」がわかるんです。
——そうか、ここを起点に他の番号もわかりますね。PC用のキーボードのホームポジションみたい。
担当者:聴覚障がい者と視覚障がい者、どちらにも使える仕組みです。
——あと、この下にあるものは何ですか?
担当者:これはお年寄りやご病人のための緊急通報装置で、ボタンを押すとカセットテープがヘルパーや身寄りに緊急の知らせを伝えてくれます。また、通常の電話機の3倍まで相手の声を大きくできますよ。
——大きな筐体に時代を感じますが、大事な役目を担ったんですね。……ちなみに、ひときわ大きいこれはなんですか?
担当者:音響カプラにつなげて使う、筆談機「ひつだん」です。
——音響カプラ?
担当者:受話器を置いて、データ情報を音に変換して送受信する通信機器です。「ひつだん」はその仕組みを使って、手書きした文字を送れるようにした機械ですね。
——1985年にそれがあったのは驚きだ。
担当者:持ち運ぶことも考慮され、携帯用タイプライター並みの重さ(約2.5kg)で、充電可能な電池内蔵により、45分程度の使用が可能でした。
——当時から障がい者のことをここまで考えられていたんですね。
担当者:当時は公社として、インフラを担う公共性の高い事業を行う会社でしたからね。ただし、それはNTTになった今も受け継がれていて、これらの新バージョンなども発売されていますよ。
——最後にお聞きしますが、日本の通信史における「黒電話のすごさ」って何だと思いますか?
担当者:戦後の物質不足のなか、4号機は世界水準を大きく上回る性能を有していました。その後継の600形・601形もそれぞれ改良され、経済性も伴って、電話の普及に大きく貢献したと思います。
——そこから1985年の通信自由化の前後まで、ずっと使われていたんですよね。昭和の日本を支えた立役者という感じがします。
担当者:もしかしたら今後は変わっていくかもしれませんが、今でも電話のピクトグラムに黒電話の形が多く使われるなど、人々の意識の中にしっかりと存在している点もすごいですね。
——単にロートルマシンじゃない、その大きな功績と、いまでも使用に十分堪えられるところに驚きました。黒電話は時代を代表する実力があったんですね。
◇
その壊れにくさと有用性から、一部の企業や家庭などではいまだにあえて使われる黒電話。
フリマアプリでの取引も少なくなく、NTT東日本では新規レンタルを現在も受け付けている。
現代のスマホだけでは満足できなくなった方は、設置を検討してみては。
(編集:ノオト )
最後に見たのはだいぶ前にはなりますが、確かに堅牢さは群をぬいていると思います。
活躍している姿を見てみたくなりました。
しかも知り合いが留守電付きやファクス付きに買い替えた際に譲って貰ったので壊れても予備が幾つかあると言うw
まぁ携帯が普及したせいでオブジェと化してるんですがね(´・ω・`)
今の無線子機なんかだとノイズとかで逆に音質は悪そうですね。
素敵な企画、ありがとうございました😊
後、とても懐かしいです。
ありがとうございます。
このあと、この形のまま、プッシュホンになりましたね。ダイヤルからボタンになって度肝を抜かれたわけです。抹茶オレみたいな色のもありましたっけ。
のどかな時代でしたネ〜🎶
その電話の隣にあった、保留するのに受話器を置くとボタンが押されてオルゴールが鳴るくまの●●さんの受話器置き(陶器製)、保留時慌てて落として●●さんの腕が何度も接着剤でくっつけられていたのを今も思い出します😁
“ボタン一つで保留”ではありませんでしたもんね、昔は。
スマホ内の絵文字はプッシュ式でも、ラインの絵文字にはダイヤル式がありました!凄い!
あったんですね。
今なお現役で活躍できる、スペックだけでは計れないものがありますね
高校に入る頃に黒電話がきましたね、
友達と2時間位長話をして父親に怒られた記憶があります。
少ししてから、時間で料金がかかる様になってきたので、監視されてました。
電話が掛かって来ると聞き耳を立てたおもいでがありますね。
確か最近まで家に置いてあったと思いますが
今はあるかどうかわからないですが!!
物心ついた時、実家にあった電話が3号機に似ていて…それがリプレースされて600形になったような気がします。今は個々にスマホやガラケーを持ってるから、自宅に固定電話を置くなら黒電話でもいいかも。電話というより、インテリアとして(もちろん実際に通話できるもので)。
今回の話題は💮
給電なしで使えることは知っていたので保管していましたが、光回線に替えたときに処分しました。
呼出音、ドキッとしますね。
色んなことを思い出します。
懐かしいです。
ダイヤル回してかけてたから電話番号って覚えられてた気がします。
今はスマホに覚えてもらってるので、いざという時、自分の番号も出ないときがあります…コマッタモンダ
懐かしいー!
台風で停電中に
ローソクの明かりの中、
友達と長電話した記憶があります。
市内通話は時間制限なかったような記憶が?
阪神の時 黒電話も公衆電話も同じ時間使えへんかったな。今みたいに震災時のマニュアルや便利な伝言板的な物が構築されてなかったから電話がパンクしまくってたからやろうけど。
黒電話の受話器を乗せて、パソコン通信したのを思い出します。
モジュラーケーブルを分岐して、市販の電話機と一緒に使っていました。
ただ、この黒電話は呼び出し音が大きすぎました。
音量調整もできなかったので、ベル?の配線をカットして黙らせました😁
屋内の収納に置いてありますが、まだ使えるかな?
磁石式卓上電話機というのも、使った記憶がありますね。
1階で通話中に、こっそり2階の受話器を上げると会話が聞こえておもしろかったのを思い出しました。
(子供なりに細心の注意を払っても、何かしら音が鳴ってしまうのですぐバレる笑)
懐かしい~~!
自動車電話もあったなぁ、、
とにかく、電話の進化は凄まじく、その激動の中で生きてきたのだなぁと思いました
たまに、もう要らない!と思うときもあるけど😅
クリーム色です、停電でも使えるので使用しています。
今は、停電は ないですね‼
# が ないので不便かな😃
( 別の部屋で、ほとんど使ってませんが同時配線で 現代のものを繋いでいます。)
おそらく写真で見るとうちにあったのは600型だと思われます。友人宅にある電話よりダイヤルの戻りがおそくてうちのは古いものでした。確かに今と比べれば有線だし、不便だったけど周りの電波には影響されなかったですね。懐かしいです。
元気に動いてます。
ダイヤルの電話はプッシュホンと交換しました。
幼い時、祖母の家で使われていました。
右手の人差し指を怪我した時があって、他の指ではダイヤルを回し辛かった記憶があります。
あと、街の病院や飲み屋さん(スナック笑)等には確かピンク色のダイヤル式電話が置かれていたのでは?
持ち合わせていた10円玉が1枚しかなく、途中で切れてしまわないかドキドキしながら電話を掛けていた記憶があります。テレホンカードが登場する以前の時代かな?
実家で使ってましたダイヤルを回してかけるのがいいですね。
現在に合ったデザインで復活してもらいたいですね