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逢魔が刻

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幼いときは
ここそこに神様やら妖怪がいた

家には貧乏神が居座っていたし
鏡川では河童に足を引っ張られた
天井の染みは龍神様にも
菩薩様にもなった
ひんやりした冷たい手が
時折首を撫でていった
新興住宅地に
恨みがましく残った墓地からは
青白い火の玉が浮かび上がった

今はもう見えなくなった
ここそこのものが
時折身近になるときがある

昔は
恐ろしくてたまらなかったものが
私を癒やしてくれることがある

今はもういないあなたが
ふとそばにいるときがある







7 件のコメント
1 - 7 / 7
素敵な文章✨
水木しげる先生を連想しました。
小さい頃は道端や家の中に、何かが潜んでいるような闇がありました。
いい文章ですね。
家には座敷わらしにいて欲しかったな。
ままのりこさん

タイトル見て、怖い話かな?…と思いました(^_^;) 
子供の時の古き良き、懐かしい景色が思い浮かびます♪🌌
その気持ち分かるような気がします😉
沖縄では激しい沖縄戦があったせいか、周りで霊感の強い人からそういう話もよく聞くし。先祖崇拝ですが何かあるとユタ(霊能者)に、お伺いをたてに行ったりするお年寄りも普通でした。
亡くなった人の存在が身近なので、死後の世界も肯定してますし。幽霊とは違い身内なら怖くないし、出来れば話してみたいくらいです😅
でも霊感の強い人の話を聞くと、苦労が多くて大変だな。可哀想だな…と思ってしまいます😣💦
昔は「やおよろずの神」って言ってましたね。

妖怪も悪い子の所に出るって聞かされてました。
活動層の違いで見えない聞こえないもの(の怪)もふとした瞬間に接したりするのは、これからも続くと思います。
むじな が 居るのかも
ままのりこさん

考えすぎです❗❗。
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