宝塚唱歌隊
BSテレ東で
100年前の映像が流れておりました。
宝塚温泉に作られた「宝塚新温泉」の余興としてスタートしたのが
16人の宝塚唱歌隊(現宝塚歌劇団)だったそうです(^^ゞ
https://kageki.hankyu.co.jp/fun/history1914.html
宝塚温泉て今もあるんでしょうか・・・?
(有馬温泉なら知ってます~(;^ω^)・・・)
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BSテレ東で
100年前の映像が流れておりました。
宝塚温泉に作られた「宝塚新温泉」の余興としてスタートしたのが
16人の宝塚唱歌隊(現宝塚歌劇団)だったそうです(^^ゞ
https://kageki.hankyu.co.jp/fun/history1914.html
宝塚温泉て今もあるんでしょうか・・・?
(有馬温泉なら知ってます~(;^ω^)・・・)
ヘ〜、そうだったんですか。ちょっと感動しました。
https://kanko-takarazuka.jp/special/onsen/
阪急電車は1910(明治43)年3月には、現在の阪急宝塚本線と箕面線に相当する路線が開業しましたが、当時の沿線は田畑が広がっていて人口も少なく、鉄道の経営は難しいと思われました。そこで社長の小林一三さんは、ターミナルに百貨店を建設したり、沿線に住宅地や娯楽施設を整備したりしました。沿線の住宅地に引っ越してきた人や、娯楽施設を訪ねる観光客に箕面有馬電気軌道を利用してもらうようにして、鉄道の運賃収入を増やしたのです。
宝塚歌劇団も、元々は箕面有馬電気軌道の利用者を増やすための施策として設立されたものです。また、沿線に開発した住宅地は月賦方式で販売。これも小林が考えたもので、現在の住宅ローンの先駆けといえます。資産家でなくても土地付きの家を買えるようになり、沿線の開発が加速。箕面有馬電気軌道の利用者も増えました。
鉄道の建設と沿線の開発を連動させて利益を生み出すという小林のアイデアは、日本における私鉄経営のビジネスモデルになりました。いまでは、経営規模の大きい私鉄の多くが不動産事業も展開していますし、さらには沿線外でも、リゾート開発を進めたり娯楽事業を展開したりするなど、経営の多角化を図っています。
いまでも宝塚に温泉がありますがこの後ではありません。
関西にいた頃、この話はよく、聞きました。
あんちゃんの飼い主のオノデラさんの家族も阪急交通社のヘビーユーザーにゃ!