【懐かしい】プレクスターの8倍速CD-Rドライブ
今はSSDのブランドになってしまった、プレクスターのCD-Rドライブの紹介記事です。
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/past/1250764.html
付属のツールであるPlextorManagerの便利な機能と相まって、値段相応で当時は全然手が出ませんでした(今でも出しづらいです)。
当時のIDE接続だとまだ転送スピードやら安定性やらで高速書き込みはかなり不安だったのかなと思います。
当時のメジャー環境で書き込みするならATAPI接続で2倍、外付けSCSIケースつけて4倍というところですかね。CD-Rメディアは太陽誘電が一番だったのではないかと思います。
以上、過去情報でした。
26 件のコメント
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ヤマハの400TXだったかなを使っていました
紹介されたものよりも、後の機種になりますが
今でも手元にあります。
当時は光学ドライブはPLEXTOR、ビデオカードはCanopus、
HDDはHGSTと変にこだわってました。
今や単体では懐かしいものです。
>クリームメロンソーダさん
ヤマハも製品出していましたね。音楽メインのヤマハには重要な事業だったのかなと思いますね。
>マリンドルフさん
今も愛用しているのですね。今だとMID関係であまり高品質には書き込めなさそうですが、末永く使いたいものですね。
ビデオカードもCanopusとは本当に凝ってますね。私が使っていたのはPCI接続のノーブランドビデオカードでしたね。NvdiaのRiva TNT2 M64搭載でビデオメモリも32MB物でした。HDDもMaxtorを使っていました。
プレクスターは格安台湾製メディアの不良品チェックに使ってました。
私はTDKメディアをよく購入してました。
今でも押入れの奥に当時の未使用のメディアがありますよ(^o^)丿
もちろん忘れていません。ただ、TOSHIBAはパッケージでは製品出していなかったような気がしますね。
PIONEERはBDドライブになってしまいますが、私も使っています。
>imaru2019さん
CD-R使い始めた時は台湾の怪しい格安メディア使っていました。書き込み失敗もかなりありました。
何故かその後MOドライブも買ったりして、なんやわけわからんことになっていましたね。
VGAはMATROX、HDDはIBM、サウンドボードは定番Sound Blaster Live!。ONKYOのUSB接続のユニットも買ったなぁ。なんであんなにPCにお金かけてたのか…ホンマに懐かしすぎる。あ、IntelのNICもありました。
283chanさんと傾向似てるなぁ(笑)
プレクスターのドライブ、私はスカジー外付けの PX-W124TSeを使っていました。確か4万円くらいで購入したと思います。当時は高かったですね。単体のCDドライブとしても機能しましたので重宝しました。
当時はスマホなんてありませんでしたからね。
CD-RドライブからMOドライブそろえるのはある意味正常進化ですww
>yoshi君さん
再生機能があるドライブは音質を抜きにすれば手軽で便利でしたね。
私は当時は自作ではなかったのですが、NECのパソコンにHDDはSeagate、後にMaxtorに乗せ換え、グラフィックボードはRiva TNT2 m64、サウンドはオンボードのYMF744(DS-XG)という構成でした。
指くわえながらこのサイト見てました
http://yss.la.coocan.jp/index.html
今でも残っててちょっと感動w
私もここ見てました〜
懐かしすぎです。まだあるんですね〜
私の場合は2002年から自作PCを組み立てましたがその時最初に使用した
光学ドライブがRW9200AというRICOHのOEMのドライブでした。
DVDの読み込みとCD-R/RWの書き込みに対応したコンボドライブと呼ばれる
もので、まだDVD書き込みドライブが高価だった時代なので重宝
しました。(^^
JustLinkというバッファ切れでも継ぎ足し書き込みが出来る機能が搭載
されており、書き込みの失敗は殆どありませんでしたね。
その後日立LG製のDVDスーパーマルチドライブ GSA-4120Bを2004年頃から
使用し、現在はPioneerのBDドライブ BDR-207DBKを使っています。
CD-Rメディアが残っているかも…
フジコーキで箱買いしていましたよ
外箱がお気に入りでした。
GOLDの手つかずが残ってるかもw
安価なCD-R(IDE)ドライブとフレッツADSLのサービス開始でPCの世界が変わりました。
3万程したと思いますが今考えるとドライブに予算掛けてたなぁと。今やPCで光メディアを使う事自体が減りました。
当時はPentiumⅢ 800、HDDが20GB。20GBって、所有しているmineoのパケット量より少ない・・・。
私も見ていた気がしますね。私も試そうとしてもドライブが対応したいなかったりしました。
CD-Rは最初は格安、後に三菱が多くなっていきました。
ソフトはGoldとCD manipulatorというフリーソフトを使っていました(現在は開発終了。跡地として今もダウンロード可能)。
オンキョーのメディアも残っていたら貴重ですね。MIDはどうなっているのでしょう?
>Kanon好きさん
RW9200Aは私も持っていました。
↓の中身を引き抜きました。
https://www.iodata.jp/products/cdrw/2001/crwdiu20j.htm
i-connectは全然普及しませんでしたね。
CDの書き込みができることが革新的でしたからね。
その後に開通したADSLも私の生活を大きく変えましたね(当時モデムを大量にばら撒いていたYahooもとい、ソフトバンクなことが黒歴史)。
>当時はテクセル(TEXEL)株式会社。シナノケンシが子会社として設立。
もちろんそれは CD-ROMドライブです(当時で4倍速)
それと個人的には別にマスター切るためじゃないんですが、CD-Rドライブは SONYを使ってました。型番忘れちゃいましたけど(笑)。等速しか書けませんでしたがオーディオ用には十分安定してましたねえ。
※この頃は SCSIコネクタ圧着とか、自分でやってました。
万力あれば簡単にできますからね。ただハーフピッチ系統(SCSI-2やら
PC9801系のハーフアンフェノールコネクタ)はテクニックが必要だった
ので、フラットケーブルを1本ずつ手で裂いて、治具無しで圧着して
ましたけど。信号OKだったから驚きものですね。
様々なメーカーのドライブを使ってきましたけど、撤退していったメーカーも多いですね。名機も色々ありました。
→東芝やら。TEACは薄いトレイが勢いよく出てくるドライブ
もありました。勢い良すぎてそのまま飛び出すとか。
TEACはアルメディオに譲渡したようですね。
うちにも1台だけ Plextorのドライブ(DVD Multi)があります。当時のお仕事の関係で底値で買ったお買得モデルでしたが、既に Plextorの威光は斜陽化していたときの製品でした。可もなく不可もなしというか。その次代には既に PIONEER優勢になってましたねえ。
時期としてはSocket7後期〜440BX〜SocketAの頃です。パーツを買っては取っ替え引っ替えして遊んでいました。
CD-RドライブはTEACとプレクスター、メディアは青タフのTDK、アゾの三菱、フタロシアニンのリコーを愛用していました。
色々なカードを挿していたので、PCIバスが足りなくなり、用途ごとに自作パソコンが増殖していきました。
うわ。懐かしい440BX AGP set
世紀末の自作PC界を席巻していましたよね。この頃はAopenのマザー使ってたかな〜
スマホなくなってもいいからあの頃に戻りたいです(笑)
お話ありがとうございます。プレクスターより前の名があったのは初めて聞きました。初期のCD-ROMドライブも高価だったのでしょうね。私の持っていたもっとも古いCDドライブはケースを利用するタイプでした。
LANコネクタの圧着は聞いたことありましたが、SCSIコネクター圧着は聞いたことなかったですね。
私も発掘したら出てくるかな?
太陽誘電はどこかのOEMで割安って話だったような・・・
反射光が、緑なのは○○系、青なのが○○系、緑でも薄いのは○○系
などと、同じ会社でも違いがあり相性を探っていた記憶がありますね。
SONYのCDU948Sだっけ。キャディってのにいれる変わったやつだった。