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戦力から言って今川義元が負けるわけがなかったが、街道真っ向勝負の信長に敗れた。地理に詳しい岡崎勢と家康がいたのに、義元は雨が降れば泥田になる所に陣を張り休息した。家康は今川からの独立を狙い、義元が勝たないよう信長が負けないようにした。引き分けでも独立の可能性は残る。しかし信長が勝ち義元が討ち取られたのは、家康にしても予想外だった。ここから家康の信長恐るべしが始まった。そして最後は本能寺の変となる。
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桶狭間の戦いの新しい解釈、ありがとうございます。
「この時、家康の歴史は始まったですねえ❗」
長い間、脇道からの奇襲で信長が勝ったとされてきた。
旧陸軍もそう信じて脇道からの奇襲を繰り出したが、全て失敗した。
実際には脇道は存在しなかった。街道以外は泥田で奇襲など不可能だった。
信長は街道を通り正攻法で義元に挑んだ。
雨が降ればそこが泥田になる事を知っており、地の利天の利を活かした。
それと情報戦に長けていた。
家康が信長を倒すには全てを超えなければならず、時間がかかった。