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風の中のSUBARU 檻の中の日産 みんなどこへ行った

3月20日は電卓の日
日本事務機械工業会1974年日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定
これには、シャープのエルシーメイトの販売が大きく貢献しているとの事です

1973年 液晶表示電卓「エルシーメイト」<EL-805>
「液晶は世界の研究者たちがその優れた特性を認めながら、実用化は望めないと投げ出した技術でした。しかし、当社の技術者たちの必死の努力の結果、世界で初めて液晶の実用化に成功しました。」
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/only_one/jouhou_t/jouhou_t_w4.html

大阪万博の熱気も冷めてきたある頃、シャープでは、売上げを底上げる主力商品がなかった
創業者の早川徳次の発明したシャープペンシルを手にして社長の佐伯は天井を睨んだ
受話器をとった
「開発責任者を全て奈良の中央研究所に集めてくれ」
中央研究所のA1会議室には、緊張で張り詰めた空気が満ちていた
ドアが開いた
社長が開口一番
「我が社は、電卓販売で日本一になる」
「それには1年以内に液晶電卓の開発が必要となる。それを当社の主力製品としていきたい」
液晶の研究はしていたものの、それを電卓に組込むのは至難の業だと多くの研究者はすでに認識していた
「○○を本部長にして産業機器事業本部でのプロジェクトを立ち上げてもらう」
「名前は・・・」

「緊急開発プロジェクトチーム」

のちに社内では「金プロ」と呼ばれることになった社長直結のPTが開発の中心となった
金プロには、社員証に金のマークがつけられて社内では特別な扱いとなり全ての施設や予算(本社決済)、人材などを最優先で利用できた

開発期間 1年
目標 電卓戦争(主にカシオ)に勝ち抜く切り札とする社命をうけ、1年で薄型省電力の画期的な新製品を電卓、液晶のそれぞれの技術者を事業部の壁を越えて成功させる

この金プロは以降のシャープの製品開発にも活用された
 (成功したかどうかは??)

あの頃のシャープはもういない

シャープの研究開発人材育成の取組み
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/chousa/ict_kenkyu_jinzai/pdf/061213_2_3.pdf
3を4にするとNEC,5にするとKDDI

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)00
http://losgringos.seesaa.net/article/269421298.html
00~60まで

ケース『現代企業家の戦略的役割』の製作
シャープ株式会社
TFT液晶を事業の柱に-I
http://www.kwansei-ac.jp/iba/entre/library/pdf/l_02_01.pdf



以上は、フィクションです



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