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年を取ると私のような「沈香も焚かず屁もひらず」を絵に書いたような平々凡々な暮らしをして来た者でも失敗や失言は多く恥ずかしさでその場から逃げ去りたい気持になったことは幾度となくあった。昔を振り返ると何故かそういう場面だけが思い出され一人で赤面して息も絶え絶えになり消え入りたい気分になる。巷間でいう「穴があったら入りたい」状況である。只、これは穴が無かったら入らなくても良いということであるから恥ずかしさの程度も低く照れ笑いで済ませられる段階である。私の失敗の言動はそんな生易しい物ではないので「穴を掘ってでも入りたい」気持ちになるので自宅の裏庭にはいつも穴が掘ってある。
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これに従えば私は2倍も生きているので他人より恥をかく機会が多いのも納得できる。
更に中国では4000年以上も前に同じことを言った人物がいた。
4000年以上前の文書が残っているのではなく約2700年前の『荘子』に載っている。
伝説の王堯がある街を訪れた時そこの役人が長生きされますようにと祝いを述べたが堯は「長生きすれば恥をかくことが多いだけである」とその言葉を断ったとある。
只この逸話の初出は『荘子』であるがその典拠に付いて触れたものは知らない。
堯は三皇五帝の一人で古来神話上の人物とされていたが最近の知見(成陽故城遺跡の発掘)から堯舜時代が実在していた可能性が明らかにされている。
堯舜に続く禹が治めていた「夏」も二里頭遺跡の発掘によってその存在が実証されつつある。
只、文字資料が出土してないため断定はされていない。
そもそも文字のない時代の層を発掘して解明するのが考古学の目的であるので文字資料が出土しないことは当たり前でそれを否定するのはお門違いと言える。