自分だけの回線を探した少年時代
ガラケー(3G)が主流だった時代の話。
2006年に番号持ち運び制度ができましたが、まだまだSIMロックや通信規格の違いなどで今みたいに簡単にキャリア移籍には壁がありました。
まだまだ通信と端末抱き合わせが主流だったのもありますよね。
他にも「家族割」や「長期契約割」の存在でなかなか他社に行けなかった事もあるかと思います。
私が初めて携帯電話を持ったのは2006年、小学6年生の頃でした。
当時の家族は全員ドコモを使っており、私もその流れで自然とドコモユーザーになりました。
最初は子ども向けの SA800i。通話もメールも家族だけで、完全に「安全のための携帯」でした。
中学生になると、子ども向け端末が嫌になり、父のお下がりの P902iS を使うようになります。
さらに2008年には SH906iTV に機種変更し、初めて「自分が持ちたい携帯」を選んだ感覚を覚えました。
大学生になる前に名義人だった父に「欲しい機種があり、自分で維持費を払うから好きにさせてほしい」と言い、父名義から私名義に変え、そのままauへ行きました。初めてキャリアを自分で選び、ドコモから離れて au に移りました。
ここでようやく「自分のための回線」を持った実感があり、通信に対する価値観が大きく変わった時期です。
その後、料金や自由度を考えて mineo(au回線) に乗り換えました。
キャリアは変わっても、回線はずっとau系。結果的に、私の通信の軸はずっとau回線に向いていたことになります。
気づけば家族も時代の流れでau系に移り、
今では 父はau本体、私はmineo(au回線)、母と弟もmineo(au回線) という「au一家」になりました。
中学生の頃からドコモよりauの方が楽しそうな機種があり、親にauに変えようよと言った事もあります。しかし、家族割や長期割が無駄になると言われ断念しました。そこからは自分なりに調べたりしました。
途中でauでは「誰でも割」、 ドコモでは「ひとりでも割50」など、いきなり基本使用料が半額になるプランが出ました。2年縛りが条件でしたが、画期的だと思い、親にも提案で言いましたが、親は長く使ってた会社を離れることの抵抗が強く叶いませんでした。
親に払ってもらいながらも、auにしたいという思いは高校の時にもあり、バイトや貯金をしてお金を貯めてました。
そして大学生になる直前に自分でもこれだったら払っていけること、当時最新機種だったiPhone5を一括で買える条件が揃い、親に言いました。親は承諾してくれました。auにこだわった理由はコンテンツが面白そうだったのと、友人がauの子が多く、au同士通話無料のプランに惹かれたからです。 ドコモ時代はそれができなかったので。
今はグローバル化と多様化などでキャリアの壁はなくなりましたが、ガラケー時代は面白かったなと思います。


>> まいまいまいんに さん
当時、まだガラケーの人も多かったですし、スマホを持っていてもLINEを入れてる人は少なかったですもんね。その辺りの話かなーと思いました。
契約者数も少なかったため、シティフォン終了時には「任意の端末をくれる」というキャンペーンしていましたね。
※ただし、通信料の高いスタンダードプランになったので、もう一回機種変する羽目になりましたけど(;'∀')
>> 🧒しんのすけ@ベータ版 さん
当時はそういうどこかに凝ったデザインや機能の携帯電話がありましたよね。本当に今はグローバル化なのか、面白さは無くなりましたね
>> マレーシアのケイスケ @kmlovesmineo さん
ピッチ。高校生の時、携帯電話とは別にウィルコムのおもちゃみたいなピッチを持ってる子がいましたね。
>> かくいち さん
昔、auの学割が大きかったですね。親にも子どもながらに高いというならauにこんなプランがあるよと勧めたんですけど、親は保守的で電話や通信はNTTとしか考えがなかったんですよね。
>> pasorin さん
そういえば今でこそ4大キャリアですが、昔は地域の会社がありましたね。>> 大和の狂犬 さん
シティフォンはドコモですよ💦あと、今でも「沖縄セルラー電話株式会社」が生き残っていて先日の060供用延期のリリースにも名を連ねています。
>> pasorin さん
PHSはあまり知らなくてすいません。ドコモもドコモ関西とかドコモ北陸とかで枝分かれしてましたね。