ゆっくり歩む新しい豊かさ
昔から景気がいい、経済が伸びるという言葉をよく聞きました。かつては、何でもどんどん作って、どんどん売って、どんどん豊かになるのが当たり前だと思われていました。
工場の煙突から煙が出ている方が活気があって、車がたくさん走っている方が便利で、スーパーには年中なんでも揃っている——それが成長というものでしたか。
でも、少し考えてみると、
ものをたくさん作るには、材料が必要です。石油も、金属も、水も。そして使い終わったものはどこかに捨てなければなりません。
地球という限られたお皿の上で、ずっとずっともっとたくさんを続けていくのは、どこかで無理がきます。
今、その無理が少しずつ見えてきています。一番わかりやすいのは水です。
食べ物を育てるにも、車や電気製品を作るにも、パソコンのデータセンターを冷やすにも、水がなくては何もできません。ところが世界中で水が足りなくなっています。日本ではまだあまり実感がありませんが、遠い国では井戸が枯れたり、川の水を取り合って争いになったりしています。
また、私たちが燃やしたガソリンや石炭から出る二酸化炭素は、空にたまって地球の温度を上げています。ここ数年、夏の暑さが格段に厳しくなったと感じるのは、決して気のせいではありません。
経済がずっと伸び続けるのは、マラソン選手がずっと同じ速さで走り続けるようなもの。体力も水も無限にあるわけがないのです。いつかはペースを落とさなければならない。
それどころか、もうこれ以上は無理という日が、そう遠くない未来に来るかもしれない。そう言う専門家が増えています。
これは怖い話のように聞こえるかもしれません。でも、希望がないとは思いません。
なぜなら成長しなくても豊かに暮らす知恵は、私たちの世代が昔、当たり前のように持っていたからです。無駄を直す、ものを大事に長く使う、近所で助け合う。そして何より足るを知るという心のゆとり。
経済が右肩上がりでなくなったら、株の値段を見て一喜一憂する必要もなくなります。もっとゆっくりと、人と人がつながる暮らしに戻っていけるかもしれません。
次の時代はがむしゃらに走るからゆったりと歩くへ。その方が、私たちにはむしろ生きやすい世界ではないでしょうか。



というのはバブル崩壊前のような気がします。
それがきっかけとなった気が私にはしないでもありませんが、団塊3世なるのも発生することはありませんでした。
今は必死になって生き残る術を探すか、はたまた今を生きるのを楽しむか…そんな時代。いい悪いは別にしてそんな気がします。