曽祖父は第二次世界大戦前、アメリカに出稼ぎに行っていた
次男がアメリカで働き始めて、1ケ月が経ちました。私は曽祖父のことを思い出し息子に話したら、とても感動した様子でした。曽祖父は戦前に帰国し、戦中は日本はアメリカには絶対に勝てないと言っていたそうです。曽祖父の渡米、息子の渡米と時代は違っても、日本の国力の低下は同じような気がしました。
ところで、私の膝の手術日はまだ決まりません。そして全く普通に生活しています。ねじるという動作さえしなければ、問題ないようです。散歩もOK、荷物を持つこともOKです。手術となれば2週間は休まないとならないので、このゴールデンウィークは毎日大学に行っています。Fラン大学なので、学生は遊び惚けているのでしょう。ほぼ姿は見ません。私と同じ大学院生は少しだけいます。GWは勉強する宿命のような気がします。6月の簿記検定とか8月の税理士試験とか、過去に受けたので、GWは勉強していたイメージしかありません。来年こそは楽しみたいものです。
気候(自然)も、政治も厳しい時代ですが、1度の人生なので悔いなく生きて行きたいものです。そんな話を息子達にもしました。
(写真は拾い物で、曽祖父の時代のイメージです。)
4 件のコメント
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曽祖父の方の件、興味深く拝読させて頂きました。
うちの曽祖父の一人はドイツ人相手の商売をしていたらしく
第一次世界大戦で敵国となったアオリで廃業して、横浜から
いまの地方に越してきたとの事。
もう一人は、そこんとこの実業家で名士だったそうで。
地域史を綴った文献には必ず出てきます。
最近、渋沢栄一の渡米実業団の名簿をみつけまして
調べたけれど、残念ながら名前を見つけられませんでした。
>Fラン大学なので、学生は遊び惚けている
私の年代は受験勉強に費やしたエネルギーのわりに
大学の提供するサービスの質は、
あまりに低すぎて5月病にかかりました。
マトモな連中は授業は適当で遊び重視に走っていたようです。
GWは、どこも混んでいても気候は穏やかなんで
一人暮らしのときは愛車のメンテナンスをしていました。
今はゴミ屋敷、そしてセール期間を狙って買い集めた見栄えの良い工具は無くなりパーツやケミカルは賞味期間を過ぎ去っています。
なので出来ないです。
>> がんばるじゃん@中世"JAP"ランド さん
コメ、ありがとうございます。曽祖父は絵が上手で、休日は似顔絵を描いてお小遣い稼ぎもしていたとのことでした。当時、日本人は海側で働いていた人と山で働いていた人がいて、山はさらに林業の人、鉄道の敷設に携わっていた人がいたそうなのですが、もう少し父に詳しい話を聞いておけば良かったと思いました。ブルーカラー、ホワイトカラーの違いはありますが、息子が渡米したのは、曽祖父の導きがあったのかもしれません。
トップクラスの大学は年々、試験が難しくなっていますね。私は、最高学府と言われる?大学出身ですが、それほど受験で苦労した記憶がなく、むしろ、入ってからの勉強(実習なども含め)が理系ということもあり、しんどかったです。教授は変人ばかりで、優秀だったのか否か今でも分かりません。ただ、教えるのに向いてないだろうみたいな人はいましたね。
残り少ないGW、季節の良いので、楽しんでください。
丁寧なコメ、ありがとうございました。
○そこそこの実業家で名士
東大進学率の高い高校の授業風景って
例えば教科書に出てる化学実験は実際に行えて古典はくずし文字を読ませるんだとか?
それ聞いて衝撃を覚えました。
普通の高校で東大、受かったやつって、どこか大人びた雰囲気がありました。
>> がんばるじゃん@中世"JAP"ランド さん
お返事、ありがとうございます。私は田舎の県立高校出身なので、当時、化学実験はほとんどなかったし、くずし文字も読みませんでした。同じ学年で4人、東大に進学しましたが、奇跡の学年と言われていました。なぜなら、上も下も5年以上東大進学者がいなかったからです。
灘高校は、高校近くに東大、京大専用の学習塾があるらしいですね。高校の授業が終わると、ほぼ全員でそこに場所を移す感じになるそうです。ただ東大で、ずば抜けている人は、当時の事ですが、地方出身者でした。私は単位取りに苦戦するような凡人でした。