してほしいかも
ママ友と話していて、
○○してほしいかも・・といわれました。えっ?と思ったのですが、どうやら、~してほしいという意味の婉曲表現のようです。
高校生と話しても、~してほしいかもという言葉が頻出します。
思い切って、へんな言い方だと思う、~していただけますか、せめて~してくださいと言ったらどうかといいました。
すると、そんな言い方はきつすぎると一蹴されました。上から目線のいい方だとも・・。そうなのですか・・。
他にも、~されてくださいなどという違和感満載の言葉もよく聞くようになりました。
言葉は変遷します。しかし、平板なアクセントに加え、今までにないいい方がどんどん出てきています。このまま表現が変化していくと。数十年後の若者とはコミュニケーションをとるのが難しくなるのかもしれません。
18 件のコメント
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実際に使っている場面に出くわしたことはまだありませんが、ネットの世界やラノベのような文章表現の中では見かけたことがある「かも」。
インターネットが一般化して以来、コミュニケーションのかたちはどんどん変化しています。
聞くところによると、若い人たちの中にはメールやSNSによるコミュニケーションに比べると、電話でのコミュニケーションは直接的過ぎて敷居が高く感じる人もいるそうです。
勝手な想像ですが、この「してほしいかも」という表現は相手との距離感を確認・推量するための表現ではないかと思います。
相手との距離感をどうすべきか不明な場合に「かも」をつけることで、同意あるいは拒否のどちらも選択可能な状態に相手を置く。
「してほしい…でもあなたがイヤならそれでもいい」
言わば相手との距離感を保ちつつ相手を気遣う婉曲表現なのではないかと思うのです。
ご投稿された文中にある「そんな言い方はきつすぎる」というのがまさに距離感をあらわしていると思うのです。
おそらく年下の人からすると、年上の人にそこまで距離感を縮めた表現はできないのではないかと。
今後の距離感の変化によってきっとその方の話し方も変わっていくと思いますが、今はおそらくsawa875さんがその方からすると一目置くべき人物と思われているのではないでしょうか。
話は変わりますが、若い人たちが使う言葉は彼らだけのコミュ二ティでのみ通用するものなので、そのような言葉による世代を越えたコミュニケーションは所詮無理があると私は考えています。
いわゆる「若者コトバ」は彼らだけの仲間内で通用するものであって、それを使いコミュニケーションをとることが彼らが彼らであることの証明でもある、と思います。
おそらくこのような仲間内だけで通用する「言葉遊び」は清少納言の時代からもきっと存在していたのだろうと勝手な妄想をして楽しんでいます。
言葉は変化していくだろうけど、世代間のコミュニケーションに使う言葉は「若者コトバ」とは別に存在し続ける。
楽観的かもしれませんが、そう考えています。
興味深いご投稿ありがとうございます。
日本語という日本人の精神構造の根幹をなす言語を習得すべき大切な時期に英語という機能的な構造にのみ特化した、全く違うタイプの言語を強いる教育には危惧を感じています。
そして近年多く見られる外来語表現と意味不明な略語表現。
これによって日本語がそれこそ変容し、日本語によるコミュニケーションが崩壊してしまうことを危惧しています。
今まで考えられなかったような言葉の変化が発生し定着する。
そして崩壊へとつながる。
そんなことにならないように願うばかりです。
ママ友とは、母親同士の友人のことを言います。
sawa875さんはママさんなのでしょうか?
厳守してほしいほどではないけど対応してもらえると嬉しい。
というニュアンスかな。
自分では使わないけど、使われたとて違和感はないですね。
あと、最近「大丈夫です」ってよく言いますよね。
自分的にはどっちも割と好き。
はっきり言わないけど、感覚で伝える曖昧な雰囲気が好き。
直接的な表現よりもちょっと柔らかく感じる。
要するに、柔らかい表現、言い切らない断定的じゃない表現、という事です。
日本語でも語尾に「ね」をつけたり「かしら?」をつけたり、柔らかい表現として昔から使いますよね。その一種で「XXかも?」と使います。
私は「かも?」をよく使いますが、若者ではなく年を取っていますので、そんなに新しい言い方ではなくむしろ古い言い方、おばちゃん言葉かも知れない印象です。
命令形ではない優しい言い方なので、比較的女性がよく使うと思います。
>> うまちゃん@平常運転 さん
> あと、最近「大丈夫です」ってよく言いますよね。↓ 過去の自分の投稿を思い出しました。
https://king.mineo.jp/reports/217740
同様の違和感を感じて、調べたことがあります
結論だけ申し上げると、「されて」の「される」は「する」の尊敬表現です(受身ではない)。敬語を使い慣れている方には「誤用とまでは言わないが一般的でないが敬語表現のひとつ」と認識されているようです(古文不勉強とも、とってつけた感があるとも)
「される」の敬語表現としては一般的に「なさる」を使うので、「~されてください」でなく「~なさってください」が一般的です
同じく同郷の男子に言われたそうな。
「俺 Tのこと好きかも…」
Tちゃんに
「これって告白されたのか?」
って聞かれたけど、正直言って卑怯な奴だなと思った。
その後
付き合うとかなかったみたいだけど、そりゃそうだ。
Tちゃんの性格からしたらそんな奴は願い下げだよ。
「好きかも…」って、「かも…」ってなに?
ハッキリと決めろよ!
という昔の話を思い出しました。
>> Nul さん
ご指摘のとおり、してほしいかもという表現には、相手との距離感を慎重に測りながら、断定を避けて柔らかく伝える機能があるように思います。直接的な依頼が強い印象を与える場面では、相手に選択の余地を残す言い回しが好まれる傾向が確かにあります。
特に若い世代では、電話よりもSNSを好むという例にも見られるように、コミュニケーションの“圧”を避ける文化が広がっているのかもしれません。
また、若者言葉が仲間内のアイデンティティとして機能するという視点も興味深く、歴史的に見ても言葉遊びが世代ごとに存在してきたことを考えると、変化そのものは自然な現象だと感じます。
一方で、世代間で共有される言葉が残り続けるという見立てには安心感があります。言葉の変化を過度に恐れるのではなく、背景にある価値観の違いを理解することが重要だと改めて考えさせられました。
>> Nul さん
幼児期の英語教育に対する懸念は、言語が思考の基盤であることを踏まえると非常に重要な視点だと感じます。日本語の構造や語感を十分に身につける前に、異質な言語体系を同時に学ぶことが、母語の発達にどのような影響を与えるかは慎重に考える必要があります。
また、外来語や略語が急速に増えている現状では、日本語の体系そのものが変容し、意味の共有が難しくなる可能性も否定できません。
ただし、言語は常に変化し続けるものであり、変化が必ずしも崩壊につながるわけではないとも考えています。
重要なのは、子どもたちが自分の言葉で考える力を失わないよう、教育や家庭での言語環境を丁寧に整えることなのだと思います。ご指摘の問題意識は、今後の教育を考えるうえで非常に示唆に富むものだと感じました。
>> さと さん
してほしいかもが日常的に使われているという指摘は、世代や地域によって言語感覚が異なることを改めて実感させられます。私自身はあまり耳にしてこなかったため違和感がありましたが、実際には自然な表現として定着している場面もあるのだと理解しました。
言葉の受け取り方は、立場や経験によって大きく変わるものだと感じます。自分の感覚だけで判断すると、相手の意図を誤解してしまう可能性もあるのでしょう。
言葉の変化に戸惑うことはありますが、背景にある価値観や使われ方を知ることで、コミュニケーションの幅が広がるはず。
>> うまちゃん@平常運転 さん
「厳守してほしいほどではないが、対応してもらえると助かる」というニュアンスとしての「してほしいかも」は、確かに柔らかく、相手に圧をかけない表現として機能しているように思います。直接的な依頼が強く響く場面では、こうした曖昧さがむしろ適切な距離感を生むのかもしれません。
また、「大丈夫です」という表現が多用されることについての指摘も興味深く、肯定・否定の両方に使える便利さと曖昧さが現代的なコミュニケーションの特徴をよく表していると感じました。
はっきり言わないことで柔らかさを保つという価値観は、世代によって受け取り方が異なるものの、背景には相手への配慮があるのだと理解できます。
こうした感覚を共有すると、言葉の変化をより冷静に捉えられるように思います。
>> さと さん
英語の “Isn’t it?” を例に挙げて、断定を避ける柔らかい表現としてかも?を位置づける視点はわかりやすく、納得感があります。日本語でも「ね」「かしら」など、昔から婉曲的な語尾が存在しており、かも?もその延長線上にあるという説明は、言葉の変化を過度に新しいものとして捉えすぎていたわたしにとって示唆的です。
かも?がむしろ“おばちゃん言葉”という指摘も興味深く、若者言葉と思えた表現が実は長く使われてきたのかもしれません。
命令形を避け、相手に柔らかく伝えるという点では、確かに女性が多用する傾向があるのかもしれません。
>> p928gts さん
大丈夫ですという表現に関する過去の投稿をご紹介いただき、興味深く拝見しました。この言葉は肯定にも否定にも使われ、文脈によって意味が大きく変わるため、便利である一方で曖昧さも抱えています。現代のコミュニケーションでは、断定を避ける傾向が強まっており、その象徴的な表現のひとつなのかもしれません。
こうした曖昧な言い回しが増えている背景には、相手に強く聞こえないようにする配慮や、対立を避ける価値観があると考えられます。
私自身もより若い世代の言葉に戸惑うことがありますが、具体例を示していただけると理解が進みます。
言葉の変化を単なる違和感として片付けず、背景にあるコミュニケーションの変化として捉えることの重要性を感じました。
>> gavotte@新型NISAウイルス さん
〜されてくださいの“される”が尊敬語であるという説明は参考になりました。受け身ではなく尊敬表現であるという点は、言われてみれば確かにその通りで、誤用というよりは一般的ではない表現という位置づけが適切なのでしょう。
ただし、一般的には、なさるが広く使われているため、されてくださいが耳慣れず違和感を覚えるのは自然な反応だと感じます。
敬語は本来の形を知っている人ほど微妙な差異に敏感になるため、現代の多様化した敬語使用の中でこうした“揺れ”が生じているのかもしれません。
>> B a n y さん
エピソードを交えたコメント、とても興味深く読ませていただきました。好きかも…という言い方に対する率直な感想は、まさに私がしてほしいかもに感じた違和感と重なる部分があります。曖昧な言い方は相手に配慮しているようでいて、時に責任を回避しているようにも受け取られますよね。
ただ、現代ではこうした“曖昧な告白”や“曖昧な依頼”がむしろ一般的になっているのかもしれません。
はっきり言うことが“強い”“怖い”と感じられる風潮の中で、若年層は自分を守りつつ相手にも選択肢を残す言い方を選んでいるのだろうと思います。
昔の話を交えた温かいコメントをありがとうございました。
誰でも言うわけじゃなく特定の人が頻繁に使います
私の解釈では頼み事はしたくない(貸しになるからかな)けど、自分の為にやって欲しいとかに使うみたいです
なので苦労してやってあげても「頼んでない」、やらずに無視したら「頼んだのに」、となる魔法の言葉です
依頼とも断言とも取れない曖昧さを保ちながら、状況に応じて「頼んでいない」とも「頼んだのに」とも言える余地を残すという構造は、言語としてかなり巧妙です。
責任の所在を曖昧にしつつ、相手の行動だけは引き出せる可能性があるという点で、確かに魔法のような機能を持っていそうです。
こうした表現が特定の人に頻繁に見られるという指摘も納得で、言語習慣というより対人距離の取り方や心理的な防御の仕方が反映されているのでしょう。
曖昧さを好む現代的なコミュニケーションの一側面としても興味深く、依頼の強さを調整するための新しい言語的ツールとして機能しているように思えます。
こうした表現がどのように広がり、どのように受け取られるのかを考えると、言葉の変化そのものが人間関係の変化と密接に結びついていると感じさせられます。