秋の夜長、あなたのルーツに思いを馳せてみませんか?
縄文系? 東北系? 関西系? あなたのルーツは?
「 日本人のルーツ 」通説はもう古い?
遺伝子と神話が明かす 5 つの驚きの真実
学校の歴史の授業で、
私達は「 日本人の祖先は、狩猟採集民の縄文人と、
大陸から稲作をもたらした弥生人の混血によって形成された 」
と学びました。
この「 二重構造モデル 」は、長らく私たちのルーツを説明する、
揺るぎない定説とされてきました。
近年の遺伝子研究、特に全ゲノム解析技術の飛躍的な進歩は、
私達の祖先の物語を根本から書き換える革命の最中にあります。
遺伝子情報、考古学、
そして神話学と言った異分野の知見を統合する事で、
これまで想像もできなかった、はるかに複雑でダイナミックな、
日本人の起源が浮かび上がってきたのです。
1 . 定説を覆す「 三重構造 」モデル:
日本人は 2 層ではなく 3 層でできていた
理化学研究所などの共同研究グループが提唱したのが、
日本人の祖先を三つの源流から捉え直す「 三重構造モデル 」です。
これは、大規模な現代日本人ゲノム解析によって裏付けられた、
最新の学説であり、私たちのルーツがより多層的で、
地域毎に豊かな個性を持つ事を科学的に証明しました。
このモデルが明らかにした三つの祖先集団は、
研究ではそれぞれ「 K 1 」「 K 2 」「 K 3 」と名付けられ、
異なる遺伝的特徴と渡来の時期を持っています。
* 縄文系祖先( K 1 ):沖縄で最もその比率が高く( 28 . 5 % ) 、
日本列島に古くから住んでいた人々の遺伝的特徴を色濃く残す、
集団です。
* 東北系祖先( K 2 ):東北地方で最も比率が高く、
弥生時代に大陸から渡来した集団に関連するとみられています。
遺伝的には韓国三国時代( 4 ~ 5 世紀 )
の古代韓国人とも高い親和性を示します。
* 関西系祖先( K 3 ):関西地方で最も比率が高く、
古墳時代に渡来した集団の遺伝的影響と考えられています。
現代の漢民族との親和性が高いのが特徴です。
この発見が革命的なのは、
日本人の形成史が「 縄文 vs 弥生 」と言う単純な構図ではなく、
時代もルーツも異なる複数の波が存在した、
より複雑な物語であった事を示した点です。
特に、理化学研究所が
「 本研究では初めて日本人の遺伝的構造に対する、
東北地方人の祖先の影響の重要性が強調されました。 」
と述べるように、これまで周縁と見なされがちだった「 東北 」が、
日本人の遺伝的構造において関西と並ぶ第三の柱として、
独自の役割を果たしていた事を、
初めて科学的に立証した点で画期的なのです。
2 . 縄文人 Y 染色体は消えていなかった —
驚異の残存率 3 割が示す「 支配層 」の可能性
弥生時代、大陸から渡来した人々の人口は、
在来の縄文人の 10 倍近くに達したという説があります。
もし単純な混血が進めば、
数の少ない縄文人男性の Y 染色体( 父から息子へと受け継がれる、
遺伝情報を持つハプログループと呼ばれる父系系統。 )は、
世代を重ねるごとに希釈され、やがて消えていくはずでした。
しかし、現実は全く異なります。
驚くべき事に、現代日本人男性の約 30 % 〜 40 % が、
縄文由来とされる Y 染色体ハプログループ D 系統( D 1 a 2 a )
を保持しているのです。
渡来系人口が圧倒的多数であった事を考えると、
ランダムな混血ではこの縄文系 Y 染色体は、
数パーセントにまで減少していた筈で 30 % 以上と言う
「 異常 」とも言える高い残存率は到底説明がつきません。
この謎を解く鍵として提唱されているのが、
「 縄文系支配層仮説 」です。
これは、縄文人の一部が弥生時代以降の社会において、
単に征服・同化されるのではなく、
むしろ「 父系の支配層 」として組み込まれた可能性を示唆します。
そこには単純な混血ではない、
構造的な「 偏り 」あるいは「 選択 」が存在したと言うのです。
武力や祭祀的権威を持つ縄文系の男性達が、
数の上で勝る渡来系集団の中で支配的な地位を維持し、
その父系遺伝子を現代迄、高確率で伝え続けたのではないか、
と言うのです。
縄文人は、消えなかった。
Y 染色体に、神話に、風習に、その姿は残っていた。
この遺伝子に残された不可解な痕跡は、
教科書が語る「 消え去った先住民 」と言うイメージを覆します。
ですが、この遺伝子のゴーストは、
私達の最も古い物語の中にも響き渡っているのでしょうか?
3 . 神話は “ 記憶の装置 ” だった?—
『 古事記 』を高天原 = 奈良説で読み解く
遺伝子に残された縄文系支配層の痕跡は驚くべきものです。
しかし、もしその痕跡が、
私達の神話の中にも残されていたとしたら?
『 古事記 』や『 日本書紀 』に記された神々の物語を、
単なる作り話ではなく、
古代の民族的・政治的な大変動を反映した
「 記憶の装置 」として捉え直す視点が、この謎に光を当てます。
特に興味深いのが、神々の故郷「 高天原( たかまがはら )」を、
天上の世界ではなく「 奈良盆地 」とする地政学的な仮説です。
例えば、
国生みの神話でイザナギとイザナミが淡路島を見下ろす描写は、
奈良盆地の東側にある山々からの視座と地理的に一致します。
この仮説に立つと、神話の有名なエピソードが、
史実のメタファーとして読み解けてきます。
* 出雲の国譲り:これは神々の領土交渉ではなく、
奈良盆地を拠点とする支配層( 高天原勢力 )と、
出雲を拠点とする、
別の縄文系を基盤とした有力支配層グループとの間の、
政治的な交渉や連合形成の記憶を反映している可能性があります。
* 神武天皇の東征:九州から出発した神武天皇が、
大和( 奈良 )を目指す物語。
これは、一度地方に展開した縄文系の支配層グループが、
かつての中枢であった奈良盆地を再統一に向かった闘争の記憶が、
神話の形で語り継がれたものと解釈できるのです。
このように、『 古事記 』にコード化された記憶は、
Y 染色体ハプログループ D 1 a 2 a が、
不可解な程高い頻度で残存している事への、
説得力のある文化的ナラティブを提供します。
遺伝子と神話が、同じ物語を語っているのかも知れません。
すなわち、縄文エリートは消滅したのではなく、
新たな秩序の礎となったのだと。
4 . 古代朝鮮の王族にも縄文の血?—
伽耶古墳から見つかった意外な繋がり
Y 染色体ハプログループ D 1 a 2 a 系統は、
現代では日本列島( アイヌ、琉球、大和民族 )
にその分布がほぼ限定されており、
世界的に見ても極めて珍しい「 日本固有 」の系統とされています。
ところが 2022 年、
この常識を根底から揺るがす発見が報告されました。
朝鮮半島南部に紀元 350 ~ 500 年頃に存在した、
伽耶( かや )国の、
王族のものとみられる古墳( 大成洞古墳群 12 号墓 )から、
出土した人骨を DNA 解析したところ、
この縄文系とされる D 1 a 2 a 1 系統が検出されたのです。
さらに衝撃的なのは、この人骨のゲノム全体を解析した結果、
現代の日本人よりも多くの、
縄文人由来のゲノムを持っていた事です。
この発見は、古代史の通説を根底から覆します。
それは、長年信じられてきた「 大陸から日本へ 」
と言う一方的な人の流れのイメージを打ち砕き、
古代の日本列島と朝鮮半島の間に、
私達が考えていたよりもずっと複雑で、
対等なレベルでの双方向的な関係があった事を、
強く示唆するからです。
日本列島から朝鮮半島へ渡り、
かの地で王族となる程の有力者となった人々がいた — 。
この事実は、
古代東アジアのダイナミックな国際関係を物語っています。
結論
「 三重構造モデル 」の登場、消えずに残った縄文人 Y 染色体の謎、
神話に秘められた記憶、古代朝鮮半島との意外な繋がり。
遺伝学の革命は、私達のルーツが単一の物語ではなく、
幾重にも重なった移住の波と、
複雑な文化の交流によって織りなされた、
壮大なタペストリーである事を明らかにしました。
その歴史は、遠い過去の出来事としてではなく、
私達の体内に刻まれた遺伝情報として、今も生き続けています。
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因みに私はコテコテの日本人です。
>> sawa875 さん
遺伝子検査をしたのであれば、詳細なハプログループが分かっているはずです。
検索するだけでも、末端のハプログループの移動経路などが、
ある程度分かりますよね。私の場合はこんな感じでした。
起源地:ロシア極東の沿海州南部、または朝鮮半島周辺。
系統全体の起源は、ロシア極東の沿海州南部、
または朝鮮半島北部に求める説が有力です。
この地域の新石器時代の文化
( シニ・ガイ文化など )との関連が指摘されています。
南下:朝鮮半島を経由。
この系統を持つ集団は、
沿海州から朝鮮半島北部を経て南下したと考えられています。
到達:日本列島
最終的に、
朝鮮半島から日本列島( 特に九州地方 )へ渡来しました。
これは主に弥生時代に起こったと考えられており、
水稲耕作技術の伝播と関連している可能性が高いです。
つまり、私のハプログループの系統の人々の祖先は、
極東アジア大陸部から朝鮮半島を経由して、
日本列島に渡って来たと考えられます。
>> marumaru218 さん
日本における Y 染色体ハプログループの研究は、日本人の起源に関する科学的な探求として進められてきましたが、
その結果が直接的に特定の政治的なナショナリズム
( 国家主義 )と結びついて利用される事は稀です。
ただし、一部で「 日本人の単一民族性 」や
「 特定の祖先起源説 」を強調する文脈で、
遺伝学的な知見が( 必ずしも科学的根拠に基づかず )
文化的なナショナリズムと関連付けられて、
語られるケースは存在します。