現代の「香具山」と、洗濯物が語る空の兆し
春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山
歌の舞台になっている香具山は、昔から神聖な山とされていて、そこに衣を干すのは巫女の役割を担う女性だけだったと聞いたことがあります。
万葉集に詠まれたこの歌は、梅原猛先生の解説を伺うと、ただ夏の訪れを告げるだけでなく、神聖な山に巫女が衣を干すことで、何らかのお告げのしるしだったという深遠な意味合いを帯びてくるから不思議です。
いにしえの人々が、自然の微かな変化から兆しを読み取っていた感性は、現代を生きる私たちには想像しがたいほど研ぎ澄まされていたのでしょう。
衣が風になびく光景は、今の季節にもよく見かけます。私の住戸の近く、北へ500メートルほど行ったところに14階建ての公営住宅があります。
晴れた日には、たくさんのベランダに洗濯物が並び、手すりには布団やシーツがずらりと干されています。風が吹くと、それが一斉にはためき気持ちのよい眺めになります。
そんな風景を毎日見ているうちに、あることに気がつきました。
天気予報で雨と言われた日は、当然ながら洗濯物はほとんど干されていません。手すりにシーツを干している家もありません。
不思議なのは、晴れと予報が出ていて、実際に朝はよく晴れているのに、手すりにシーツが一枚も干されていない日があることです。
そんな日は、ほぼ必ず、午後になると突然雨が降ります。ときには雷をともなって、激しく降ることもあります。
予報では雨の気配などなかったのに、なぜか住民の皆さんはそれを察して、洗濯物を干さないのです。
天気アプリよりも、ベランダの風景のほうが正確に空の変化を読み取っているように思えます。
香具山に干された白い衣が、季節の訪れを教えてくれたように、今の時代の高層住宅でも、風になびくシーツが、天気の気配を伝えてくれているのかもしれません。
まるで、どこかからのお告げのように。


それに引き換え、私の住む町に雨が降ったときには、ベランダに干された洗濯物が雨でびしょ濡れになっているのをよく見かけます。
>> kazenohi さん
今日はたくさん干していました。その鋭い感性には感心させられます。