SNSのイミフ投稿や緩い文にも価値があるのかも?(割と真面目)
イミフな投稿は読まなきゃ良い…ってのは、皆さんご指摘の通りではある。
そもそも、昔読んでいた雑誌だって、読み飛ばしているコーナーはあったし、新聞だって読み飛ばししていたんだし。
(もちろん、私の投稿もイミフなことはあり得るし)
でも、ひょっとして…なんだけど、緩い投稿というのもある種のSNSの構成要素として貢献してるんじゃなかろうか。
例えばさ、もし完成度が高い投稿しかなかったら、投稿しにくいと思うんだよね。
そう考えると、ある種の潤滑油(たまに発火性)として、ある程度は必要な要素にも思えてくる。
読書とSNSは異なるものの、ぶっちゃけ有用なテキストを読みたければ読書すればよいのだし、エンタメが欲しいならマンガでいいんだし、
敢えて頭を使わずに流せたり、頭を使わずにコメントできるってのは、イミフや緩文が気楽さを提供してくれているお陰なんじゃないだろうか。
人間には酸素が必要って思われているけど、空気中の酸素は20%程度で窒素は80%近くあるんだし、よくよく考えると窒素って重要なんじゃない?的な…ちょっと違うか😆
24 件のコメント
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楽天のお買いものパンダがマイぴょんを食べようとしてるとかいろいろと書いてるからねw
「箸休め」は必要
(画像)
箸休め
https://ja.wikipedia.org/wiki/箸休め
たとえば…
・本当は中身があるのに、表現力が独特すぎて伝わりにくい
・表現は伝わるけど「だからナニ?」としか感想が持てない
どちらもイミフ投稿でしょうか?
>> しっかり八兵衛@ねじ式 さん
例に挙げた前者のパターンは、文章構成力を鍛えるしかないですね😅後者のパターンは言い切ってしまえば、「中身がない」と捉えられるということですが…そっちの方が前者より、改善が困難かもしれませんね。
僕が凄いと思ってる方が言うには…
【ゆがみ+実績=中身】
なんだそうです。
たとえば、キレイな奥さんがいて、賢い子どもがいて、仕事も順調、一般的に流行ってる映画を視聴し、子連れで遊園地に出かけ…そういう人が日々の出来事をストレートに書いても、「中身あるなー」とは思われにくい…実際にその人に中身があったとしても。
そこで、ゆがみ。酒が異常に弱い(または強い)、バイクいじりに命かけてる、めちゃくちゃマニアックな映画ばかり観てる、アニメ観まくってる、ゲームしまくってる、ギャンブルしてる…何でもいいんですが…そういうものを「ゆがみ」と呼んでいて、単にそれらについて書いてるだけだと、「あの人、キャラ立ってんな」というイメージで終わる。
しかし、それぞれの「ゆがみ」の成り立ちとか歴史とか、社会への影響とか、続けたらどんな影響があるとか…読んで「そうなのかー」とか「なるほど俺もやってみよう」と思わせたら、実績になる。
で、ゆがみに実績が加わる事で「中身のある人」が出来上がるという考察です。この考え、個人的に感動しました。
トッチンさんはマイネ王のことではなく、SNS全般を対象に書かれているので、このことを書きたくなりました。
ちなみにマイネ王においては、文章さえ意味不明じゃなければ、ある程度は受け入れられる緩さがあると思います😅
でもワガママな人もいらっしゃるようで時々、「最近の投稿はつまらん」みたいな発言も、見かけるような…w
>> あんちゃん@二階堂大和さん最高 さん
ネコキャラなのに、京成や楽天のパンダ好きなのはこれいかに?👀>> _カブ さん
なるほど!たしかに、箸休め的な効果はありそうですね。
映画やマンガのストーリーが要点だけで進んだら、味気なくなりそうだし。
>中身より「何を伝えたいのか、イマイチ分からない」
それも個性という解釈で良いのではないか?と、僕は思います😅
ただし、それらを好む人は決して多くはないでしょうね。
SNSでの在り方と言いますか…何が一番大事で、何が一番マズイのか?
ちょうど僕も、そのような事を考えていました。自分だけの力で、考えてみました。(無意識レベルでの引用はあるかもしれないけど…)
考えてみた結果、現時点では「バランス」ですね。一番大事な事は「バランスを取ること」で、一番マズイ事は「バランスを欠くこと」です。
>> トッチン@寝不足 さん
「ずっとオレのターン!!」されても、相手(閲覧者、読者)は疲れてしまう かもしれません
ずっと俺のターン
https://dic.nicovideo.jp/a/ずっと俺のターン
適度に ツッコミどころを設けた方が、対話が捗るかもしれません
(ツッコミどころ満載どころか)、むしろボケしかないレベルでは、それはそれで問題かもしれません🤔
(いずれにせよ、「あ〜、はいはい」、という感想になる😇)
>> しっかり八兵衛@ねじ式 さん
適当な名称も思いつかず、定義も難しいので、呼称に悩んだところです。そんな悩みが透けて見えてしまいましたね💦
強いていうと「本当は中身があるのに、表現力が独特すぎて伝わりにくい」という感じでしょうか。
でも、中身より「何を伝えたいのか、イマイチ分からない」そんな投稿ですね。
問われてみて改めて考えたけど、私は中身の有無は余り気にしていないかも?
Twitterなんて、中身のないさえずりも含めての場だろうし。
私も中身ない投稿してるだろうし。
追伸
コピペをミスして私の投稿がイミフになっていたので、再投稿しました💦💦💦
>> トッチン@寝不足 さん
あー😅多分、コピペミスだろうな…って思いましたよ。
もしも、これが初めてコメントやり取りする人との事なら、「全く同じ文章繰り返すとか煽ってんのかな?」って可能性も考えたかもですが。
トッチンさんがそんな事をするはずがないと分かっているので。
これが、実績というやつですよね?👍
そんな実績も築いていないのに、いきなり物凄い勢いでガチトーンで発言したり、連投するというのは「バランスを欠くこと」だと認識しています。
まあ、知らないヤツがちょっと馴れ馴れしくコメントしてくる程度であれば僕は許せますが、「著しくバランスを欠くこと」は許容できない…最近、気付いた事です😅
仮に正しい事を言ってたとしても受け入れられない…というか、脳がその文章を読む事を拒否しますw
そして、投稿の最後が窒素と酸素のアナロジー、意味不明なことはないですけど、センスの違いでピンとこないこともありますね。
自分はSNSと言われてるサイトはほとんど利用してきてないです。それぞれ特徴がある様で、どのプラットフォームでの話を想定されているのか気になる所です。
昔ながらのphpBBみたいので作られているサイトは、特に混乱せずに外部からも読みやすくて、アルゴリズムで操作されているわけでもなく、ローキーな感じが自分にはあっている。
Facebookが自分のメンタルによくないって辞めた人もみてきたし、Twitterで失敗してた有名人なんかもいますよね。
トランプが大統領選に勝ったことで、アメリカ国内でのソーシャルメディアによる被害、悪影響の議論が下火になることが少し懸念される所。
SNS全般と言うなら、あなたが興味あることに反応した記事がおすすめされてるわけだから、何パーセントか数字は言えないけれども、あなたの行動・言動に(も)原因がある。
意味不明と言ってもその投稿者にはそれなりの理由、コンテクストが存在する。人間は主観的に自分の世界を見ているなり、理解しているというが最近のアカデミアも含めた一般の理解かと思われます。
Profilicity、オンラインのプロフィールとそのソーシャルメディアの世界で存在する自分が、Authenticity、昔からある自分らしさの在り方に置き換わっている、みたいな事を提唱されてたドイツ人で道教を結構専門で研究されてる方がおっしゃられてました。その本のレビューはぱっとしてなかったけれど、まあ、そういう側面なり見方もあるかなと思います。
イミフ投稿、緩い投稿、SNS全般、いまいち私にはポイントが見えておりません。
>>例えばさ、もし完成度が高い投稿しかなかったら、投稿しにくいと思うんだよね。
中身が薄くても、見た目のかわいい女の子の投稿がプッシュされている、この様な事は研究でその偏見が明かにされており、テクノロジーなりGAFAをはじめとしたBig Techにもう少し懐疑的であってもよろしいかと思う次第です。
話ずれているのは分かっておりますが、投稿します。Send!
>> しっかり八兵衛@ねじ式 さん
>SNSでの在り方と言いますか…何が一番大事で、何が一番マズイのか?ということについては、
大事なのは、SNSにしろ、リアルなコミュニケーションにしろ、大切なのは日本語であれ、何語であれ、まずは伝わることかな〜と。
海外旅行で英語圏や非英語圏にも行ったけど、言葉がちゃんと分からなくても、ある程度は伝わるし。
何を言いたいのか分からないと、共感が得られないどころか、反感さえも得られないのかな〜と思ったり。
このトピで書いた「雑誌や新聞で読み飛ばした記事」も、漫画雑誌の読まない連載マンガも読めば理解できるからこそ、「読み飛ばす」ということができるけど、
雑誌や新聞で「そもそも何を言ってるのわからない」記事があったら、また違う印象を与えるんだろうな〜と思った次第。
ストリートアートでいうと、バンクシーは高度な政治的解釈ができるから、価値があるという評価なんだろうけど、
OBAYは独特のステッカーで個性を放っているけど、私には何を言いたいかわからない。
これは前述につながるけど、雑誌や新聞で「そもそも何を言ってるのわからない」記事があったら、また違う印象を与えるのだろうけど、それはOBAYのようなアートになりえるんじゃないだろうか。
(なんだろう?と考えさせることが、現代アートの一つの特徴だし)
そのあたりは、八兵衛さんのいう「それも個性という解釈で良いのではないか?」というところにつながるのかも知れません。
んでもって、「それらを好む人は決して多くはない」かも知れないけど、
イミフ投稿もOBAYと同様、一定量を超えるとその人の様式美となって、別の価値が生じる可能性もあるのかも知れないな〜と思ったりもしました。
>> _カブ さん
色々な意味で無敵なやつ😆>> しっかり八兵衛@ねじ式 さん
大事なことなので2回言いました。…ウソです💦
>そんな実績も築いていないのに、いきなり物凄い勢いでガチトーンで発言したり、連投するというのは「バランスを欠くこと」だと認識しています。
一を聞いて十を知る。
じゃなくて、
一を聞いて十を言う。
になっちゃうのかも…
その昔、元同僚にウンチク好きな人がいて、何かの話題で琴線に触れると、マシンガントークを連投して、煙たがられていたのを思い出しました💦
色々知っていることをアピールしたいケースだと思いますが、ネットでググれば情報は無限にあるので、今時、知ってるアピールって、あまり有効ではないような…。
それにインプットに対して過剰なアウトプットしちゃうと、
「精度の悪い検索エンジン」「壊れた検索検索エンジン」みたいな振る舞いになって、「そうじゃない」感を与えてしまいそうですし。
最近の検索エンジンははじめに要約を出力してくれるので、今の時代、そういうセンスが必要なのかも知れませんね。
イミフな投稿もマシンガントークも、「今まで知らない知見を与えるかも知れない」という点で評価の余地を残しておきたいと思います!(真面目)
近年、本屋の価値として、ネットは知っている情報に紐づいた情報が入りがちだけど、
「本屋は知らない情報に触れられる」という話がありますし、それに近い効果はあり得るんじゃないだろうか。
私がトッチン氏の大抵の投稿に「イミフ」を感じるのは、個人的見解(アイデア含む)と一般論(の観察含む)を混同させている事なんですよね。私の頭の使い方ではそういう考え方をしないので「イミフ」なんです。
ただ、これって私が「世の中の全てを理解出来る」高慢さが前提でしょ?
そう考えると人様に「イミフ」を付与するのは読み手側の問題ですし、口に出してしまうと大変失礼となりますよね(今トッチン氏が私に感じている様に)。
その共通となる経験も何もない状態で、人とコミュニケーションする場合は、最初は理解出来ないところから始まる、ってのは私以上にどうも放浪経験があるトッチン氏にはよくわかる事かもしれませんが。
よくノンバーバルコミュニケーションとか言ってバーバルコミュニケーションを小さく見る向きがありますが、ノンバーバルコミュニケーションには共通のコンテクストが共有されている前提があります。
だから、私たちは人間どころか犬や猫とコミュニケーションを取れるのです(眠い、腹減った、嫌だ、面白いetc.)。こればっかりは実際に動物と交流してみないと理解不可能かと思いますが、慣れれば凄くわかりやすいですよ。
逆にバーバルコミュニケーションは、時空間をワープできる特性があります。
当然ですが、それと個人の好き嫌いは話が別です。
(更にマイネ王では特に「塩対応」を心掛けています、トッチン氏の好きそうな話をすれば、既にここは「縦の旅行」になっている為)
ざっと、新しい返信コメントを読ませていただきました。2点だけ、反応しておきます。
1. オベイ・ジャイアントのウェブサイトによると、「このステッカーには何の意味もありませんが、人々に反応させ、考えさせ、ステッカーの意味を探らせるためにのみ存在します。」
(政治・社会活動家、という肩書きも使ってるようです。あまり興味が沸かないので、スケートボーダー、ストリートアーティストと名乗る人が上手いことclothing brandのビジネス展開をしている。アートの世界でのしょうもないポストモダンの虚無でもあり、空虚な感じもします。)
2, https://en.wikipedia.org/wiki/Sokal_affair
ポストモダンの流れというのは、その時代の文化の本当に簡略化された呼称でしかないわけですけれども、subjectiveに特化した個人の世界観が定着しているというその前提の元に、「何か考えてください」みたいな、lazy、怠惰なだけで、「その何もやってないモードの私を見て、自分(あなた)を探してる自分を見る」とか言ったらいいかな、アホだって言って片付けるのが最善かと思われます。
(画像は1988年の映画「They live」からの物です。子供の頃に地上波テレビで見たのを覚えています。)
>> eq.18 さん
ご指摘はその通りだと思います。そして、とても良い指摘だし、かつ耳が痛いです。
イフミという表現が高慢だとか横柄な印象を与えるなど、何かしらネガティブな印象を与えるのは、至極当然です。
だから、前述の通り、適当な名称も思いつかず、どのように形容すればいいのか悩んだけど、言い方を変えても本質的に高慢さがある話なので、イミフという表現で断念しました。
ですが、私はイミフとするものを否定的に捉えているわけではない、高慢に構えるつもりもない、そういう意味で…
>イミフな投稿もマシンガントークも、「今まで知らない知見を与えるかも知れない」という点で評価の余地を残しておきたい。
…としました。
まあ、この見解も高慢さがあるんですよね。
(eq.18さんが言うように、口に出すと大変失礼になるワケですし)
しかし、不可知とかそういう話でもあるので、語ることが難しくないですか…
もし、誰かの投稿をそれなりに理解したつもりでも、正しく理解したかは定かでありません。
「理解できます」「分かります」という同意さえ、高慢に思う時もあるし。
この辺を深く考えるとキリがない。
東浩紀の著書「訂正可能性の哲学」を読んだけど、会話中でさえも言葉の意味は変容するとされていたような…。
まあ、そういうややこしい話なので、独立して自スレを立てた次第です。
(この辺のコメントを他の方のスレで書き過ぎるとスレ汚しになりかねない💦)
追加しますが…
> そう考えると人様に「イミフ」を付与するのは読み手側の問題ですし、口に出してしまうと大変失礼となりますよね(今トッチン氏が私に感じている様に)。
私はeq.18さんの今回のコメントが失礼だとは全く感じません。
「そりゃそう思うよな〜」って感覚です。
>> 退会済みメンバー さん
オベイの説明ありがとうございます。「They live」…見たことあります。
懐かしいですね。
Sokal事件は初耳です。
権威主義の弊害みたいに言えなくもないけど、そんな一言で片付けるには惜しい。
アートとも言えるし、認知バイアスも含んでいるし、面白い。
>lazy、怠惰なだけで、「その何もやってないモードの私を見て、自分(あなた)を探してる自分を見る」とか言ったらいいかな、アホだって言って片付けるのが最善かと思われます。
この意味の示すところは分からないけど、「鏡」みたいな話なのかな…
相手を見ているが、実は自分自身を見ている的な。
「よくわからないことを言っている貴方がいる」というのは、
すなわち「貴方を分からない私がいる」という解釈が正しいのか、
そこはよく分からないけど、鏡的な話ならば、それはそうかも知れない。
>> トッチン@寝不足 さん
>lazy、怠惰なだけで、「その何もやってないモードの私を見て、自分(あなた)を探してる自分を見る」これ、全然、考えずにやる気のない説明でした。お手数かけました。「ポストモダン」ってレーベルを貼り付けて、馬鹿にするってのが結構流行りなので真似してしまいました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Postmodern_philosophy
全然詳しくないけど、Jacques Lacanとかが言ってることは英語で言ったらBS、この時代のフランスの哲学はoverintellectualizeしすぎなんてこと言われます。
もしご存じなかったら、ポストモダン哲学とかポストモダニズムとかで検索されたらなんとなくわかると思いますが、基本、自分が趣味でやってる分には、これまで哲学者が考えてきたことをあまり否定せずに、フランクフルト学派の啓蒙主義への批判も、自分の少ない、わかる範囲では許容できるしもっと勉強しなくちゃいけない。Foucaultも Derridaも興味深い考察があるし理論もわかる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_postmodernism#Sokal_affair
前述の、fashionable nonsense見たいのも含まれてるし、おれが毛嫌いしてるそのpomoの風潮と、批判の概要がそこに書いてある。
ポストモダンとは関係ないんだけど、
https://en.wikipedia.org/wiki/Replication_crisis
この辺とか、科学での'peer-review bias'ってのも、結構深刻だから、おもしろい、興味深い以上の大問題と言うか知ってるべき課題の残っている事。
トッチンさんがどの辺の知識が得意とか気になるってのかいまいち見えてないんで、何をどんな風に多角的に見れるのか、何を探してるとか、どんなことに反応する人なのかとか、「確実に自信をもって知っていること、信じていること」から話を構築していくと、私みたいな人にはわかりやすいかなと思います。
他の投稿、あまり読んでいないので、時間がある時に覗いてみますね。
>> 退会済みメンバー さん
バイアス問題に興味があります。(自分の認知は簡単に歪むので、それを補正できるようにしておきたい)
自信を持って判断できる領域…というとおこがましいけど、世の中の出来事は「統計」や「経済」を軸に判断することが多いです。
統計については「Replication crisis」にあるような、データ上、正しくみえたとしても再現性のない錯誤のようなものはあり得るんでしょうね。
経済は行動経済学の本を読んだ程度ですけど、老若男女、経済合理性に基づいて行動するので、物事の判断基準としてはわかりやすいと思っています。
余談ですけど、意見が対立したり、モメるのを嫌がる人もいるけど、意見が対立して、時には否定して、摩擦を起こして世の中は発展しているので、摩擦が起きること自体は悪いことだと思っていないです。
不快感を受けたとしても、それが悪いか否かは断定できませんし。
>> トッチン@寝不足 さん
丁寧に説明いただきありがとうございます。哲学が出てこなかったのが気になる所ですが、一見して、私以上にしっかり本など読んで勉強されているのが伺えます。ただ自由奔放に考える人みたいな印象があったんですが、しっかり科学的な知識に照らし合わせた考察、分析などされるということで、勉強させていただく部分も多そうです。バイアスは認知科学、心理学の革命みたいな感じで盛り上がって、'Replication crisis'で一番ダメージを喰ったのがこの手の心理学。Substackで結構おもしろい、この分野の認知心理学者の話とか読んだ覚えがあります。認知バイアスは以前Wikipediaではかなりの数網羅して記載があったけど、最後に見たときにはそのリストが小さかった。おもしろいバイアスに関する実験の話とかあったら、聞いてみたいです。自分で気づける分には自分で学べるので、それ以外に対処方法ないと思います。
個人的には、'Empiricism'の歴史、本質を見定めないと、少し科学的知識ですとか証拠・事実確認に振りまわされ兼ねないので、spiritual/immaterialな側面の自分とバランスをとって考える必要があると思っております。
「統計」や「経済」は、私はまだまだ勉強中の身です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bayesian_epistemology
この辺を難しいこと抜きで、少しでも自分のコンシャスな決断力の一部にしていきたい。両方とも知識が乏しいので、たまにはテクニカルな言葉で読者にチャレンジしていただきたい。
実験の中では統計の手法は使われていて、’peer-review’の盲点みたいのが最近はよく話されているようです。再現性はないけど有名になってしまった実験、倫理的に今はタブーな(動物)実験とかはおもしろい。なんでも、裏事情、いきさつを読んだりするのが好きです。
'behaviorism'は、根強いですね。。
https://en.wikipedia.org/wiki/Reductionism
https://en.wikipedia.org/wiki/Two_Dogmas_of_Empiricism
私は基礎の勉強で手一杯と言うか、惹かれる。
トッチンさんのアバター、デザインいい!
>> 退会済みメンバー さん
それほど本は読んでいませんが、哲学は語るのが難しいので、先の投稿では割愛しました。どの学問も古典はあるのでしょうけど、哲学は古典がより多く生き残っている学問のようで面白いですね。
哲学本を読むと古典の解説がチラホラでてきますが、他の領域の本ではあまり見られない傾向じゃないだろうか。
哲学の話だと、ミーハーですが、テレビ番組「白熱教室」のマイケル・サンデル教授の社会哲学は面白かったです。
でも「ビルゲイツは1秒で150ドル稼ぐので、100ドル札を拾うのはマイナスだ」というような主張は経済を知っていれば分かる。
1秒で150ドルを稼いでいるけど、これは不労所得なので、1秒で100ドル札を拾えば250ドルのプラスになる。
トロッコ問題はトロッコを飛行機に置き換えれば自ずと答えがでる。
トロッコのレバーは倒して、ハドソン川にいくのが正解。
これは経済合理性で説明できる。
まあ、そういう経済合理性に対して疑問を投げかけるのが社会哲学なのだとは思いますし、
'Empiricism'の歴史とも重なる部分かも知れません。
人間が言葉を話して数千年、いまだにコミュニケーションの軋轢は消えませんし、古典哲学も新たな哲学もその軋轢を読み解くヒントになるのかも知れませんね。
ファクトチェックの話でいうと、大昔は意見の対立の何割かは暴力で解決していたわけで、今はファクトで済むことも多いのだから、まあまあマシになっているのだと思ってます。
>> トッチン@寝不足 さん
>まあ、そういう経済合理性に対して疑問を投げかけるのが社会哲学社会哲学じゃなくて、政治哲学の間違いです💦