この時期よく見る浴衣姿、その着方、大丈夫?
この時期、お祭りがあったり花火大会があったりで、街中でもよく浴衣姿の方を見かけますね。
でも、間違った着方をしてる方も結構見かけます。
右が前の人もいれば、左が前の人も見かけますが、浴衣、和装は左右どちらが前になるのが正しい着方か、ご存知でしょうか。
実は、男性はあっち、女性はこっちといった男女の違いはありめせん。
男女関係ないので、片方どちらかが正解ということです。
ここではどちらが正解かはあえて書きません(笑)
ちなみに、「右前」という言い方は、自分から見て右が手前、つまり、衿は左が上ということになります。
逆に「左前」は、衿は右が上です。
さらに言うと、
逆の間違った着方の人は、亡くなった方が纏う死装束と同じ着方なので、縁起が悪いとされています。
つまり、死装束の人が意外と街中にウヨウヨいるということです。
気になった方、心当たりある方は、一度ご自身で調べて、着るとき注意しましょう。
26 件のコメント
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右前、という言葉がわかりにくいですよね。
自分の右手(利き手)で財布を出し入れ出来る合わせ方、と教えられてから間違える事は無いです。
逆に合わせたら財布が入らないので。(実際には入れませんけど)
背中心がものすごく歪んだ着方をしている人を見ると、直してあげたくなりますw
>> ホットウォーター さん
え?>> 404@QueSeraゝ さん
女性も男性も和服は、左前>> ホットウォーター さん
(人) ナム―>> ホットウォーター さん
ならば親子で間違っていますよ。着物の衿合わせは、相手から見た状態を指すので、着ている本人の左が前に来ることを、「右前」と呼びます。
よって「着物は右前」と習うはずです。
一方、左前は「死装束」なので、それを指しているのなら、間違いではないですけど…
>> ホットウォーター さん
左を前にして着るというのなら正しいですが、それでもそれを「左前」とは言いませんね。>> ホットウォーター さん
例えば1列にA君、B君、ホットウォーターさんの順に並んでいたとして、
ホットウォーターさんから見て手前にいる人は誰ですか?
B君ですよね?
それと同じで、左より右がホットウォーターさんに近いので、「右前」と言います。
「時間的」に先に合わせるから前だと見ました。
「位置的」に手前かどうかの前ではないような?
何が正しいかは、よく知りませんが。
と言ってくれたら、わかりやすいんですけどねー。
勘違いしてしまって
右 前、左 うしろ
と思ってしまいます。うしろじゃなくて「あと」が正しいんだけど。
>> 真里亞 さん
コメント拝見し、今流れている菅田将暉さん出演のユニバーサルスタジオジャパンのCMを思い出しました(笑)着物に関してでなくても、おそらく以前は決められていた文化面のルールを守っていないこともあるはずです。知らないこともあるでしょうし。
縁起担ぎする文化も薄くなってきているように思いますが、それは人それぞれで信じる人は信じれば良いし、そうでない人はそうでなくても良いと思います。
>> α⇆ω さん
確かに仰る通りです。でもそれは、逆は縁起が悪いと言われていたことは知っていることが前提ではないでしょうか。
その方が、昔、その着方は縁起が悪いと言われていたということを知っていて、その上で、自由だから私は逆に着るというのであれば良いと思います。
でも、逆に着ている方は、恐らく知らない方が多いのではないでしょうか?
昔は縁起が悪いと言われていた事実を知っても、そのまま通すのでしょうか?
>> KITT3000 さん
知らないままでも良いのでは?敢えて言う必要もないと思いますよ。
では、着物の着方を決めたのはいつの時代なのでしょうか?その前があったはずです。
人間が都合の良いように勝手に決めた文化のような気もします。
これは、その人の自由だと思います。
襟元の合わせは、映像で覚えていたので右前と言われて混乱しましたが、さとさんが書かれている様に、右手を先に身体に沿わせると覚えました。右利きが大多数(当たり前だと思われた時代の名残)だったからでしょうかね?
着る時に左手を先に身体に沿わせると何故かやり難い気がします。ずっとこうだからでしょうが。。。
また、左前がなくなった方の着方となったのは、他人が着せたからではないでしょうか?右手から先に身体に沿わせると、自然と左前になります。
そこから、生と死を分ける着付けをしたのではないでしょうか?(これは私の考えなので違うかもしれません💦)
着方は自由かもしれませんが左前に関してだけは、縁起担ぎとはちょっと違う気もします。
最近と言うか随分前からですが、襟や袖にレースをあしらったり、ミニ丈にしてパニエの様に着こなしをしてる方も見かけますね。
個性的でかわいらしと思います。
アンティーク物は寸足らずだったりしますので、着るための工夫は必要ですね。
>> akoyo@🪷。.*ෆ🪷₊✼୭ さん
確かに、縁起担ぎとはちょっと違いますね。>> akoyo@🪷。.*ෆ🪷₊✼୭ さん
時代に合わせて文化を新しいものにしていく変化と、不勉強な無知が旧来の文化をぶっ壊しているだけの変化とでは、意味合いはまったく異なりますね。着方は自由だといって、葬式に白いネクタイをしていかないでしょうに、縁起担ぎともまったく異なる話でしょう。
>> kinghachi さん
そうですね。結婚式に、白黒の不祝儀袋に包んで持って行くのか。
知らなければ自由、仕方ないで済むのか。ってことになりますね。
知っていたとして、それでも不祝袋で包んで行く人は、自由です。って言えるんですかね。
縁起担ぎもまた別な話で、
例えば、今日たまたま違う違う道を通って学校に行ったら、テストで100点が取れた。
だから、今度からテストの時はこの道を通って学校に行こう。
みたいなものですよね。
まあでもいいんじゃないかな。
α⇆ωさんは、着方は自由だというのだからそれはそれでいいと思いますよ。
周りからどう見られ、どう思われるかは別。
あくまでも自由は自由なだけですから。
結婚式に数珠持って行って、黒いネクタイしていって不祝儀袋を持って行ったとしても、オレの自由だというのであれば、良いのです。
「自由」とはそういうものですから。
>> KITT3000 さん
こういった話をすると極端な話をする人がいます。程度というものがあるとは思いますよ。文化というものは徐々に変わっていくもので、正しい間違いは思い込みによる習慣で決めつけられています。思い込みの刷り込みが知らないうちに解けて変わっているものが文化として染み付いてるんじゃないのですかね。
>結婚式に数珠持って行って、黒いネクタイしていって不祝儀袋を持って行ったとしても、オレの自由だというのであれば、良いのです。
私たちが知らない未来には、こういった服装も何の問題もないかもしれません。
反発するように、極端な話をするのは控えたほうが良いと思いますよ。
>> α⇆ω さん
反発ではないですよ。「その人の自由」で通そうとしているように見受けられただけです。
では、逆に言えば極端な話をしても自由を押し通すのかと思えば、そうどもないようで。
そこには限度がある、さすがに自由ではないと?
では線引きはどこですか?