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カルチェラタンのホテルでミミのことを思う

セーヌ川の中にある大きな中洲シテ島付近の左岸はカルチェラタンと呼ばれる地区である。
多くの大学がある文教区であり学生街でもある。
学生相手の安アパートも多く連れて安ホテルも多い。
安ホテルの中には道路に面した入り口のドアに部屋の種別や料金を書いた紙を貼っている所も多く部屋探しに苦労しなくて済む。
その中の一軒のホテルに宿泊した。

4階建ての最上階で天井が建物の奥まった所は水平であるが道路側2m位の所で屋根と同じ斜め勾配になって外壁に繋がっている。
所謂屋根裏部屋である。

窓から見える屋根や空の風景。
朝になると窓から太陽の日差しが降り注いでくる。
何か既視感があるなと思ったがそれはプッチーニの歌劇『ラボエーム』であると分かった。
主な舞台は将に私が今いるカルチェラタンの屋根裏部屋である。

屋根裏部屋5.PNG

屋根裏部屋の雰囲気が良く出ているセット
歌手はプラシド・ドミンゴとテレサ・ストラータス

『ラボエーム』は4幕物の歌劇で各幕が起承転結に沿って展開するので分かりやすい。
第1幕と第4幕の舞台が屋根裏部屋の場面であるが第1幕は陽、第4幕は陰と対比を際立たせて雰囲気はまるで違う。

第1幕の前半は登場人物の紹介である。
寒々とした屋根裏部屋で貧しいが将来の成功を夢見て自由奔放な生活をしている4人の芸術家の卵達が共同生活をしている。
このような人々はボヘミアン(フランスではボエーム)と呼ばれていた。
クリスマスイブの夕方皆で街に繰り出そうとするが詩人のロドルフォは原稿を書き終えてから行くと一人部屋に残る。
そこに同じ階に住む女性ミミが蠟燭の火が消えたので灯を貸して欲しいと現れる。
ミミは仕立て屋で服に刺繍を縫い付ける仕事をしているお針子である。
彼女らはグレー系の服を着ていることが多かったのでグリゼットと呼ばれていた。



ミミ.PNG

初演時のミミの衣装デザイン


ここからが第1幕の後半で二人は蝋燭の灯の消えた暗い中で床に落ちた鍵を手探りで探すうちに手と手が触れたことがきっかけでお互いに自分のことを話し恋に落ちる。
ミミは自己紹介として
「私はミミと呼ばれています。でも本当はルチアというんです。 」と始まる有名なアリア「私の名はミミ」を歌う。
私はこれを聴く度にどうしてミミという名を初っ端にいうのか疑問に思っていた。

当時はフランスでも産業革命が始まり大量の労働力が必要となり地方から都市への人口流入が顕著であった。
パリの人口は19世紀初頭で55万人、ミミのいた頃(1831年)で79万人、その15年後には100万人を超えている。
このうち雇用労働者は44万人で内訳のトップは被服関係の9万人である。
その大半をグリゼットが占めている。
労働者の賃金は低くその中でも女性は男性の半分位の賃金しか貰えず住むところもカルチェラタンの家賃も安い地域に住んでいた。
因みにグリゼットの日給は2フラン、年収は550フラン程である。
階段しかないアパートの最上階の屋根裏部屋は最も家賃の安い部屋であった。
家賃は4人組の大部屋が月25フラン、個室の相場は5~6フランであった。
1フランの価値は何を基準にするかで研究者によって違うが1000~2000円だったようである。
こういう部屋に住みながらぎりぎりの生活をしているグリゼットの中には自分たちの女性という立場を利用して金銭を得る生き方を選ぶ望む者も出てきた。
こういう女性を軽んじるような意味合いを含んで同じ音を繰り返す名前を愛称として付けられることが多かった。
ミミという名にはそういう背景がある。
初対面の人にどうしてミミという名を先にいうのか疑問に思った所以である。

第2幕でムゼッタ(20歳)が登場する。
彼女は4人のボエームの中の画家のマルチェッロを愛しているが今は贅沢な暮らしがしたいがため政府高官の愛人になっている。
彼女は高官をルルと呼んでいて高官に人前ではその呼び方は止めろと注意されるが愛情もなく金銭だけが目当てのムゼッタは内心では高官を軽く見ているので意趣返しでルルという名で呼んでいたのではないかと思う。


オペラ『ラボエーム』の原作はフランスの作家アンリ・ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』という作者自身の体験を基にした23の短編を纏めた私小説である。
本屋や図書館でも探せなかったがネットに全編の抄訳があったので参考になった。
原作を読むとミミはロドルフォを愛しているが金のためには子爵の愛人になることも厭わない打算的で奔放な女性として書かれている。
この意味では「私の名はミミ」と歌いだすのは首肯できる。
しかし、これでは二人しか登場しない女性が全く同じ性格となり物語の展開が平板になる。
二人の性格は対照的でなければいけない。
ミミはあくまでも貧しくも可憐で倹しい生活をしている女性でなけれなならない。
原作を読み進めていくと正にぴったりの人物がいた。
フランシーヌという女性で消えた蠟燭の灯を借りに行く所から最後に同じ部屋で亡くなる所まで全く同じである。(原作ではミミは自殺未遂により衰弱し慈善病院に収容されそこで亡くなり解剖され共同墓地に埋葬される)
オペラのミミは原作のミミとフランシーヌを合体したもので両者を適宜使い分けて成功している。 

以下グリゼットが登場するオペラをいくつか紹介する。
プッチーニは後に『つばめ』というオペラを作曲しているがこれもグリゼットと銀行員のパトロンの物語である。

ヴェルディの『椿姫』のモデルであるモデルマリー・デュプレシも実在の人物である。
彼女は15歳で洗濯屋や帽子屋で働いていたが裕福な商人の愛人となりマナーや社交術を教えられ翌年にはパリで最も有名な高級娼婦となった。後、子爵位を持つ軍人と結婚したが結核を患い23歳で死去。

レハールのオペレッタ『メリーウィドウ』の第3幕のパーティの場面でパリのキャバレーの踊り子たちが「私たちは陽気なキャバレーのグリゼット」と歌い踊る。
彼女らの名前は
ロロ、ドド、ジュジュ、フルフル、クロクロ、マルゴである。
見事に同じ音を繰り返す名前が揃っている。
『メリーウィドウ』は『ラボエーム』の2,30年後の物語である。
この間にグリゼットはお針子だけでなくキャバレーの踊り子や歌手も指すようになったことが分かるトである。
又、ポンテヴェドロ国のパリ駐在公使ツェータ男爵夫人であるヴァランシエンヌ(20歳)も元グリゼットである。
更にハンナは書記官であるダニロ男爵と恋仲であったが身分が違い過ぎると親戚から反対されたが最後には結婚する。
彼女もグリゼットであった可能性はある。

最後に実話を一つ
フランスの世界的に有名なデザイナー、ココ・シャネルである。
彼女は幼少期家族7人が一部屋で暮らすほどの貧しさであった。
12歳の時母が亡くなり修道院の運営する孤児院とカトリック女子寄宿舎に預けられそこで裁縫を学んだ。
そこを出て仕立て屋に就職したがそれだけでは生計が立てられず副業としてキャバレーで歌を歌っていた。
その頃の愛称がココである。
その後才能と努力と運(=パトロン)によって名声を博するようになる。
彼女こそ史上最大に成功したグリゼットである。
(ココ・シャネルについてはウィキペディアに異常な程の熱情をもって延々とその生涯が語られている。興味のある人は一読されたい)




以下の文献を参考にした。

〇ジョルジュ・サンド『アンドレ』・『オラ}ス』に描かれる
19 世紀フランス女性労働者たちの空間
高岡尚子 大阪公立大学

〇グリゼットの栄光と悲惨
小倉 孝誠
慶應義塾大学藝文学会

〇ミミは結核で死んだのか?
ミュルジェール『ボエーム生活の情景』における〈病〉
辻 村 永 樹

〇赤 司 道 和
『19世紀パリ社会史 ―労働・家族・文化―』
大森弘喜氏による書評

〇アンリ・ミュルジェール
『ボヘミアン生活の情景』



mimi3.png

第1幕の最後に歌われる2重唱の場面である。
上の楽譜で赤色の線で囲んだ部分(映像の1:12からの数秒)が私のお気に入りの旋律である。
この部分がうまく聴き取れたら他は聴かなくてもいい(ことはない)。

ロドルフォ役はローランド・ビラゾン、ミミ役はアンナ・ネトレプコでこれはコンサートでの歌唱であるが2009年には実写版の映画でも共演している。
ネトレプコの最盛期の歌唱、演技が素晴らしい。


1 件のコメント
1 - 1 / 1
hijiake
hijiakeさん・投稿者
ベテラン

パパ活.PNG

下書きが終わり「入力内容を確認」ボタンを押したが不適切な表現があるという警告が出て先に進めなくなった。
過去の経験から使用した単語に不適切なものがあると判断し探したら上記の赤枠で囲った単語であると判明した。
この行を削除したら投稿OKとなった。
コメント欄にスクショで上げればお咎めなしのようである。
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