掲示板

学生歌としてのデカンショ節 ③


焦螟(しょうめい)
『列子』「湯問」篇に「江浦之閒生麼蟲,其名曰焦螟,群飛而集於蚊睫,弗相觸也。栖宿去來,蚊弗覺也。」とある。
「江浦地方に小さな虫がいる。名前を焦螟という。蚊の睫毛辺りを群れて飛んでいるがお互いぶつかることはない。蚊の睫毛に巣を作って行き来しているが蚊自身はそのことに気づいていない。」という位の意味であろう。
蚊の睫毛に巣食う虫、焦螟は極めて小さいものの例えとして用いられる。
日本では夏の季語として歳時記にも載っているので意外と知られている。
「焦螟のその睫毛にもさらに虫」
という川柳みたいな句もある。

本題に戻って、私の住んでいた寮にもデカンショ節はあったがコンパで歌われるのは寮歌や逍遥歌、即興で作る替え歌や春歌が主でデカンショ節を歌う頻度は多くはなかったので余り記憶に残っていない。又、50年以上も前のことでありボケの始まった老人にとって思い出すのに苦労する。
「どうせやるならでっかいことおやり」と「どうせやるならちっちゃいことおやり」と対になった歌詞があったのは覚えている。
「万里の長城から小便すればゴビの砂漠に虹がたつ」というのがあって
でっかい方の歌詞としては相応しいが、これはこれで歌詞として纏まっているので「でっかいことおやり」が入る隙間が無い。
結局でっかい方は思い出せない。
一方ちっちゃい方は覚えている。

どうせやるならちっちゃいことおやり(ヨイヨイ)
蚤の金 ball 虱取り(ヨーイヨーイデッカンショ)
という歌詞である。

この歌詞を創るとき私の遠い先輩は小さいものは何があるか考えた時焦螟のことが頭に浮かんだのではなかろうかと想像した。
●蚊→睫毛→虫→住む
●蚤→gold 玉→虱→取る
両者同じロジックである。

そのまま「蚊ァの睫毛に虫が住む」でもいいが只の俗謡如きに使うのは恐れ多いので諧謔的で卑近なネタで蚤の金gold 玉ball 虱取りとしたのではないだろうかと愚考する次第である。

以上だらだらと書いてきたが歌詞を読み返すとその内容は学校生活よりも寮生活に関する歌の方が多いことに気づかされる。
寮生活は羽目を外すことも多かったが、いろんな分野の学生と寝食を共にし議論し触発されて人格形成の上で学校で学ぶこと以上のものを得ることができた。
「学生歌としての」ではなく「寮生歌としてのデカンショ節」とした方がよかったのかもしれない。


今回の投稿は原文のままで「入力内容を確認」ボタンを押すと赤文字で不当な表現があるとの警告文が出てきて投稿できなかった。
下記の「せんちゃんさんのスレッド『う〇こが消された』」を参考にして「金 ball 」「gold 玉」と表現したところ無事投稿できました。
ありがとうございます。
https://king.mineo.jp/reports/271551?page=1&without_script=true#comments



正調デカンショ節で終わる。


0 件のコメント
コメントはまだありません。
コメントするには、ログインまたはメンバー登録(無料)が必要です。