(ビデオゲーム史)ファミコンとナムコのはなし(前編)
近年、You Tubeなどでレトロゲームをプレイする動画が増えており、ファミコンをはじめとしたレトロゲーム機、ソフトの取引価格は高騰しとるわけですが…
所謂ビデオゲーム史について勉強している人は、意外と少ないですよね?
知っているつもりでも全然、知らなかったゲームの歴史。
僕はそういうものを日々、掘り起こしてます…
【ファミコンのサードパーティ】
ファミコン世代の方なら、ご存知かもしれませんが…最初にサードパーティとしてファミコンソフトつくったゲームメーカーって、どこだと思いますか?
正解は、ハドソンです。
「ナッツ&ミルク」と「ロードランナー」が、初サードパーテのゲームです。
ファミコン発売当初、任天堂は自社製ゲームだけでやっていくつもりでした。(アメリカで起こった、アタリショックという不況が原因)
しかし本体発売した頃、ハドソンに周辺機器(ファミリーベーシック)の開発を持ち掛けた事を機に、サードパーティ参入も決定したそうです。
このように任天堂からの持ち掛けで参入したハドソンですが。
勝手にファミコンソフトを作り、「うちも参入させてくれよ」と詰め寄ったゲームメーカーが存在しました…それが、ナムコです。
この、ナムコの歴史を深堀りしたので軽く(!?)、ご紹介します。
【ナムコの前身】
ナムコ。現在はバンダイナムコになってしまったが、元は中村製作所という社名。
ナムコ創業者である中村雅哉の親は、鉄砲店をやっており、当初は中村も家業を継いで空気銃の修理をしていた。
しかし、銃刀法の規制が強まり、銃はイメージも良くないことから先が無いと感じ、家業を辞めて独立…中村製作所の誕生である。
最初はデパートの屋上とかにあった、モーター駆動の遊具を設置していた。
その後、アメリカの大企業であるアタリの販売子会社であるアタリジャパンを買収するという、大きな賭けに出る。
【アタリ社とは】
アタリは、ノーラン・ブッシュネルによって「ビデオゲームをつくるためだけに設立された」世界初の企業。
1972年に創業されたアタリは、「ポン」というゲームで爆発的ヒットに恵まれ、資本金500ドルで始まった企業が、翌年320万ドルの売上を記録。
世界2番目の家庭用ゲーム機をつくったメーカーであり、かの有名な「アタリショック」という不況を生み出した会社、でもある…
(余談だが…あのスティーブ・ジョブスもアタリに雇われていた…!)
【アタリジャパン買収の背景と、失敗】
当時の中村製作所は、セガ、タイトーという巨大メーカーに追い付く為に必死だった。(ちなみにセガとタイトーはアタリジャパン買収を断った)
だが、アタリジャパン買収という大きな賭けは、残念ながら失敗。
会社丸ごとの買収であったため、アタリジャパンの倉庫にある不良在庫もすべて中村製作所のものに。
しかも、その多数は壊れており、使い物にならなかった。
更に、アタリジャパンの開発者が5人いたが、買収後、次々に辞めていき一人も残らなかった。
アタリ側は技術支援するって言ってたのに、具体的なものは皆無に等しく、「技術支援」というワードをちらつかせて高額な契約料をそれっぽく見せかけていただけ…
そして、買収に使った金が大きすぎて、アタリへの販売権を有していても購入する余裕がないという…(悲惨すぎる)
中村社長は悔やみつつ、在庫の山になったアタリの不良品を直し、これを各地のデパートの屋上に置いていった。
ただし、これで中村製作所とアタリの仲が悪くなった…わけではなく。
1976年に中村社長はアタリまで出向いて、未発売だったゲーム、「ブレイクアウト」(ブロック崩し)にハマる。
数時間にわたりプレイし続け、「いい加減にしろ」と止められるまで熱中し続けた。
中村社長は帰国後、「ブレイクアウト」のヒットを確信し、注文を入れるも…アタリから大量の筐体をもらい受けるほど(先の買収のせいで)、まだ中村製作所は体力が戻っていなかった。
そんな追加注文が遅れた隙を突かれ、市場には大量のコピー基板が出回ってしまう(ちなみに任天堂もブロックフィーバーというクローンゲームを稼働させてた…)
【ナムコの誕生】
1976年に中村製作所は大型ドライブゲーム機(エレメカってやつですかね)である、F1を稼働。
模型の車の前方にスクリーンが貼られてて、ハンドルと操作してそのスクリーン内の車を動かしライバル車をかわし、制限時間内にどれだけ高得点が取れるか競うゲーム。
これがヒット作となり、アタリにも購入してもらい、海の向こうでもヒット。
これを機に、中村製作所じゃ海外受けしないだろうと、社名を変更。ナムコの誕生である。
ナカムラ・アミューズメントマシン・マニュファチュアリング・カンパニーを略して、ナムコ。
【インベーダーゲーム、そして…】
翌年の1978年、ゲーム市場を揺るがすタイトルが稼働。
タイトーの「スペースインベーダー」の登場である。
百円玉増産せざるを得ないくらいの大ブームになったが、冷めるのも早く…1年半くらいで沈静化。
そのタイミングで投入されたのが「ギャラクシアン」だった。
敵が、じわじわ迫りくるだけのインベーダーとは違い、ギャラクシアンは複数の敵が曲線を描いて襲来。
インベーダーはシンプルな背景だが、ギャラクシアンは専用回路を積んで星が流れる画像を描写。
アタリジャパンの買収からは5年が経過していた。ナムコの技術の下積みが、花開いた瞬間だった…
ようやくギャラクシアンまでたどり着いたので、一旦止めます(笑)
このギャラクシアンが、ナムコのファミコンのサードパーティ初参入ゲームです。
需要と僕の体力があれば、つづきます(笑)
【余談】
ギャラクシアン登場の翌年、歴史的なゲームを稼働させたナムコは、アーケードゲーム市場での地位を盤石なものとします。
レトロゲーム好きなら、おそらく知らない人はいないでしょう…そう、パックマンです。
(しかし、こういうの需要あんのかな~w)
ゲームは歴史っす
(などと、スレに書いたことがある、ゲームっ子です!)
セガを買ってしまいましたが、ニンテンドーにしておくべきだったかな~と話して、その後、買いました!
ゲーム開発先駆者のお陰でソフト一つにいろいろなハードで遊べるという便利な世代になりました。
持ち運べるゲームに大画面で遊べるもの、ネットで繋がり、競えるもの、世界を目指せるもの、
その一歩を踏み出した方々に感謝ですね。
その恩恵に預かっておりますm(_ _)m
しっかり八兵衛さん貴重なお話ありがとうございますm(_ _)m
>> まきぴ~ さん
す、筋金入りのゲームっ子じゃないですか~!!「セーガー♪」はわかるけど、アタリのCM!?YouTubeで観られますかね?😅
ファミコンブームの頃にカートリッジ交換式ゲーム機=ファミコンと思い込んでる、世のお父さん達が間違えて他社ゲーム機を買ってしまい、子供ギャン泣き…みたいな事もありましたね(笑)
ファミコンをはじめとした数々のレトロゲームの画面を見たり、またはサウンドを聴くだけで、日本という国がイケイケで活気に満ち溢れ、未来がキラキラしたものだと信じて疑わなかったあの頃に、すこしだけ戻れるような気がするんですよね…涙が出ます🥲
>> おとぶ@🌟🍐🌷 さん
僕が専攻しているビデオゲーム史は、所謂レトロゲームなんで、フラットシェーディングのポリゴンゲームかテクスチャマッピング導入初期あたりまでですよ(笑)>> チェリー★ さん
おっしゃるとおりです!😭名作、駄作、クソゲーと色々なゲームがありましたが…当時の限られたメモリや、制約だらけのハードで苦労しながら制作してた人達がいるから今があるんですよね。
もちろん、ゲーマー達の功績も馬鹿にできません。買う人がいなけりゃ発展しませんでしたよね。
今後もマニアックなゲームの話を、していきましょー✊
>> しっかり八兵衛@ヲタクな農家見習い さん
私の独り言のようなコメントに返信頂きありがとうございますm(_ _)mお話に必ずしもコメント返しをできないこともあるかもしれませんが可能な限り楽しくお話できたらと思っております。よろしくお願いしますm(_ _)m
>> しっかり八兵衛@ヲタクな農家見習い さん
追伸…多分本当にゲーム好きな方にはお叱りを受けるほど詳しくはないと思います。自分の好きなものにだけ没頭してプレイする達なもので、わからない事は素人以下の知識や経験ですのでどこまでマニアックなお話についていけるでしょうか?タジタジ〜
お手柔らかにお願い申し上げますははー(^_^メ)
ドルアーガの塔が好きで、ときどきプレステ版でやってます😁
>> チェリー★ さん
いえいえ😅僕も間違ってることがあるかもしれないし、そもそも自慢する為に勉強してるんじゃなく、単に興味あるから調べてるだけですからね。
文章にも自信ないんで、今回も読んでくれる人がいるのか半信半疑で書いてました(笑)
楽しんでくれてる人がいるなら幸いですよ。
明日から、誰かとゲームの話する機会あったら「知ってる?ナムコの創業者の実家、鉄砲屋なんだよ」って、ドヤ顔で語ってもらってOKです👍(笑)
>> Y. Daemon@ポリアモラス さん
名作ですね!音楽も素晴らしい!今でも遊んでるって、良いですね😚
ナムコミュージアムですかね?
僕はドラゴンバスターが好きです。
>> しゅんたんたん さん
隠し演奏モードですよね(笑)ファミマガ(徳間書店)が裏ワザとして掲載したら、「なに無断で載せてんだよ!💢」ってナムコが激おこ、争いが起きそうだったけど…
徳間書店がスポンサーになってる「風の谷のナウシカ」の曲をナムコが無断で使用してた為、双方で話し合いした結果、より一層の友好関係が結ばれた…とう(笑)
子供の頃は生活の一部。親に叱られながら遊んでました(笑)(*^^)v
話を聞かせていただきましたし、その絡みでNGに一回書いてます(って事は広報のおねーちゃんだったのかしら?)。
大学時代は無理やり押し掛けた某大学サークルの絡みでSETA NETというところに出入りしておりました。
ワルキューレの伝説をゲーセンでやりまくったのでVol.5を買ってもっていて
Vol.2と3は最近手に入れました。
あと1,4,6,と思いつつもナムコアンソロジーも視野に入れないといけないかと・・・
PS3でプレイするのですが、オンラインだとミュージアムは800円とお安く手に入るのですが、やはり現物欲しいです。
BSで、ハドソンの経歴を紹介した番組もありましたので。
>> モバイル クエスト@ EXP 21 📲 さん
ファミスタもかなり人気でしたね~😄僕は野球自体がそんなに好きじゃなかったんで、究極ハリキリスタジアムのほうが好きでしたが(笑)
乱闘とか出来ましたよね(笑)
>> かくいち さん
ミュージアムはアーケードの移植ですが、アンソロジーはコンシューマ機の移植だから、外してもいいような気もしますけどね😅僕は既にPS本体は失ってますが、ミュージアムは全てパッケージ版で持ってますね(笑)
(PCで吸い出してPSPで遊んでます。)
>> 所沢条司 さん
思った以上に反響があるので、暇を見つけては続けようと思います😄ハドソン…ゲームソフトメーカーなのにチップセットの設計まで手掛けてた変態技術集団(褒め言葉)ですね(笑)
「100円玉がいくらあっても足りん。自分でパソコン作って無料でゲームしよう」と、決心
そしてMC6800/6809パソコンを作り始めて、結果的にIT関連の一生になってしまった私。100円玉を稼ぐ方が楽な人生だったのかもしれないけど、後悔はしていない🤣。
>> 流しのモバイル人@増設温泉旅館まいねお さん
IBM PC/AT互換機の自作とは、全く違う自作ですよね…凄すぎます!!モトローラの6809といえば、僕が最初に触ったパソコンが6809搭載機でした。(富士通FM-77)
その頃には既にX-68000もFM-TOWNSも出てて、なぜ富士通がインテル積んで、シャープがモトローラ積んだの?って思ってました。(今でも謎です)
そういえば、アーケードゲーム全盛期の基板って、ほとんどMC68000なんですよね。
>> しっかり八兵衛@ヲタクな農家見習い さん
そうでしたっけ? 先に出ていたクレイジークライマーとかはコピー基盤対策として「特定顧客にしか提供しないCPU」を使っていた覚えが……違った。Z-80+AY-3-9810!https://ja.wikipedia.org/wiki/クレージー・クライマー
うわー、矩形波だけのPSGだ。なっつかしー
※といっても、当時のナムコの硬質なサウンドとは違うんだよなぁ
>> pasorin さん
ごめんなさい😣これは完全に僕が、うっかり八兵衛でした(笑)
つい、軽率にアーケード全盛期とか書いちゃいま
したが、僕が指してたのは1980年代後半から1990年代初め語呂までのアーケードゲーム基板で、メインCPUに68000がよく使われたなーと。
SNKのネオジオ、セガのセガ・システム16、カプコンのCPS-1とCPS-2、タイトーF2やF3など…
ちなみに世界初の68000使用のアーケードゲームはアタリの「フードファイト」で、国内初はナムコの「リブルラブル」だそうです。
どちらも1983年だそうで…そんな時代からとは…息の長いCPUですね。
クレイジークライマー、ゲーセンでは未プレイです😅
ファミコン版は特殊なコントローラー付属でしたっけ?
>> pasorin さん
あと、セタネットってゲーム業界人が出入りしてたという伝説のBBS…で、合ってますか?そんな時代からパソコン通信してるなんて凄いですね!
僕はポケベル全盛期(92〜93年)にパケット通信を体験したくらいです(笑)
もちろん携帯電話じゃないです、アマチュア無線+パソコンです。
めちゃくちゃ速度遅かった~(笑)
>> しっかり八兵衛@ヲタクな農家見習い さん
です。あそこで「ガンヘッドオモシレー」て書き込み見てPCエンジン買いましたし、「社長とチャットして、スーパーリアル麻雀テレカを貰おう 」とか色々ありましたね。当時最新の2400bps MNP5のモデム買って参戦でした。その後、v.32をどうしようとか言ってて、v.32bisを超える16800bpsのモデム買ったりしましたねぇ。
※ちゃんと国際電話でも16800bps出ました
ファミコンはよく遊んだなあ。
ギャラクシアンよりギャラガが好きだった。
ゼビウスもよく遊んだ😊
>> auron さん
僕もギャラガのほうが好きです!デュアルファイターがたまりません😆ギャプラス、ギャラガ88も好きです!!