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【読み物】バトンタッチ 第一話:雨

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五話完結予定の物語です。
今回が第一話です。



「大変申し上げにくいことですが、あなたの息子さんは脳死状態に陥りました。今後、意識が回復する可能性はまずありません」
大切な一人息子が交通事故に遭遇したことによって突きつけられた残酷な現実。
彼の免許証の裏になされていた『自分が脳死状態に陥ったときには、心臓を含むすべての臓器を提供する』旨の意思表示。
彼はもう二度と、目を開けることも無ければ物を言うこともない。
しかし、管に繋がれた彼の髪や爪、髭は日々伸び続け『身体は生きている』という生体反応を示す我が子の前で、両親は何を思うのか。

重度の心機能障害でドナーが現れるのを待つ女性。
『ドナーが現れることで、自分は生きる望みを得ることが出来る。でも、それは同時に「意識はないけれど、身体は確実に生きている人」から生命を奪うことになる』
人の生命を奪ってでも、自分は生きるべきなのか?
だとすれば、自分は何のために、そして誰のために生きているのか?
自分はそこまでして生きるべき理由があるのか?

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【おことわり】
このお話はフィクションです。
実在の人物や団体、社会情勢などとは一切関係ありません。
作中に医療行為等の表現が登場しますが、実在するものとの関わりは一切ありません。
医療行為に関する意見を交わす場とするつもりもありませんし、特定の思想等を広めるつもりも全くないので、そのようなコメントがあった場合は予告なく削除します。

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運命の日。
あの日は朝から断続的に雨が降っていた。

「ねえリョウくん、こんな天気なのにバイクで出勤するの…?」
心配性な母が、玄関先で雨合羽を着込む僕に台所から話しかける。
「だって僕の車、車検に出してるから仕方ないじゃん。それに雨は昼前に止むって予報で言ってたし」
本当のことを言うと、僕だって雨の日はバイクで通勤したくない。
でも僕の車は整備工場に預けてある。車検の間、代車を借りれば良かったんだけど『代車不要の方は整備費用を割引します!』という宣伝文句につられて僕は代車を借りなかった。
『○○駅徒歩○分、通勤至便』を謳う不動産物件と対極にあるような僕の家は恐ろしい位山の中にあるから、通勤手段は車かバイクしかない。まあ、雨の中バイクに乗るのは慣れているし、安全運転で行けば大丈夫。
「あ、リョウくん。大事な物を忘れてるっ!」
母がそう言って重い身体を揺すりながら、廊下をドタドタと走ってくる。
「こんな大事な物をスキャナの中に忘れるだなんて、どうかしているんじゃないのっ」
そう言って怒鳴る母の手に握りしめられた物を見て、僕は凍り付いた。

僕がスキャナの中に忘れていた物、それは免許証。
格安スマフォの契約で『本人確認できる書類の写しをご呈示下さい』って言われてリビングに置いてあるスキャナでコピーしたのはいいけど、免許証を財布に仕舞うのを忘れていたんだ…
「全く、だらしないんだから…」
そう言って僕に免許証を渡そうとした母が裏面のサインに気付く。
「何これ?」
運転免許を持っていない母にとって初めて見るものらしい。
「あ、そうか。母さんは免許持ってないから知らないんだ。ここは臓器提供の意思を示す欄。だから、僕のサインがあるんだ」
「で、リョウくんはどうするの?」
母が不思議そうに免許証の裏に視線を落とす。僕は母に答えた。
「脳死の段階で、臓器をすべて提供します」
その言葉を聞いた母が身震いした。
「臓器を人にあげちゃうってことは、死んだ後に身体を切り刻まれるってことなの?ああ、やだやだ。想像もしたくない。くれぐれも気をつけてね」

僕は学校を卒業すると、隣の市にあるサナトリウムで理学療法士として採用された。同じ町にいる看護師さんから職員募集の話を聞いて応募したらトントン拍子に話は進み、僕は毎日片道一時間近くかけて車かバイクで通勤することになった。
待遇がそこそこいいのと実家から通えるっていうのが志望の動機だったんだけれど、唯一『町から山を一つ越えて、更にその先の山頂付近に勤務先がある』っていうことだけはいただけなかった。
山道を暫く走ると、僕に職員募集の話を教えてくれた辻さんの家が見えた。彼女は精神科の閉鎖病棟で看護師長をされている偉いお方。普段は優しく、時には厳しく。何かと僕のことを気にかけてくれている彼女は、昔からの流れでずっと僕のことを『リョウくん』と呼んでいる。それに釣られてサナトリウムのみんなが僕のことを『リョウくん』呼ばわりするけど、サナトリウム内で僕以外に名字ではなく名前で呼ばれているのは僕だけだ。挙げ句に、患者さんにまで『リョウくん先生』と呼ばれる始末。そういえば、院内で『田村さん』って名字で呼ばれたのは採用された日だけだったような気がする。職員で僕以外に『田村』はいないのに…

バイクで走りながら辻さんの家に目をやると、辻さんはまだ家にいるようだ。
彼女の車は村内でも相当目立つし、ご家族はそれぞれ自分の車を持っておられるから彼女の車が納屋に突っ込んであるかどうかで在宅か否かが容易に判別できる。車があるけど家にいないっていう時は大抵ご近所さんと宴会か畑の手伝いだから…
キャンバストップ仕様で可愛らしい色の車を眺めながら、僕はスロットルを煽った。彼女がまだ家にいるってことは、朝に弱いご主人と子供さんを叩き起こしている最中で、家の中は修羅場なんだろうな。そう思いながら僕は山越えの道へ進む。
山越えの道は昨年の台風のせいで崖崩れが発生していた。
僕は道を譲ってくれた復旧工事のダンプカーを追い越し、山を登る。いくつかのカーブを過ぎ、あと少しでサナトリウムというところで復旧工事の現場にさしかかったとき、僕は致命的なミスを犯した。

朝早い時間帯だから工事現場には誰もいない、筈だった。
そう思って油断していた僕の視界、ガードレールの向こうで一人の作業員の姿を認めたその瞬間…
『いないと思っていた人が、いた』事実に面食らった僕は、慌て気味にブレーキをかけた。
アスファルトの上なら何の問題もなく減速できていただろう。しかし、運の悪いことに僕がブレーキをかけた道路は、鋼製の覆工板で覆われていた。
覆工板の上で急ブレーキをかけるという大失態をやらかした僕は、いとも簡単にバイクから振り落とされるとガードレールに向かって一直線に滑った。ああ、やっちゃった。こりゃ大怪我になりそうだ。

みんな、ごめん……

僕の意識は、
僕の身体がガードレールの下に突っ込んだ瞬間で途切れ、

二度と戻ることはなかった……


9 件のコメント
1 - 9 / 9
何だか重い出だしですね。
これからどう展開していくのでしょう。
ラノベだったらここから異世界転生&リハビリによる医療スキルや地球知識チートでヒャッハーなんですけどね。現実は世知辛い展開のようですね。掴みはオッケーデス😆🌸
少々泥の乗った雨の鉄板。
カーブ途中だったらブレーキかけなくてもコケますね。
二輪乗りには最悪のコンディション…
続きが気にります
ヾ(≧∀≦*)ノワクワク……

>> ob2@🐸日々是好日🐌 さん

物語の舞台にしたのは和歌山の山奥ですが、洪水やら何やらによる土砂崩れの復旧工事で覆工板だらけ😰

>> ポンコツ河嶋桃@🐢大洗女子カメ㌠🐢 さん

>覆工板

今回、名称を知りました。
若い頃に単車で巡る北海道でグレーの舗装から突然ほぼ同色の砂利道になって、突っ込んだ途端前転して20mほど飛びました。
道路脇の水路にハマって、物理の法則通り真上に単車も落ちてきました。
水路内でなかったら、肋骨ヤバかったと思う!
予測・予防・安全運転、しましょうね。
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