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「黙祷」に拒否感

大きな災害に限らず、ほとんどの場合、死期・死因には納得しているわけではないですよ。
多くの人の死は、何故このタイミングに、何故この死因で、何故この人(自分)が、というよう疑問を持つ、無念の死ですよ。人は必ず死ぬものだけれど、病死や自死・自殺、齢三桁に至らんとするような天寿ですら、個々の死には納得なんてしているものは無いと言っていい。
天災や大事故での死は当然納得しがたい無念の死だけれど、公機関の仕事始めや成人式のようなイベントで年初の地震の被災死者に黙祷ってやっていたけれど、それをやることで、逆に、災害以外での個々バラバラに亡くなった人の無念さが軽視されているような、モヤっとした気持になりました。
海上保安庁羽田基地の空港事故の遺体返還での隊員の黙祷だけは、在職中の事故死者への同僚の黙祷ということで、「モヤっ」は無かったのです。


2 件のコメント
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そう感じることはあります。
大災害なんかなくても、国内だけでも1日平均3,500人以上の人が様々な理由で亡くなり それぞれの家族は悲観に暮れているだろうし、物的被害を被っても国(自衛隊)や自治体が援助してくれるわけでもないでしょうからね。

だけどそのような行為は日本以外の何処の国でもしていることですし、「合掌」とか「半旗」というのも同様ですが、儀礼・形式的なものだと考えるようにしてます。
悲しくもない赤の他人の通夜でも、そうしているように。
weqtio
weqtioさん・投稿者
ベテラン
JR九州の側にも「指定料金券」とありますよ。
乗車券 + 特急料金券 + 指定席料金券
の3階建て構造を想定しているのではないでしょうか。
指定席の特急券は1枚にまとめて発行されることが多いけれども、
2枚分が1枚にまとめてあるものかと。
で、この2枚券や、数年前発行が停止された新幹線回数券やらは、
乗車券 + 特急料金券 もしくは、
乗車券 + 新幹線特急料金券 + 指定席料金券
が1枚にまとめてあるというような。
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