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まったく理解できないおじさんでした(^^;。(テレビで取り上げるから??)(あっDJポリスは迷惑騒音でしかありません。効かない人には効果ないので)ちなみにハチ公は田舎から行くと分かりにくいですね(というか渋谷駅も新宿駅も横浜駅も迷路です(+_+)
>> トッチン@寝不足 さん
>> 5gh さん
>> あんちゃん@マイぴょん推し活中 さん
>> 西宮市民 さん
>> クリームメロンソーダ さん
メンバーがいません。
ちなみに、道頓堀に飛び込もうと思うなら、警官がいるのは、戎橋たありだろうから、えびす橋から離れた場所から飛び込めばいいんですよね。
でも、警官がいる戎橋から飛び込む事に意味を見出すように、ハロウィンを東京でやるなら、渋谷なのだと思います。笑
>> トッチン@寝不足 さん
なるほど!。(納得??)新潟の場合は・・・・・・万代橋か(汗
飛び込んだら助からないかも・・・
「人が集まる場所に集まる」
そこに意味がある。
行列に並びたくなるし、並ばないまでも、やはり注目してしまう。
たしか、アメリカあたりの実験で、丘で人が1人で踊っていたら、徐々に人が集まるのがありましたが、
群集心理の面白さですね!
>> 5gh さん
万代橋あたりなら、飛び込んでも平気かもw渋谷もオシャレな街として有名ではありますが、新潟の古町もなかなか個性的なでオシャレな町ですね〜!
新潟駅から橋を渡って、古町散策する最中、ドカベンの銅像があったのを思い出しました〜。
>> あんちゃん@マイぴょん推し活中 さん
コスプレ女子は、ビッグサイトだけでは飽き足らず、有明界隈のTFTとかあの辺のビル一帯を手中に収める勢いだから、恐ろしいぜ…昔は大人の街だったイメージが。。。
#電波少年(チーマー)、ギャル...
>> トッチン@寝不足 さん
道頓堀?「ひっかけ橋」に行くだけだよ?
それでナンパする代わりに騒ぐだけ…
渋ハロのために連休でおやすみ取ったのに
金欠でいけないです。(泣)
>> 西宮市民 さん
道頓堀川にハマった人は銭湯に行って欲しいな…入場お断りされるかもしれないけどね。
間違えてもそのまま電車に乗らないでね。
ばっちーから
>> クリームメロンソーダ さん
留置場に...('◇')ゞNHKと
パルコ劇場と
mineo渋谷と
中古レコード屋さんへ行きました(^^ゞ
>> トッチン@寝不足 さん
確かにね!ただ、最近コスプレしてる人がやたら減ってきた気がするけどね…!
共に映画でも有名な場所ですからね!
※mineo渋谷は再現してもらえなかったのが…
祭り気分が大好きなだけさ、ただの野次馬根性だけさ。
おかしな話ではある。
だから外国人もコスプレして…
> まったく理解できないおじさんでした(^^;。
私もなぜわざわざ渋谷というのが理解できません。
地元で過ごしゃいいのに…
その一方で「来ないでと言われると余計行きたくなる」なんてのも珍しくはないかと。
出かけずに自室でスマホで大人しく生活するような生活は他人に迷惑をかけるわけじゃないけど、
渋谷のアホみたな乱痴気騒ぎをたまには悪くないと思うんですよね。
日本古来の祭りなんて、死傷するようなものもあるんだし、
脈々と受け継がれたケモノ気質は何かしら意味があるのでしょうし、車を横転させるようなことをしない限り、多少は多めにみればいいの〜という気もします。
>> トッチン@寝不足 さん
ジョージ・マロリー風に「なぜ、あなたは渋谷(道頓堀)に行きたかったのか?」
「そこに渋谷(道頓堀)があるから」
という想像をしてしまった(*´ω`*)
日本では大人が子供のお祭りで大騒ぎ
平和ですねぇ・・・
私もいろいろ悩んじゃうけど、だけど、殆どいつだってどこかの国で争いが起きている。
もし他国の争いを理由にお祭り騒ぎにダメ出ししたら、庶民は一体、いつ平和を満喫すればよいのでしょう?
武将が活躍していた戦乱の日本だって、お祭り騒ぎをしていたでしょうし。
そういう疑問もでちゃうわけです。
日本では当面は戦争が起きないかも知れないけど、経済も不穏だし、本当にヤバくなる時がくるかも知れないのだし、
そうであるならば、特に若い人はそういう幸せな時期を満喫しておく方がいい。
それが渋谷のハロウィンである必要はないのだけど、幸せな時間を知ることなく、年老いていくのだとしたら…
私はそう思っちゃったりもするのです。
結局は渋谷でハロウィンするのも、テレビドラマをみたり、電車でスマホゲームとか漫画を読むのも、誤差の範疇に思えるし、
ハロウィンみたいなのだけ問題視してもなぁ…となる。
私は身内が他界したとき、「自分はこんなに悲痛なのに世の中の皆んなはキラキラ楽しそうにしているな〜」と思ったけど、
真面目に考えると病床にいる人やそれを看取る人もいるし、戦火で死に行く人もいるけど、その一方で産まれる子供を抱いて幸せに包まれている人々もいる。
もはや、個々に幸せも不幸もあるのだから、幸せな人は幸せを甘受できる時に存分に甘受するのが庶民なのではないだろうか。
誰にでも訪れる不幸のその時のために。