JavaScriptを有効にしてお使いください
JavaScriptの設定方法はこちらの検索結果を参考にしてください
まずは赤池伸彦議員に敬意と追悼の意を表します。とかく、断片的な情報が元でも批判できれば対象より上位に立てるとでも思ってるのかB層諸君。彼らについて語り合おう。
>> しーびーえっくす さん
メンバーがいません。
ただ、あえていうと、自らの命を賭してまで行動しなければならなかったのかは、後世の人たちは冷静に見極める必要があります。
ライフセービングの基本は、自らの命を保全することが優先されます。
そのうえで、救助できる状況が整えば、救助します。
そうでなければ、2次被害、3次被害をまねき
結果、捜索活動により負荷をかけてしまうこともあります。
よく、海水浴に行って、子どもを助けようとして親がなくなる
といった事故をよく耳にします。
もちろん、親として子を救いたい気持ちは理解できます。
しかし、命を賭して助けた結果、救助者が亡くなった場合、
被救助者はその命の重みを生涯、背負い続けることになります。
行動した意味は、非常に意義深いと思いますし、それを批判する意図はありません。
しかし、結果として命を落としてしまったのは、判断に誤りがあったとも思えます。
災害が発生する可能性が高い場合は、どんなに助けたい思いがあっても
その被害を最小化することが社会にとっても必要です。
命が奪われ、その捜索に手を取られたことは、今後の災害発生時に教訓として考えていく必要があります。
まずもって、このような勇気ある行動を起こされた特別職公務員に哀悼の意を表します。
災害は、事前の準備が大切ですし、早めの避難が必要です。
安全性バイアスを意識し、緊急安全確保が出る前に、ひとりびとりが考えて行動したいものです。
かれこれ20年くらい前に出現した言葉ですよね?
そんな彼らを語り合うことに、今さら何の意味があるのやら?
むしろそこに興味を持ちました。
>> しーびーえっくす さん
自己犠牲の意味について。同じ歌が湾岸戦争の従軍兵士の弔問に使われた皮肉があります。遠くの国で起こった戦争ですが日本もある意味巻き込まれ、それは今のウクライナ戦争につづいてるわけです。
>> しーびーえっくす さん
フクシマ50の自己犠牲、動画では「me too, sir」と志願してますが、どうでしょう?