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【読み物】炎の向こうに③

このお話はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
今回お届けするのは、過去にあった火災から着想したお話です。
悲惨な事件現場の描写がありますので、苦手な方は閲覧をお控え下さい。
四話完結の第三話です。
第一話はコチラ
https://king.mineo.jp/reports/241444
第二話はコチラ
https://king.mineo.jp/reports/241445

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同じ頃、ビルの三階。

「おい、天井のボードはまだ撤去できないのか?」
「今やってます。そんなに慌てないでもう少し待ってくださいよぅ」
僕は今、ビルの空調取り替え工事の真っ最中。ただでさえ古い建物って機器の設置がやりにくいのに、このビルは後付けの配線やら換気ダクトなんかが天井裏を這い回っているので余計に面倒だ。しかもこの店舗のオーナーさんは僕たちにとてつもなく苛烈なノルマを課してきた。

『営業時間が終わる午後八時から翌日に営業開始する午前十時までに工事を終わらせること』

そんなの無理だ。僕らは何度もお願いしに行ったけど、オーナーさんは頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
「おい佐々木、配線の方はどんな具合だ?」
工事主任が苛つく。
「僕の方の配線準備は整っています。電源を落としてくれたら古い配線を切断して新しい配線を放り込みます」
僕がそう答えた頃、フロアのちょうど反対側から声が聞こえた。
「お待たせしました。こっちも準備できましたよぅ」
「よし、空調のブレーカーを落とせ!」
その瞬間、フロアの中が真っ暗になった。主任の怒号が聞こえる。
「莫迦野郎、誰がフロア照明の電源を落とせと言った!」
「すみませ~ん」
分電盤の方から頼りなさげな声が聞こえる。
「で、空調のブレーカーは?」
「今切りましたぁ」
仕切り直し。主任が改めて指示を出す。
「よし。配線をカットしてくれ」
僕が古い配線をカットしようとケーブルカッターを入れたとき、火花が散ると同時に背中を殴られるような衝撃を受けた。その勢いで僕は脚立から転げ落ちる。
間違いない。僕は感電したんだ。
くそっ。ブレーカー落としたとか適当なこと言いやがって!結局他所を落としたか何もしてないか、じゃないか!
遠くの方から声が聞こえる。誰かが僕の名前を呼んでいる。
「……木っ。おい、佐々木!」
僕はゆっくりと目を開けた。
「あ、主任。僕…」
「感電したんだよ。それで暫く気を失ってた。どこか痛むところはないか?」
あれだけ派手に脚立から落ちたんで全身が痛む。どこか骨でも折れていないかと確かめようとしたとき、僕は衝撃的な光景を目にすることになる。
「…?どうした?」
「主任、うしろっ!」
慌てて主任が後ろを振り向いたそのとき、散った火花がセルロイドのおもちゃに引火して炎を上げ始めた。
「マズい…全員作業やめ!火災発生!消火活動に当たれ!」
主任がそう言うと、皆慌てて各所に配置につく。消火器が何本か用意され、消火活動が開始されるものの火勢は衰えるどころかどんどん拡大する。
「おい!火災報知器と消火栓はっ?」
「報知器が鳴りませんっ!消火栓の周りがデカい段ボール箱だらけでどうにもなりません!いま手分けしてどかしてますっ」
そうこうしている間にも、炎はどんどん大きくなる。やがて炎は天井まで届く位にまで拡がっていた。こうなるともう誰も立っていられない。床に這いつくばるようにして呼吸するのがやっとだ。
「おい、誰か地下の防災センターに行って火災を知らせてこい!あと、ほかのフロアに誰かいるのか?」
「八階の飲食店が営業中です」
「まずいな、誰か知らせに行かないと…」
「僕が行きます!」
僕のせいじゃないって言えばそうなんだけど、火災のもとになった火花は僕が出したものだ。妙な責任感みたいなものが僕を突き動かす。
威勢よく非常階段へと飛び出してみたものの、全身が痛くて思うように動かない。三階の消火栓と防火扉の前には荷物が山積みになっていたから、いずれこの階段が煙突代わりになって八階は大変なことになる。それまでに何とか…

残念なことに、運命の女神様は僕には微笑んでくれなかったらしい。僕が八階にたどり着いた頃には、僕に追いつくかのようにドス黒い煙が迫っていた。
僕は最後の力を振り絞って八階の防火扉を叩いた。何度も何度も……
「おい、どうした?一体どうなってんだ?」
倒れ込む僕を抱え込むようにして、身なりのいい紳士が僕に問いかける。横から地味な感じの女性がその様子を心配そうに覗き込む。
「すみません……三階で火災が発生しました……この階段は煙と火が上がってきているので……避難には使えません……反対側の非常階段から避難してください……」
やがて噴火のように黒煙が上がってくる。このままこの扉を開放していたら八階のフロアに煙が入ってしまう。僕は二人を扉の向こうに押し戻すと扉を閉め、扉が開かないようにもたれかかるとそのまま崩れ落ちた。

ごめんなさい。
僕の意識は、そこで途絶えたまま二度と戻ることはなかった。

「何か焦げ臭くねえか?」
豊田さんが、注意深く辺りを見回す。
『そうですね…言われてみたらなんとなく』
私たちは、ほぼ同時にマスターがいるカウンターの方を見た。
マスターが換気用のダクトを覗き込もうとしたとき、ダクトからもの凄い勢いで黒煙が吹き出てきた。と同時に私たちが座っていたボックス席にほど近い壁から、荒々しく何かを叩くような音がする。
ぶ厚いカーテンに隠されていたから気づかなかったけど、そこには非常用の扉みたいなものがあった。
豊田さんが扉を開けると、真っ黒に煤けた作業員さんがそこにいた。彼は三階で火災が発生したことと、こちら側から火の手が上がってくるのでこの非常口からは避難できないことを告げると私たちを押し戻し、扉を閉めてしまった。
振り向いたその瞬間、お店の真ん中あたりにある空調の吹き出し口からも煙が吹き出し始める。こうなればもう阿鼻叫喚の世界で、お店にいた人々はパニック状態。
煙の向こう側にいる人たちは我先にと非常階段へ殺到する。中には人を突き飛ばしてでも逃げようとする人がいたみたいで、悲鳴や怒号が聞こえていた。ボーイさんたちも必死に誘導しようとしていたみたいだけど、この煙を見たらもう誰も言うことなんて聞けるような状況じゃない。

こちら側には豊田さんと私、あと何人かが取り残された。
「くそっ」
豊田さんが舌打ちする。
「いいか、祐子さん。落ち着いて俺の言うことを聞け」
『はいっ』
豊田さんはボックス席に置いてあった布のおしぼりを私に放り投げた。
「それを鼻と口に当てて。ちょっと息苦しいかもしれんが我慢だ。いいか、絶対に直接空気を吸い込むんじゃない。それから姿勢を低くして。煙や有毒ガスは、上に滞留するから」
どうしてそんなに冷静でいられるの…私一人だったら絶対にそんなこと思いつかないよ…
「階段から逃げられないんだったら、ひとまず窓際に移動するしかないか…なあ、この辺に窓のある部屋はなかったか?」
『あ…この近くに私が使っていた更衣室があるんですが、そこに窓が』
「案内してくれるか」
すでに店内は停電していたから、私は記憶だけを頼りに四つん這いで豊田さんの手を引いて更衣室へと向かう。

更衣室の中は焦げ臭かったけど、まだ煙は回っていない。
遠くで消防車のサイレンが響き渡る。
豊田さんは私に『ちょっと下がってろ』と告げると、パイプ椅子を何度も振り上げて窓ガラスを粉砕した。
新鮮な空気が入ってくる。
母に連れられてこの町に出てきたときは『なんて汚れた空気なんだ』って思ったっけ…ああ、町にいた頃のあのきれいな空気が恋しくなってきた…
豊田さんと私は手分けして、目立つようにありったけの衣装を窓から吊すと、そのまま窓際の床に座り込む。
「この部屋に煙が入ってくるのも時間の問題だな」
『そうですね。ということは私たちもそのうち…』
「何があっても生きるんだ」
『え……?』
「ここで死んじまうなんて誰が決めた?祐子さんにも将来の夢とか色々あるだろっ」

そんなこと急に言われても…そもそも私に夢なんかあったかしら…
豊田さんは、私に向かって優しく微笑んだ。
「俺はまだ、人生でやり残したことがあるから絶対に死なない。こんなところで死んでたまるか」
私の双眸から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。私の横に並んで座っていた豊田さんの頬に、私はそっと唇を当てた。
『いいですよ。二人とも生きて帰れたら、その時は結婚してあげます』
ちょうどその時、更衣室にも猛烈な勢いで煙が吹き込んできた。
「いよいよおいでなすったかっ」
息ができない。私は床に倒れ込む。
「祐子さんっ!窓から身を乗り出せっ!少しでもいいから外の空気を吸うんだ!で、消防の奴を見つけたら手を振るなり喚くなりして気付いてもらうんだ!普段は目立たない君だけど、今宵限りはしっかり目立ってくれよっ!」
その時、ドアをドンドンドンと乱暴に叩く音がする。
『豊田さんっ!豊田さん!」
もう煙で何も見えない。
「扉の向こうに誰かいるみたいだ。逃げ遅れた奴かも知れないから様子を見てくる」
『豊田さん!行かないで!』
振り向こうにも移動しようにも凄い熱と煙。こうなればもう、遥か眼下の消防車に向かって手を振る位しかやることはない。

あ、こっちに向かってはしごが伸びてくる。私のところに来てくれているんだったらいいのにな……
豊田さんが仰ってたみたいに、今夜の私はちゃんと目立てたかしら……

薄れゆく意識に抗うこともできず、私は窓枠にしがみついたまま力尽きようとしていた。

  「お嬢さんっ!大丈夫ですか!消防です!
  助けに来ましたよ!しっかりして!」
  ごめんね、来てくれるのがちょっと遅かったみたい。    
  豊田さん、ごめんね……
  私、約束守れなかったよ……

私の意識は、そこで途絶えた。
ああ、私は死んじゃうんだ。
こんな結末になるんだったら、もう少し真面目に生きればよかったな。
今更何を言っても遅いけど。


15 件のコメント
1 - 15 / 15
一気に物語に引き込まれました。
みんな無事であることは分かりますが、結末はどうなるのでしょう?
ポンちゃん、腕を上げましたね。
豊田さん祐子さん、どうなる?
それと配線切って感電した人

最後はウエディングでおわりますようにー
ちょっと毛色が違うけど、水商売が舞台の佐藤正午著「鳩の撃退法」を思い出した。
私は佐藤正午さんの大ファンで著作は全部読んでます。
面白いので機会があれば読んでみてね。
アマプラでも配信されてるし。
なんと恐ろしい光景!!
防火戸と消火栓の周りには物を置かないことを私の会社でも
言っていますね。
どうかハッピーエンドで終わりますように💦

>> 杏鹿@………………………… さん

豊田さん
祐子さん
佐々木くん

彼等の運命や如何に🤔

>> なかっぴ さん

なんか興味ありますね😃
読んでみようかしら🤔

>> yoshi君 さん

防火扉と消火栓付近にモノを置くな、は鉄則Death😰
防火扉や消火栓の前の荷物、監査の時にはどけてもまたすぐ物が置かれるような所も多いでしょうね…
ブレーカーの落とし間違い、というか電源系統図がホントに合ってるのかとかも、管理がずさんな所ではいくらでもありそうです。
自分も通電してるコードをニッパで切ろうとして火花飛ばしたことあるので、他人事に思えません😨
そうそう生命の危機の時にその人の本性が出やすくなりますからね。その時の豊田さんの祐子さんファーストにきゅんきゅんですわ🥰 

「祐子さんにも将来の夢とか色々あるだろっ」
えっ私の夢?なにもない、ただ流されてる人生

ふと、ぶっきら棒な豊田さんに困った人ねと、脱ぎ捨てられた服を洗濯機に入れている未来が見えた気がした。

けれどそれは死なずに下に降りてからの夢

二人共降りた夢
大阪の精神科病院のフロアに火を付けられた事件を思い出しました。非常口とか消火栓とか本当に大事だなぁ。
どうなる!?

>> ob2@☀日々是好日🥵 さん

ン十年前の建物
かつての九龍城みたいにとぐろを巻く配線
配線図をド~ゾ、と竣工図出してくる人

たまにありますね😰

>> 杏鹿@………………………… さん

修羅場でこれだけ落ち着いて格好良く振る舞える人っているのかしら🤔
しばし、インできていない間に(!?)こんなに~~ 一気に3話迄拝読できて、お得な気分です。
とっても、ハラハラしますね。これは、どっかに提出(応募)されないとモッタイナイ!
豊田さん、祐子さん、その他色々~~
最終話が待ちきれません!
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