~fioの旅~ the beautiful world? 【画像多め】【内容薄め】【不定期更新】
お家大好き引籠りのfioが、数少ない友人からの、半ば強引な誘いを断り切れずに外の世界と触れ合い、引籠りを脱却するまでの成長?物語です。
不定期に下手な写真と拙い説明を更新していきます。
お時間が有りましたらお付き合いくださいませ。
もし、ここを見て「行ってみたよ!」なんて報告とか貰えたら幸せ感じちゃいます。(笑)
それでは2017年fioの夏旅の始まりです。
勇者ヨシヒコが魔王ゲルゾーマと対決した場所への聖地巡りとして(笑)
(勇者ヨシヒコをご存じ無い方はコチラ)
http://www.tv-tokyo.co.jp/yoshihiko/
栃木県宇都宮市に有る、大谷資料館へ行ってきました。
http://www.oya909.co.jp/
外は30度超えの真夏日に、内部の気温は13度!
涼みに行くつもりがちょっと寒いくらいでした。
時折天井から冷たい水滴が首筋を襲います。
機械化される前は1本の石柱を切り出すのに4千回もツルハシを振るっていたとか…
昔の人の根気強さには頭が下がります。
中はライトアップされているものの、基本的に光量不足でスマホで写真撮っても真っ暗です。☝の画像はPCで目いっぱい明るく加工してます。
写真撮りたい人は三脚とバルブ開放できるカメラのご用意を。
大谷資料館の近くにある、その名も大谷寺(大谷観音)。
http://www.ooyaji.jp/
平安時代(810年)に弘法大使の作という奇岩の岸壁に掘られた千手観音が祀られています。
他説ではシルクロードの石仏と共通点が多いのでアフガンの僧侶の作という説も…
国の指定重要文化財という事ですが、上の巨大な岩の造形の方が気になります。
併設の宝物館にはここから発掘された縄文人の人骨が…
竜門の滝というと、大分のものが有名ですが、こちらは那珂川の支流江川に在る、竜門の滝、その幅は65m、高さは20mもあり大きいです。JR烏山線の滝駅という凄く小さな可愛い駅から5分程の場所で、1時間に1回滝の上を電車が通ります。
下の中州まで降りて遊べますが、滝へと降りる道が滝のしぶきでぬかるんでドロドロなので転ばない様注意が必要です。
遊歩道にはベンチも有って、木陰を涼やかな風が通り抜けて心地よいです。
ここは茨城県北部の大子町に在る月待の滝です。
http://www.daigo-kanko.jp/?page_id=2861
最近Jinponさんが跳び下り...じゃなくてバンジージャンプをした竜神峡からそう遠くない場所ですね。
滝の岩の下の窪みまで歩いて行けて、滝を裏側から見れるので、別名「裏見の滝」とも言うそう。なんだか怖そう?ですが、物凄い量のマイナスイオンがでています。
ちなみに、裏側からの雰囲気はこんな感じです。
滝の横のもみじ苑では天然氷の巨大かき氷を頂けます。
そして、ヒミツのお得情報です。
売店のお兄さんにお願いすると、無料で練乳マシマシで作ってくれます(笑)
月待の滝から日立へ向かう山間の道は、そこかしこに大小の赤い鳥居が有って、山の彼方此方に神様が居る様です。神様と言っても色々ですから、この数の多さはちょっと怖いただならぬ感じがします。
ここは茨城県日立に在る御岩神社の楼門。
http://www.oiwajinja.jp/index.html
現世と神域を分かつ門。
入る時と出る時にお辞儀をしないと魂を置いてきてしまうとか。
信じるか信じないかはあなた次第です。
冗談はさておき、楼門をくぐって少し行くと、宇宙飛行士が地上から光が伸びているのが見えたというGPS測位の場所に立つ三本杉は高さ50m以上の巨木です。参道の森の木は全てこの様な巨木で、自分が小人になったような?或いは巨大な神々の世界に迷い込んだ様な不思議な感覚に包まれます。
流石は「天地開闢の時より神々がこの地に鎮まる」と言われるパワースポットです。縄文時代の祭祀跡が発掘されていると言うから、精霊信仰の頃より何かが有るのでしょう。
三本杉を過ぎて、登っていくと、ほどなく天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などと祀っている斎神社に着きます。ここの天井には見事な龍の天井画が有ります。この神社の横には石柱に木の車輪がはめられた物が有り、上へ回しながら祈ると現世での願いが、下へ回しながら祈ると後世での願いが叶うそうです。
何をお願いしたかはヒミツです(笑)
ちなみに記念にと思いひいた「水引の花お御籤」では愛情の花(心)を引き当てました。それによると「愛情に恵まれ、良い縁をもたらします」と有りました!
キターーーーーー!!!
でもね、個別の「縁談」のとこには「気長に待ちましょう、
良い話が来ることでしょう」ですって…
私の運命の相手はどこに??(笑)
それではみなさん、また次回お会いしましょう。












で、「むさし」のお向かいには「佐々木屋小次郎商店」があり同じ様な商品を展開しています。店名が店名だけに、刃傷沙汰になりそうで心配です。(^_^;)

でfioはどうしたかと言うと、小次郎商店の「ベリーベリーチーズケーキ」580円也をいただきました。決め手は呼び込みのお兄さんがイケボだったから(笑)
クリームがとてもねっとりしていて、ソフトクリームと言うよりはイタリアンジェラートといった感じ。
しかもコーンの一番下迄ぎっしりなのでひとつ食べたらもうお腹いっぱいで昼食どころではなくなってしまいました。
でも美味しかった〜❤️

仕方ないので腹ごなしに、山の上の岩国城へと向かったのですが、実はケーブルカーという(笑)再建なので中は近代的な作りの博物館になっているのですが、展示されている刀剣類や具足の量がものすごいです。
近くには柏原美術館もあり、大量の刀剣、鎧、火縄銃などを見る事ができるので歴史や刀剣好きの人には楽しいと思います。
ちなみに新撰組総長近藤勇も持っていたという虎徹も展示されているそうです。
https://www.kashiwabara-museum.jp/

場内展示の一部をご紹介安土桃山時代から幕末迄続いた名工兼先の作。
此方は大きさも程よく、反りも太刀ほどでも無いので江戸時代頃の刀かな?と思います。
関連があるのかわかりませんが、兼房とか、兼景とか、兼なんとかという銘柄の展示が多かったです。

fioが個人的に気になったのが此方の鉄扇。鉄で作った扇子型の武器なんて、アニメやゲームの中だけのお話と思っていたのにホンモノ登場!
この前に鎖鎌の展示もあって、汚れて使い込んだ感じに!!って驚いていたら模造品って書いてあってちょっとガッカリしたのですが、鉄扇は模造品ではない模様。
一体どんな人がどの様に使っていたのでしょう?
これって戦場で使うとも思えないし、暗器の一種なの?

岩国には古くから白蛇が多く見られるそうで、白蛇館という所で生体展示が見られます。縁起物として大事にされているそうですが、実際は青大将のアルピノ何ですって。
カメラを向けるといい感じに蛇らしいポーズで撮影に協力してくれました♪

白蛇神社というお社が有ります。御祭神は宗像三女神と宇迦之御魂神となっています。
で、白蛇館のお土産として👆のおみくじが売ってます。
550円か、高いな君たち…
白蛇は金運の神様とも言われているけど、おみくじで散財してむしろ貧乏になりそうな…
「一個くださ〜い。」
結果は「大吉」fio は550ゴールドを失った。
最近この手のおみくじ増えてホント困っちゃう。

白蛇館からの帰り道、小雨がパラつく中傘をさして歩いていると、突如ただならぬ雰囲気にギョッとして見やると、そこには時代劇で見たことの有る大きくて立派な門が!なになに?香川家長屋門とな。
なんかアレ、遠山の金さん?とかの奉行所そのまんまな感じ。
本物の迫力が凄いです。

歩いてようやくお腹もこなれてきたので遅めの昼食に、友人オススメの長州屋で瓦蕎麦をいただきました。熱く熱した瓦の上に茶そばと、錦糸卵、牛すじが乗っていて結構甘い味つけです。
麺つゆにつけて食べるんですが、瓦で熱された蕎麦は解しにくくてちょっと食べづらかったカナ。

岩国で見つけた年代物の自販機コーナー。ラーメンやおうどんの自販機って見たことありますか?
試しに買ってみると👆の様などんぶりで温かいおうどんが出てきました。
中にゆで卵やワカメがセットされたどんぶりが入っていて、注文?すると中で麺とスープとお揚げを投入して出てくるみたい。
昔の人は発想が斜め上で面白いですね。
他にロッテのガムの自販機なんてあったのですが、単価が低いから自販機の設置コストの方が掛かって不採算ぽかったです。

岩国の旅のしめくくりは酒蔵巡りです。ここは村重酒造さん
お店の裏手にはお酒造りに使っている超軟水が無料で汲める場所があって、地元の人達が車でたくさん汲みにきていました。
お店の中では試飲もすることができて、商品としては売り切れていた”8ノット”というお酒を飲む事ができました。
白はちょっとヨーグルトっぽい不思議な酸味で日本酒って感じとはちょっと違って、黄色の方は口に含んだ瞬間にふわっと芳醇な香りが広がってとっても美味しい日本酒でした。
https://www.sakagura-press.com/sake/murashigeshuzo2021/

村重酒造さんには、なんと!5mもある巨大な杉玉が!こんな巨大な杉玉は見た事がなくって、本当に圧巻なのです。
いったいどうやって作ったんでしょう?

最後に訪れたのは八百新酒造さん。https://www.yaoshin.co.jp/goods_type/season/
建物もとっても雰囲気が有るのですが、中に入ると奥にはお酒を造っているところが覗けて、事務所にちょっと販売用の冷蔵庫を置いてあるという、本当に工場直販みたいなところです。
先の村重酒造さんでは、欲しいお酒が買えなかった(11月から今年の新酒が出るので10月は一番お酒の在庫がないとのこと)ので、何か買いたいfioは社員さんに「ここでしか手に入らないお酒ください」ってお願いして美味しいお酒を頂いて帰りました。

こちらが買ってきたお酒。右はスパークリングとなっていますが、酵母の自然発酵によるガスでスパークリングになっている物。
栓を捻るとガスと一緒に堪らなく美味しそうな香りが部屋にブワッと勢いよく広がります。
でも、お酒が吹きこぼれない様に何回も栓を開け閉めしてお酒が落ち着くまで飲むことができません。早く飲みたいのに〜(笑)
味の方は若いお酒らしくピリっとした辛味が有ります。純米発泡にごり生原酒と書いてありますが、濁りと言うほど濁ってなくて、霞酒位の感じでサラッとしてました。
大きな瓶の方はラベルにprototypeと書かれている通り、試験醸造した物を詰めた物で、まだ市場に出ていないお酒です。
こんな珍しいのを入手出来ると嬉しくなっちゃいます♪
火入れされていない生原酒なので、とても柔らかで優しい飲口でイメージは湯呑でゴクゴク飲めちゃいそう。
雰囲気は上善如水と似ていて、ガツンと来るのが好きな人にはちょっと物足りないかも?
fioの秋旅は一旦ここ迄。
次は何処へ美味しい物を探しに行きましょうか?

2022fioの晩秋の旅遡る事2年前…
辛い事が続いていたfioは神仏の力を借りようと坂東三十三観音巡りの旅をしたのでした。
鎌倉のお寺で購入した専用御朱印帳には、結願御礼の寺としての善光寺、そしてその対となる北向き観音の2つのページが折り込まれていたのでした。
fioがこの旅をしていたのは悪疫の第二波と第三波のちょうど狭間の時期で、それ以後の流行は皆さまご存じの通り。
以来、この結願お礼の旅に出たいと気になっていたもののずっと引籠りを決め込んでいたのでした。
第八波が流行の兆しを見せる今、これ以上待っては居られないと、fioは思い切って出かける事にしたのでした。
ドラぷらで、ルートと渋滞予測を見ると、関越道は埼玉県の東松山辺りがかなり渋滞する模様。
5時出発と考えて早めに寝たfioは珍しく3時過ぎに目覚め、寒くて二度寝ができないので予定を早めて4時半に出発しました。
「早く着きすぎるのでは?」なんて考えていたfioですが、お寺の朝はうんと早くてfioの心配は杞憂に終わりました
山門につくと既にお店も開いていて参拝客もちらほら。

持参したマイお線香を香炉に入れ、輪袈裟をかけて本堂へ。輪袈裟をつけるなんて本格的でしょう?そう、fioは何でも形から入るタイプなのです。
その割に気弱なfioはお堂の隅っこに立って般若心経を小声で読経して、みんなの幸せと母の安寧を祈願しました。

早朝ということもあって、御朱印も待ち時間無く頂くことができました。今年は特別開帳が有ったので、御朱印も特別Versionが有ったのですが、料金も特別だったので通常版をチョイス。
納経をしてお守りを頂きました。

お守りの授与所を見て回っていると…出たな!という感じで、近頃増えている人形御神籤シリーズ!なんとここでは閻魔大王!
もうこれはやるしかありません。
亡者の生前の行いを映すという閻魔様の「浄玻璃の鏡」にかけて御神籤の内容は全て鏡文字で書かれていて、読むためには鏡に映さなくてはいけません…
面倒くさいのよ…(罰当たり?)
結果はというと…中吉
「心をひらけ!人とつながるべし。心の殻を破ってこそ真の幸せを満喫できる」と出ました。
なんと今のfioにピッタリな言葉でしょう?閻魔様おそるべし…
それにしてもこの絵面はなかなか…
授与所でもう一つ何故か気になって仕方がなかったので、1日2回御神籤をひいてしまいました。
こちらは男女別のもの(その内性別で分けるのはコンプラで無くなるかも?)で“女みくじ”をひきました。
「新たな成長と飛躍の予感。人に頼らず甘えず自分の力で道を切り拓いていこうという気持ちが大切。苦手なことから逃げず、克服するよう心がければ大きな成長が実感できる」とのこと。
こちらも、今まで「明日でいいや」と先送りを繰り返し何もしないで引籠る日々を送っていたのを、最近は投げ出そうとする考えが出た時に「今やろう」と言い聞かせて行動したり、なるべく外出する様にして鬱病克服を頑張り始めたfioになんともピッタリな言葉です。
善光寺の御神籤なんかスゴイです。
ちなみに御神籤のおまけの一文字チャームは“愛”でした。新しい愛きた~ってauか(笑)
駐車場へ向かう道を半分ほど進んだところで、「自分のお願いごとをするの忘れた!」と気づき、本堂まで戻って端っこでこっそり追加のお願いをしたのでした。
因みに善光寺は来世のご利益で、対となる北向き観音は現世のご利益があるそうです。

善光寺を後にしたfioはGoogeMapで見つけていた川中島古戦場跡に向かいました。ここには八幡社があり、誉田別尊ほんだわけのみこと(第15代天皇応神天皇)と後に合祀された諏訪大社の建御名方命が祭られています。
武人の神、弓矢八幡として全国に勧請されているとのことですが、fioは初めての出会いでした。
この地が本陣を急襲された武田信玄が采配で上杉謙信の太刀を払った場所ということで、その銅像が建てられています。

しかし、ここで、fioに一つの疑問が沸き上がります。神社の敷地内に建てられた川中島合戦布陣図に示された現在地の場所が信玄の本陣では無いんです…
これは...突っ込んじゃいけない大人の事情というやつでしょうか?
この古戦場跡には川中島の合戦で倒れた兵士を敵味方関係なく埋葬した首塚(屍塚)が2つも有ったので、fioは長
居は無用と逃げるようにこの地を去ったのでした。
”敵に塩を送る”の故事は、この敵味方の区別無い弔いに感動した謙信が「我信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と言って送ったそうな。知ってた?

次に訪れたのは、川中島の合戦で武田勢の拠点となった松代城(海津城)跡です。天守は無いのですが、立派な石垣と再建された立派な門を見る事ができます。
なんでも今年は真田信之入部400年ということで発掘調査の為に堀の水が抜かれていたのが残念。

天守閣が有った場所は空き地なのですが、石垣に囲まれた城内に往時の雰囲気を想像しながら探検気分を味わえます。それでは暫し城内探検をどうぞ。

橋を渡ると、石垣に囲まれた50人も入ればいっぱいになりそうな小さなスペースがあり、太鼓門という門が登場します。攻め込んでここに閉じ込められて矢の雨が降ってきたら逃げられない感じです。

太鼓門をくぐると広い本丸跡で、大きな銀杏が見事に色付いていました。
銀杏と一緒にfio登場!調子にのってブイなんてしてたら、肩に“こつ~ん”ギンナンが落ちてきてきてつっ込まれました。
次に向かったのが隣接する文武学校。ここは佐久間象山の進言で作られた藩校で、学問所、剣術所、弓術所、槍術所、柔術所等が有ります。なんだかオンラインゲームFF14を遊んだ時の槍術ギルドとか剣術ギルドとかを思い出してしまいます。

因みにfioは高校時代弓道を齧っていました。引っ越してしまったお向かいに住んでいた幼馴染は剣道を頑張っている少女剣士でした。一緒に道着姿で背中合せの写真撮りたかったなぁ…

廃藩置県後は松代小学校として使われ、小学校は現在すぐ隣に現代的な校舎があり、こちらは中は当時の木材を使い、外回りを修繕したものになります。小学生が日常的に間近で地元の歴史に触れられるというのは、郷土愛を育む上でとても良いことだと思いました
。
日本中に作られた藩校で同じ場所で今も同じ役目を続けているのは此処だけだそうです。
よく見ると屋根の鬼瓦にも六文銭が。

槍術所は槍術というだけあって、天井が高いです。見てくださいこの巨木を一本丸ごと使ったような極太の梁!テンション上がったfioは誰も居ないコトをいいことに、童心に帰ってドタドタと走り回ってみたのでした。

ひとしきり文武学校を楽しんだ後、町中散策に出ました。👆は松代藩の鐘楼です。鐘楼というと川越の街を思い出しますが、こちらはどっしりとした印象。
ここは1849年に佐久間象山が電信実験を成功させた場所でもあり、日本電信発祥の地となっています。

街中を歩いていると、長大な白壁と只者では無い大きな門に出会しました。ここは代々松代藩の筆頭家老を務めた矢澤家の門だそうです。

間口13.19m高さ6.38mという迫力!さすが筆頭家老ともなると違います!

更に歩を進めると、また周囲と雰囲気を異にする立派なお家が。なになに?ここは武田信玄の武将だった小山田備中守の後裔で松代藩次席家老のお家だそうです。
筆頭家老さんとご近所だけど比べると大分違います。
でも、こんな旧家の建物が良い状態でポツポツ見られて、城下町散歩気分です。

街を一回りして真田邸にやって来ました。参勤交代の緩和により江戸屋敷から戻った家族の為に1864年に建てられたそう。
建坪400坪と言う大豪邸は、今風に言うとオフィス兼住居の作りで、公的空間の表と、私的空間の裏に分かれていて、其々は廊下に設けられた杉戸によって隔てられています。
こちらは江戸時代のお風呂「湯殿」です。土間に湯船を置いて入浴していたそう。
ドラマ水戸黄門の入浴シーン位でしか見たこと有りませんでした。w
手前の斜めになった板張りの床は、ここで湯をかけて、お湯が土間へ流れる仕組。
fioなら足を滑らせて土間に落ちるやつ。

こちらは雪隠。つまりお手洗いです。"和式"なわけですが、周りが畳なのでなんか落ち着かないですよね。(^_^;)

屋内の襖という襖にはどれも見事な襖絵が描かれています。当然現代の様な印刷物ではなく、手書きの豪華仕様。

写真を撮っていると、年配の男性から声をかけられました。屋敷の説明員の方で、釘隠しや襖絵の着色が奥方の部屋と女中部屋では異なること等、説明が無ければ気付くことのないことを詳しく教えてくださいました。でも、ちょっと滞在時間がオーバーがその後のfioの運命を左右することに…って、ちょっと大袈裟?

松代エリアの最後は、象山地下壕へやってきました。対戦末期、本土決戦に備え、大本営、天皇の御所、日本放送協会などを松代の山中へ移転させる計画があり、ここは放送協会の為に作られたもの。
入口は狭く、かなり勾配がきつくなっています。

中は先が見えない程広大な通路が格子状に掘られていてその全長は6Km、公開されている範囲だけでも500mも!
造営には凡そ1万人が動員され、その内の6割が朝鮮からの労働者だったそうで、壕の入口にはハングルで書かれた慰霊碑も建てられています。1944年11月に始まった工事は3交代で昼夜を問わず進められ、岩に掘削機で穴を空け、爆破する工法は、事故が頻発し多ければ日に5~6名の犠牲が有ったそう。
写真は抜けなくなり放置された掘削機のロッド
また、隣には「もう一つの歴史館」が有るのですが…
勿論公平な立場で歴史を学ぶ事は大切だと思うのですが、用意されている資料に日本語版は無く、英語、中国語、韓国語でなんだか嫌な感じ?と、中国語版を読んでみると、なるほど、この歴史館の建設実施委員会は「元松代留■慰■婦の実施委員会」というのだそう。
まぁ隣国からの労働者が居た事も犠牲者が出た事も事実でしょう。
でも、敗色濃厚の戦争末期に夜も休まず突貫工事をやっている場所で慰■婦小屋なんて本当に有ったのでしょうか?とてもそんな気分じゃないと思うのですが…
これもお隣の国が世界で繰り広げる日本の立場を悪くする為の対外工作の一つなのではないか?と勘ぐってしまいます。

何かに憑いてこられても困るので、見学も早々に地下壕から退散して観音巡り最後の目的地、別所温泉にある北向き観音へやってきました。50m程の参道の先の階段を登るとすぐ本堂というこじんまりとした観音堂です。
現世のご利益があるとのことなので、fioの社会復帰の成功と母の平穏をお祈りしました。

そして頂いた御朱印がこちら。これでこの御朱印帳はコンプリートです♪
良く頑張った!私!
満足して戻る途中、参道に美味しそうなジェラート屋さんが有ったので、覗いてみたのですが…ダブルで千円とか...
それなら温かい物の方がいいなと今回はパス。

この後上田に行きたかったので、お参りを終えたら直ぐに出発と考えていたのですが、駐車場のおじさんが地図をくれた時にあまりにも熱心に勧めてくれたので、近くの安楽寺に国宝の三重塔を見に行くことにしました。こんな急な階段のお寺は2年振りです。
それにしても今回の旅もおじさん達はやたらと親切で熱心(笑)
もう、時間がおしてるんだってば~

こちらが国宝八角三重塔。山を登ってものすごい狭い墓地の中に建っています。
鎌倉末期の禅宗様という建築様式で非常に珍しいとのこと。
なんだけど…薄暗い山中の墓地に黒ずんだ木造の塔が有るだけで、fioには拝観料300円はちょっと高かったです。
あ、でもfioが車を停めた観光協会駐車場が500円ですが、このお寺の駐車場なら無料なのでそうすればトントンだったなぁ、残念。

これは観光協会駐車場前にある七苦難地蔵尊堂。ここ別所温泉は枕草子に「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記される日本三名湯の一つなのです。
七つの苦難から解放されるという有難いお湯。
おじさんずに捕まって時間がおしていなければ足湯くらい入りたかったです。

夕方、fioは上田城址公園にやってきました。ここは真田信繁(幸村)の父昌行が築城し、二度も徳川を退けた事で有名。
写真は櫓門と北櫓。石垣を見てください。ちょうど人が立っている場所の人の身長の二倍はあろうかという巨石。
当時は城主の権威を示す為に石垣の石の大きさを競ったのだとか。
ピラミッドとかみんなやる事一緒。

こちらは公園駐車場から見上げる西櫓。下で遊んでいる人と比べてみてください。石垣の高さと急さがこの城が難攻不落であった事を物語っています。

城内には真田神社が有り、多くの人で賑わっていました。不落の城ということで、合格や当選祈願が多いです。ご祭神は歴代城主で普通の神社とちょっと違います。
御朱印は秋限定版もあったのですが、fioは通常版を選択。
この神社面白いのが参拝時、賽銭箱前のボタンを操作するとカランカランと鈴の音が鳴ったり機械に手を翳すと出てくる御神籤等、機械化が進んでいる?こと。
お守りも種類が多く、なんとオンラインショップまで。