【AI・インターネット】"まだ見ぬテクノロジーの空へ。"は本当に人類にとって幸せなの?
最近思うんだけど、AIとかインターネットの技術が上がってくるのは、果たして人類(BL猫含む)にとって幸せなの?って思うにゃ!
昔みたいに、家族で欽ちゃんの仮想大賞とか、志村けんさんのバカ殿みたりする団欒の時間が今はなくて、子供はみんなYouTube、HIKAKIN、東海オンエアとか…
しかも、サイゼリヤで見たのは、子供にスマートフォン持たせて動画見させたという…
果たしてこれって、良いことなの?
と思ったら、スティーブ・ウォズニアックさんも同じこと考えてたという!
https://courrier.jp/news/archives/314453/
昔みたいに、新聞を毎日読んで、家族でアナログテレビを見て、知人とは長電話をしたりという時代に戻りたい!!
新しいもの好きのあんちゃんだけど、何でこういう発想になったんやろうね…
10 件のコメント
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うまくバランスが取れると良いですね。
インターネットの技術が高くて誰にでも使える時は、掲示板に投稿しまくって楽しんでいるが、
インターネットの技術が、低くて1部の人にしか使えない時は、何もしないで寝すぎになるぐらい寝てる。
どっちが幸せなのか?
ここで問うことじゃないですね。
江戸時代、歌舞伎が流行り歌舞伎を楽しむ人が増えた。
その、前の時代は、そんなのがなくて昔の人は可哀想と思うかもしれない。
が、現代、歌舞伎を見に行く人はほんの1部になった。
歌舞伎が好きな人は昔は良かったのにというかもしれないが、歌舞伎を見ない人には、関係ない話です。
仮想大賞というのは、面白そうだがやってないからなァ〜
あ、もちろん仮装じゃなくて仮想ね(笑)
その内飽きてきます。
私は、少し飽きてきました。
便利になることは大いに歓迎ですが、そんなに急ぎませんから。ボチボチやね。
子供の頃、自転車に乗って知らない場所へ出かけて行って頭の中の地図で「この道とこの道が繋がった!」ってのが楽しかった。
でも、ナビやGoogleMapが出来てその楽しみは無くなった。
初めて神田の書泉グランデに行った時、地下から上の階まで、ありとあらゆる知識の宝庫に、まるで海賊の秘宝を見つけた見たいに、嬉しくなって普段手に取る事も無い本まで読み漁ってものすごく興奮した。
でも、ネットで直ぐに何でも検索できるようになって、その楽しみは無くなった。
学生の頃、あての無い旅の途中、思いがけず出会った美しい光景に感動して夢中でカメラのシャッターを切った。
ネットで撮影地を検索して、予め撮りたい風景を探して出かける様になって、その感動は無くなった。
メールやメッセージアプリで何時でも簡単に繋がったり切れたりする現代。
昔の人の、相手を思い、考え抜いて言葉を選んで紡いだ手紙と、それを紙が黄色くなるまで箱に仕仕舞って思いと共に大切にしていた時代を美しいなって思う。
気が付いたら世界は100年の寿命を持て余すくらい退屈なものに変わっていたにゃ。
>> fio@帰ってきた自宅警備員 さん
現代版お馬鹿物語ならこんな感じでやりました!w信じて進んだGoogleMAPが間違っていたとか。
タイトルとISBNだけ提示できるようにして書店に突撃し在庫どころかそのレーベルの棚すら無く玉砕とか、買い忘れていた本の在庫が確認できた書店は50km先で悩んだり。
撮影地は美味しそうな甘味だけ検索して、ついでの散策をしている間に目的の店の営業時間が終わったり。
連絡はログを残しておけば勝手に漁ってくれるタイプ以外の友人がほぼいないので......
スマホを使わないでやればいいだけ。
そんなにしたいんならね。
いや~、普通にSFで見るような、現実と見分けの付かない仮想世界で現実ではできないような事をやってみたいです。