お題:懐かしい電化製品
四本足のテレビ!
(^O^)/ (*>_<*) ひゃー、知らんわ〜
じゃあ、画像載せるわ
( 'ω'o[]o Σ(ㅇㅁㅇ;;)え〜!ジャンク品が六万円もすんのかい!
今年もあと10日を切りました
ラストスパート
こちらもよろしく! (◍˃ᗜ˂◍)ノ"✧
【なかっぴ・おれんぢ式部合同企画】
「第三回マイネ王国民が選ぶ紅白歌合戦」
https://king.mineo.jp/reports/212770
お題:今年の漢字 ٩(ˊᗜˋ*)و
https://king.mineo.jp/reports/212726
182 件のコメント
コメントするには、ログインまたはメンバー登録(無料)が必要です。
カラーテレビの普及は1960~70年代かなぁ。いまならモノクロテレビって呼びそうだけど、当時の呼び方は白黒テレビでした。
まだカラーテレビが高価で珍しかった時代、初めて野球場に連れて行ってもらった子供が父親の耳元で囁いた一言。「パパ、カラーだね」
『私にも写せますぅ』
https://youtu.be/o3IcRhWthOE
カートリッジフィルム1本の撮影時間はたしか3分とか。親父が使ってました。
私の勤務先には、ときおり画面が消えるグリーンディスプレイが現役で稼働しています…。(^_^;)
【マイクロカセット】
会議録音用のマイクロカセットレコーダーや留守番電話機なんかはIC録音方式に置き換えが進んで廃番。ICレコーダーもスマホ・アプリでどうなるか…
厳密にいうと電化製品ではないですけど、ファミコンとテレビを接続するRFスイッチです。
欠点は、家中のテレビにノイズが入ることでしょうか。(^_^;)
ファミコンを接続していないテレビでも、ファミコンをプレイしているチャンネルに合わせると映像が映ってました。
>> 所沢条司 さん
グリーンディスプレイ以前は白発色でしたね。長時間見続けると眼が疲れるというのでグリーンが流行ることに。でも私の学生時代のことですが、グリーンディスプレイの画面を見続けたあと、講義に出席すると黒板のチョークの文字が補色のピンクに見える現象が…。
その現象が起こりにくいアンバーディスプレイってのがそのあと少し流行りました。ちょっと暗めのオレンジ色の表示色でした。
>> 舞音緒 さん
> 【マイクロカセット】デジタルマイクロカセット(別名:NTテープ)というのもありましたね。ほとんど普及せず商業的には失敗作ですが、技術的には興味深い点が多かったです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/デジタルマイクロカセット
>> 杏鹿@………………………… さん
もしやPDってこれのことか?録音メディアじゃないよねぇ…
このディスクをカートリッジに入れる手法は、後にDVD-RAMにそのまま流用されたのだが、そのDVD-RAMもカートリッジなしのディスクが主流になってしまい、ひっくり返して録画出来るDVD-RAM両面ディスクは姿を消した。
DVDについては、DVD+Rとかいうわけのわからん規格もあったなあ…🤔
MDに敗れ去った規格、
DCC(デジタルコンパクトカセット)
DCCデッキではDCCの録再、コンパクトカセットの再生が可能だった。
テープメディアをデジタル化したものは、すでに圧縮しない高音質なDATが存在していたため、コンパクトカセットとの互換性は大きなメリットにはならなかったようである。
>> Yo_Asa さん
データレコーダーでしたが、1980年代後半で新品が1万円くらいだったと記憶してます。ラジカセよりもちょっと高い価格帯でしたよね。(^_^;)
>> 所沢条司 さん
オーディオより高級だと思います。ダブルデッキでコピーしたら上手く読み込めませんでした。>> おれんぢ式部@🪳バル㌠🪳 さん
間違ってた(๑´ڤ`๑)テヘ♡レコーダーはDVDRAMよね。
クラシックカー型AMラジオ
これに似た物がうちにありました。
SONYのデンスケ
殆ど処分したので、もう数えるほどしか残ってません。
その1
その2
これ以外に残っているのはMSXとかPC88とかバブル期のラジカセくらい......
>> けんた まん さん
後継の TC-3000SD を使っていたことがあります。知人に譲ったあと Walkman Professional(WM-D6C)を買いました。どっかにしまい込んでいるはず…😅洗濯槽で洗濯とすすぎを終えた洗濯物を隣の脱水槽に手で移し替えるのだけど、脱水前なのでびしょびしょでやたら重くて、冬なんてめっちゃ手が冷たくて…。
全自動洗濯機が出来る前はみんなコレでした。今も売られてるけど、すっかりマイナー製品になっちゃいましたね。やっぱり全自動の方が便利ですし。
更に今は温風乾燥までしてくれる洗濯乾燥機に徐々に置き換わりつつある状況なのかな。
あとは乾燥を終えた衣類を畳んでクローゼットに仕舞ってくれたら最高なんだけどなぁ。
電気を流した電熱線が真っ赤に発熱するやつ。その電熱線の後ろに反射板があって、光を前面に集中させて輻射熱で暖める方式。空気を暖めるわけではないので、風を送るファンとかは付いてない。
ファンヒーターに置き換わっちゃったのか、今ではあまり見かけなくなりました。温風を出して暖めるファンヒーターの方が快適て安全だし、たぶん省エネでもあるんだろうな。
>> Yo_Asa さん
パソコンのデータを再生するには、高級なデッキより、むしろラジオもついていない、こういう安物のテープレコーダーのほうが読み込む確率がなぜか高い。メーカーにそう言われたので試しにやってみたら本当だった。(MSXのゲームデータ)
バブル期のオーディオの話題で盛り上がってますね。
私が初めて購入したのは、いわゆるバブルミニコンポと呼ばれるカテゴリーのSONYのLIBERTY PLACIDOでした。
購入時に型落ち品だったので、DSPのユニット込みで15万円くらいで購入しました。
今は、pioneerの安いミニコンポを使ってますけど…。(^_^;)
>> けんた まん さん
うちでも本体が壊れてスピーカーだけ残っていた、かつてミニコンポだった物が復活しました>> けんた まん さん
デジタルアンプと云えば…音楽之友社「stereo」2012年1月号 の付録「LUXMAN LXA-OT1」を使ってました。PCからオーディオ・インターフェース経由で繋げて鳴らしてました。🔊
圧巻の音質でした。難聴になるとか散々脅されスマホも上を制限してね。ヘッドホンオーディオでは鳴らしっぱなしでエイジングとかやってたわ。
懐かしい家伝・・・なんちゃってー😆
ボタン電池で今の携帯くらいの大きさです。
忘れもしないゴロピカドンのゲームウォッチでした。
知ってる人いると嬉しいです。
電池が惜しくて遊ばないときは外しちゃうので、時計としてはとても使えなかったんですよねえ
サブスクとかダウンロードの音源は、物理的にあまり嵩張らないのでありがたくはあるのですけど。
日本短波放送の株式情報や、競馬情報を聞くために、中波だけの5球スーパーラジオのバリコンにみのむしクリップでコイルを付けてました。
>> じんで@肘の君 さん
昭和32年ごろに買った電気通信用の計算尺未だ持ってます。当時は、三角関数表とか、対数表とかも使ってました。
音楽之友社Stero編ONTOMO MOOK「電波受信が面白い!FMラジオの深層へ」の付録、ラックスマン製 真空管FMチューナー キット「LXV-OT8」
FENは改名して残ってるようです。
>> けんた まん さん
LUX KIT の FM/AMデジタルチューナーキット model A808 を使ってました。基盤が2枚入る高密度なシロモノで組み立てに苦労しました。💦ポケベルの周波数帯の電波は、今は防災無線として活用されているとのことです。
>> 所沢条司 さん
こちらの方が先かとwAirEDGE 4Xで256Kbps 1Xで32Kbps よく商品化できたね。
ATARI仕様のジョイスティックコネクタ。
ゲーム機メーカーとしてのATARIは短命でしたが、コネクタの仕様だけ長い間ゲーム機やPCで採用されていました。
USBが普及する前のPC用のコントローラーの端子といえば、これ一択でしたよね。
驚いたのは、一部のファミコン互換機でも採用されていたことです。(^_^;)
>> 杏鹿@………………………… さん
レーザーディスクって、こうして見るとデカいなぁ〜ようはアナログレコードのサイズなわけだよね。
VHDとのメディア戦争に勝ち抜いたのもつかの間、DVDに駆逐されてしまった。
DVDのサイズが扱い易いのはもちろんだが、一番の理由は、DVDには録画出来るメディアがあった、ということだろう。
そのDVDレコーダーも日本ではブルーレイディスクに駆逐されていくのだが…
私の記憶の中では、冷蔵庫は足踏みで
開ける事が出来るもので、取っ手が付いていて取っ手の脇には鍵が付いていたんですけど、覚えている方いらっしゃいますか?
叔父の家の冷蔵庫はめちゃくちゃ今だとおしゃれな、まるっちくてクリームイエローだった。我が家はナショナルで四角い白家電だったけど…
レーザーディスクコーナーがありました。
そして、レンタルビデオ屋が全盛期に入り
レコードからCDに移り変わり
レーザディスクコーナーは大きくなることもなく見かけなくなりましたね。
>> MARUPAN さん
1980年代後半のCDのレンタルショップですが、年会費が凄く高かった記憶があります…。(^_^;)レンタルのLDが流行らなかったのは、メディアの大きさとDVDの台頭が原因でしょうね。
>> 所沢条司 さん
LDの登場が81年、DVDの登場が96年、Blu-Rayの登場が03年。96年頃に、レンタルLDがあったか記憶が定かではありませんが、レンタルLDが流行らなかったのは、単純にハードがそれほど普及していなかったからでは?
「絵の出るレコード」はパイオニア、ソニーのLD陣営(最初はパイオニア一社のみだった)とその他ほとんどの家電メーカーが参入したVHD方式(画像)があり、最終的に家庭用ではLDが勝利はしたものの、AV専業メーカーと家電メーカーの販売力の差を考えると、レーザーディスクってそれほどプレイヤーが普及していたのか疑問です。
そもそもAVマニアにしか普及してなかったのでは。少なくとも、VHSほどの各家庭に一台、みたいなレベルではなかったことはたしかでしょう。
むしろ呑み屋にカラオケ専用機として普及していたのはVHDのほうがシェアが高かったかもしれない。
「絵の出るレコード」のVHSに対するもうひとつの欠点として、2時間の映画を見るために、A面⇨B面と、途中でひっくり返す作業が必要だったのが興ざめ、というところでしょうか。
すでにレコードに対するCDの優位性、ひっくり返さなくてよい、が認知されている時代でしたから。