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津波と震災と、

私も寝不足です。
昨夜は、JMAが「心配ない」と言っていたのに津波が起こって、夜中に防災無線のサイレンで起こされて。近所でもそれなりの騒ぎになって、この冬の長期積雪期だというのに夜中に急いで避難した人もいました。
津波と聞いたら2011年の震災のことを思い出すわけですから当然です。津波は恐い。
「1m程度の津波だ」と言われても、さっきは津波心配ないと言っていた気象庁を信用していいものなのか、とも思うわけだし。
津波が来るぞと言われたら避難する人は、生きる目的があるのかもしれませんし、親に教えられたからかもしれませんし、反射的に生きようとしただけなのかもしれません。
あの震災でも、親類や自宅や財産や職業を失った人は多いでしょう。

震災というと別の、あの震災も、そんなに経ったのか、と驚くくらいに最近のことのように思えます。長田の街も燃えて、六甲道の駅が潰れた。
衝撃的な事件は忘れられません。喪失した傷は癒えません。

建物が潰れるというと、9.11のWTCツインタワーが自重で圧壊したのも、さらには福知山線で車輌に突っ込まれた建物のことも思い起こされます。



結局は皆、なにかしらに執著していて、
それを災害で喪失した哀しみと傷みに嘆き叫ぶ人々もあり。
たとい本質的な生きる目的がわからなかったとしても(客観的にみて、究極的には人類の価値観を離れたら)瑣末なことに何故か執拗に執著して、失うことを怖れたり、失って燃え尽きてヤケになったり。
大学入試で人生が決まるところが少なからずある偏狭な日本社会で、そう教え込まれた若者が「失敗した」ことに燃え尽きる。
職業を失い、職場から追われた人が、自暴自棄になる。
希望を失って生き場のない余生だけ残って、どうにも生きられない人々が、放火でもする。

私自身もいままで、与えられず、奪われ、壊され、失う、人生でした。
だから、与えられない心痛も、失うことの恐怖も、喪ったことの傷みも、経験してきました。

「被害者」も「加害者」も、結局は、精神的には共通しているような、傷み、哀しみ、虚しさを抱えている。


世の中が間違っていることに気がついていても糺せないので、諦めて無関心になるしかない。
さらには、いまの日本人には、自己洞察力や表現能力さえも未熟で、周囲に振り回されてばかりでコントロールを失い、なにがいけないのかを語れず、感情というか衝動で生きている。

なんのために生きているのかわからない今の人々は望みも目標ももてず、そのくせ世の中や親などからは「夢をもて」などと意味不明のことを言われて怒られる。
なんのために生きているのかわからない、将来の望みがないから、いまの日本人には「ハングリー精神」がなくても当然。江戸時代の、失業して末代まで格差を越えられなくなった牢人のように。
とりわけこの10年間をみたら、現実逃避で、自己を革新せずに他罰的に八つ当たりして、目先の損得と快楽で暮らす世の中になって、閉塞的で突破口のない形骸化して腐敗した社会になりました。

災害が恐いと言われても、逃げるのは結局はもしかすると、
痛いのがイヤだから、というだけなのかもしれませんし、
被害に遭うことが、「悪いこと」だから、「誤答」だから、ということでしかないのかもしれません。
「なんのために生きているのかわからないのに、とにかく延命する」「死ぬのは悪いことだ」という思考停止みたいに。

私も寝不足だとお互いに苛立つのは、このパンデミックで思い通りにいかない日々を辛抱しているストレスもあるのでしょう。
なんのために生きているのかわからないけれど、就職したら「牢獄」「人生の墓場」に行くのだとしたら、今の学生生活をパンデミックで失うことにしても、気がおかしくなるくらいに泣き叫ぶことなのでしょうし。
通勤電車で感染リスクを負いながら暮らしている人にとっても、それこそ大雪で交通が止まっても通勤や帰社を気にして胃に穴が飽きそうになるくらいに執著している日本人ですから。

災害から避難するのも、被害を減らすのも、それはよいにしても、
なんのために生きているのか、本質的なところにも問題があるでしょう。
なにせ、化石燃料を無駄遣いして二酸化炭素をポイ捨てしてきて、すでに二酸化炭素が濃すぎるのに、
二酸化炭素濃度を減らすどころか、未だに増やしているのですから、将来性がない。
そうして、人類みずから災害を助長しています。
なんのために生きているかわからない。自分や身内、人間のことと、目先のことしか、見えないから。

生きものとしても、知的生命体としても、本質的なことが欠けているのでしょう。
なんで生きているのか、この本質的な問題に答えられなければ結局は、
災害のことを含めて、自分や人類の生死・生滅について、説得力をもって語れないかもしれません。
その答えを人類が、社会が、我々が示していない。
それでは災害が来ても自暴自棄に死を受け入れる人々も出てくるでしょうし。「人類まだ滅亡しないのか」(早く滅亡しろ)と思っている人も少なくありませんし、おそらくは地球や生態系を破壊する人類がいるのは迷惑になっているのでしょうし。


5 件のコメント
1 - 5 / 5
今日は偶然にも1.17のつどいがあります。
無意識にも生きようという姿勢は大事なんでしょう。
津波を過去に経験されてるからこそ、私が感じる不安ではなく、恐怖を感じておられるかもしれませんね。
すごく、つらいです。
そうですね、本日1月17日は阪神大震災が起こった日ですね。その時分は高校生で大阪在住でしたが、本棚から本がバタバタバタッと落ちました。

あれから27年かぁ…🤔
...って、感慨深くなってしまいました☆♪
> 私も寝不足です。

今、生きていられるから、「寝不足」とか言ってられるのです。

もし、その瞬間に避難を躊躇ったら、激しい恐怖や苦痛を味わいながら、永遠の眠りについているかも知れません。

最新の情報をしっかりチェックして迅速に避難行動しましょう。
「なんのために生きているか」は
自分が決めること。
人類や社会や我々が、答えをくれることではないと思いますよ。

ちなみに僕は「遊ぶために」生きています。
僕の趣味は「旅」。見知らぬ地と知と出会う楽しさ。

遊べないほどあくせく働いて、経済を得ても何も有難くないですね。
休日をグダグダ過ごしても、それで幸せな人もいるわけです。
「なんのために」は人それぞれですから、身内や目先のことだけの人がいても、おおいに結構。
人類共通の「なんのために」なんか無い、と達観したつもりで、もっと気楽に、世の中を俯瞰していいのではないかと思います。

命あってのものだね、ですよ。
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