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平成5年生まれの私が、初めてポケベルを触らせてもらった日の話
2013年から、YouTubeチャンネル『無駄づくり』を開始し、無駄なものを作り続ける。
スマホからポケベルに変えてみたい
私は無駄なものを作る活動「無駄づくり」をしている。これまで、地球の大切な資源と20代前半という貴重な時間を費やして「アルコール検知スマホケース」や「スマホの通知が来るとお祝いしてくれるマシーン」など、たいして役に立たないけれど、自分がほしいものを作ってきた。
私はポケベルを知らない。というのも、私が生まれたのは平成5年。バブルが終わったころだ。物心ついたときには携帯電話もメールもあった。和音でオリジナル着信音も作っていた。「ポケベル」という言葉を知ったのはだいぶ後になってからだった。
正直、ポケベルが何なのか、よく分かっていない。小さくて漢字が打てない機器らしいのだが……。もちろん実物を見たことはなく、インターネットやテレビなどの情報で得た知識のみである。
今はスマートフォンが普及して、電話やメール以外にもたくさんの機能がついている。
それにインターネットもあってSNSも生活に根付いている。便利だけれど、便利すぎるというか、情報が多すぎるというか。そう感じているのはたぶん私だけじゃなくて、他のみんなもそうだと思うのだけれども。
私は、進化というのは「不便を切り捨てるのではなく選択が多くなること」だと思っている。だからこそ今、ポケベルを選択してもいいのではないだろうか。余計な情報がシャットアウトされ、必要最低限のメッセージしか受信しない。ポケベルには炎上もクソリプもない。最高だ。現代社会に必要なのは格安SIMでもインターネットでもなく、ポケベルなのだ。
そう思ってインターネットでいろいろ調べたけれど(インターネットって便利ですね)、ポケベルの会社はほとんど残っていなかった。
Googleで「ポケベル」と検索して10ページくらい探してはみたが、契約する術はなさそうだ。検索の上位に出てくるのは「懐かしすぎる! ポケベルあるあるベスト10」みたいな記事ばかり。私のポケベルへの欲は、もりもり大きくなる一方だった。
追えば追うほどポケベルのことが気になってくる。
死ぬまでにポケベルを触ってみたいな。そんなことを思った。でも、どうすればいいのだろうか。もうこの世にポケベルは存在しないのかもしれない。ポケベルは人類が見た夢だったのかも……。
怖くなってツイッターで「ポケベル持っている人いますか?」とつぶやいたけれど(ツイッターって便利ですね)、現役で使っている人はいなかった。
ポケベルを使っていた人に話を聞いてみよう
そこで、私の知り合いのポケベルを実際に使っていた世代に話を聞くことにした。担当編集の宇内さんだ。
——ポケベルってマジであったんですか?
マジでありました。高校1年の1〜2学期しか使ってなかったけど、気になる女の子と毎日ポケベルでメッセージのやりとりをしていました。ある月はポケベルのやり過ぎで家の電話代が3万円を超えて、親に自分で払えと言われたこともありましたね……。
パソコンも携帯も普及していなかった頃なので、遠隔で文字のやりとりができるのがめちゃくちゃ新鮮でした。
——文字の表を見ながら打っていたとネットに書かれていましたが、大変でしたか?
文字の表は暗記していましたね。アルファベットはほぼ使わなかったので、表は半分(五十音と濁点・半濁点)暗記しておけばなんとかなりました。不良とケンカして仲直りした後、ベル番を交換したら「ヨロシク JUN」とメッセージがきて「不良はアルファベットを使うのか!」と笑ったのを覚えています。
——今になって「使いたい」と思うことありますか?
懐かしむことはありますが、使いたいとは思わないですね。公衆電話もあまり見かけなくなってきたし、ポケベルはスマホより不便なので。スマホが滅びてポケベルが再燃した場合は、それはそれで楽しめそうな気もしますけど。
「懐かしむことはありますが、使いたいとは思わないですね」 こんなセリフを言ってみたい……。これはポケベルを知る者しか口にできないからだ。うらやましい、そう思った。
どうにか、死ぬまでにポケベルを触りたい。その思いを込めて、「東京テレメッセージ」という会社にメールを送った。現在ポケベルを扱っている唯一の会社とネットに書いてあったからだ。
個人での契約は停止しているようだが、ちょっとお借りして触らせてもらうだけならイケるのでは……。お触りできればそれでいい。そう思ったのだ。
ドキドキしながら返事を待つと、なんと社長直々に取材オッケーのお返事がきた。ポケベルへの愛が伝わった。
ということで、新橋にある東京テレメッセージの本社にやって来た。私の手には、すでにお借りしたポケベルがある。そしてこの笑顔である。
ポケベルだ……! ポケベルすぎる! しかも2台もある。両手に花ではなく、両手にポケベルだ。
実機に触れることができ、夢が叶ったので家に帰ろうとしたのだが、なんとメッセージの送受信を体験させてもらえることになった。社員の方に送信の手順を教えていただき、さっそく固定電話からメッセージを送ってみることに。
ポケベルに割り当てられた電話番号をダイヤルし、続けてフリーコードの「*2*2」を入力する。すると、カタカナを送れる状態になる。
コマンド表を見ながら、慎重に電話の数字を押す。「ア」なら11、「イ」なら12、「カ」なら21……といった具合だ。これを暗記してサクサク打ち込んでいたなんて、ポケベル世代はすごいな……。
この時点でもう楽しい。ずっとニヤニヤが止まらなかった。メッセージの入力が終わり、受話器を置くと、ブブブブと、ポケベルが震えた。
届いている。
届いている……。
送信するたびに電話代がかかることも忘れて、ポケベルを鳴らし続けた。自宅の電話じゃないのに。社会人として終わっている。
「アイシテル」と打ちたかったが、間違えてしまった。ポケベルは画面が小さく相手の名前が表示されないから、末尾に名前を記入するといいらしい。初めて知った。
ブブブブ……と小刻みに震えるポケベル。
114106……この数字に込められた意味、わかりますか? 取材時に教えてもらったけれど、私はもう忘れた。
ポケベルが楽しすぎる。楽しすぎるのだ。これは社長にしっかりと感謝を伝えなければ。
こちらが東京テレメッセージ社長の清野英俊さんだ。
——「死ぬまでにポケベルを触ってみたい」という私しか得しない取材で伺いました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
——ポケベルが流行っていた時代を全く知らないのですが、どんな感じだったのですか?
あー、僕も当時のことはよく知らないんですよ。
——え?
ずっと銀行でニューヨーク勤務をしていたんですよ。50歳手前くらいまでですかね。そこから、ちょっと職を変えようかなと思い、米系のヘッジファンドの仕事を始めました。
ある日、仕事をしていたら、今にも潰れそうな会社から連絡が入ったんです。調べてみると「今日の夕方に東京地裁に行って破産の申立書を出すんだろうなぁ」というくらいの経営状態でした。正直、ダメな会社だなと思いました。まあ、それがこの会社なんですけどね。
——え……? どういうことですか?
所属していたヘッジファンドが、その会社に数10億円ほど投資をしていたんですよ。潰れたらまずい……と思い、すぐに会いに行って話を聞きにいきました。すると、「ポケベル電波を使った新しい事業をしようとしている」と言われて。「え? ポケベルって何?」という感じでした。
——その時に初めてポケベルを知ったんですか?
そうですね。だいたい10年前なので、もう携帯電話もPHSも出ていましたからね。
——ポケベルのことを知ったの、私より遅いのでは……。
その潰れそうな会社の新しい事業が、災害時の通信手段としてポケベル電波を利用するというものだったのです。
実際に3つの自治体で使用されていました。ただ、売り上げはかなり少ない。もう、この会社の経営は続かないなと思ったのですが、少し気になりました。そこで、実際にポケベルを使っている自治体に行って話を聞くことにしたのです。
自治体の担当者に会い、なぜこの会社のサービスを採用したのか聞きに行きました。会社が潰れてサービスが停止したら、自治体も損害を被ってしまいますから。しかし、担当者は、「同じようなサービスをいろいろ試したけれど、ここの電波しか使えなかった。他のものは全くダメでした。だから、これを選んだだけです」とハッキリ言い切っていました。
現場がここまで断言するなら、この会社には未来があるかもしれない。そう思い、追加の融資をすることにしました。
——防災への利用に希望を感じたのでしょうか?
そうですね。しかし、またすぐに経営難になり、もう打ち切ろうと思いました。でも、やはり契約している自治体のことが気になり、会社を分割しましょうと提案したのです。
1つの会社は泥舟で沈んでいくとして、分かれたもう1つの会社に必要なものだけを詰め込み、再出発すればきっとこの防災事業がうまくいく。そう思ったのです。そして、無借金会社として再スタートしました。
しかし事業はなかなか軌道に乗らず毎年4,000〜6,000万円ほどの赤字が出て、4年で数億円まで膨らんでしまったのです。従業員の給料も払えない状態にまで追い込まれていました。
そんなときに、また最悪な出来事が……。あまり詳しくは言えないのですが、とある大手企業がこの会社を訴えたのです。お金がない会社は裁判で圧倒的に不利。もう風前の灯火です。そこで、僕がこの会社の社長になり、裁判を代わりにやりました。
社長になったものの、僕はあくまで投資をしていた人間であって、経営者じゃない。それにこんだけ傾いている。でも、潰れちゃまずい事業をしている。
それで、ずっと希望を持っていた防災事業を自分でやってみよう、と思ったのです。
東日本大震災やその後に続いた震災の影響もあり、日本人の防災意識がガラリと変わりましたよね。それに、普通の携帯の電波が届かなくなる恐怖を味わった方も多いと思います。そんなときも、無線呼び出しの電波は稼働することができるのです。
そこで、地方自治体の防災無線として、大災害に備えたシステムを売り込み始めました。すると、売り上げも伸び、今に至ります。
——す、すごい話すぎて、聞き込んでしまいました。ポケベルって、こんなに人の人生を左右するものだったのですね……。
3つだった自治体の契約数も、今は30にまで増加しました。これから3年で、もっと増えるはずです。
——清野さんがポケベル時代を知らなかったことが、一番びっくりしました。
ポケベルが流行った社会を知らないので、ドラマの「ポケベルが鳴らなくて」を最近になって見てみたんですよ。でも、あんまりポケベル出てこないんですね、あのドラマ。
——えっ、そうなんですか?
清野さんがいなかったら、ポケベル電波を活用した災害時の通信手段は、今ごろなくなっていたのかもしれない。
取材前は「不便なものにこそ癒やしがある」などと思っていたが、ポケベルは不便なんかではなかった。これから起こるかもしれない自然災害で、きっとこのポケベルたちが活躍するのだろう。もちろん、災害が起こらないに越したことはないのだけど。
ポケベルはずっと私たちを見守ってくれているし、私たちもポケベルを見守っている。そういう関係性でいたい。ちょっとポケベルに感情移入しすぎて訳のわからないことを言っている。
とにかく、死ぬ前にポケベルを触ることができてよかった。次は、肩にかけるデカイ電話機を触りに行きたい。
(編集:ノオト )
でも、ライターの考え方にはまるで共感できなかった。
大学生の頃、写真にも出ているセンティーA使ってました。
(^^)
その少し後に文字を出せるポケベルが出たかな
114106=愛してる なんですね
私より一回り位下の人は高校生ぐらいなのでそういう遊びをしてたのかも
「ポケベルが鳴らなくて」は流行ってましたね
なんか、ポケベル鳴るのを待ってるって胸熱ですね
待ち疲れて寝ちゃうとか・・・
そんな頃に戻りたいなー
通信定額化、通話放題そして子供がスマホを持つ…当時は誰も想像してなかった。
目まぐるしい時代の変化ですね。
あ、食べ放題は当時からありましたね!
SEは画面が小さいけどパフォーマンスは7並みで6Sよりも好きです。この大きさでバッテリーとCPUだけ進化させて欲しいと思いますね^ ^
ポケベルが流行ってた時は、同年代が公衆電話を長時間占領して、社会人に迷惑かけてるのを見るのが嫌でした。「テンキーピコピコ打ってるのなら、さっさと会話して終わらせろよ。」と思ってましたw
ショルダーフォンは中学生の遠足の時だかに、学校が用意したモノを先生が肩に掛けていたので、掛けさせて貰いました。かなり重かったです。先生も重いモノ長時間持たされて大変だっただろうな~。
親戚のおっちゃんが持ってて、1度だけポケベルに連絡して折り返し電話もらったことがあります。将来、
ガラケー触りたい!
スマホ触りたい!
iPhoneって何?
ってことになるんでしょうかね?
ポケベルでオフィスに電話をしろと来て、公衆電話で電話して要件を聞いてました。
今から考えるとのんびりした時代ですね。
自分は毎年20回以上献血をしてますが、献血ルームでベッドへの案内をされるのに渡される機器は、ポケベルの機能を使っていると聞いたことがあります(^^)
カタカナに出来ない数字だけのやつでした。
あ〜なんか思い出してキュンとなっちゃうね。
良い時代だったのかな。不便って想像力を養ってくれるのかもしれません。
というか吉本なんですね。びっくりしました
そしてそして間もなく誕生日おめっとさーん
85223204410412 (良き時代)
今でもベル打ちできますよ😆
すぐに携帯が普及して、そちらに変更しましたので文字コードまで覚えてませんがw
でも、その頃からポケベル打ちで入力してるので、タイピングの早さは磨かれています(笑) 今は2タッチ入力ってなってて、ポケベルって言葉が忘れられかけているのかと寂しくなったり、呼び名が変わっても使えるキーボードがあって嬉しくなったり。おかげでフリック入力は全くできません。
防災の目的で今も使われていたとは。震災のときは本当に心細かった…。独り暮らしで電気も4日止まってて、携帯電話は全然繋がらないまま電池切れ。福島の実家はどうなっているのか不安で不安で。
ぜひ今後メジャーになってほしいです。
携帯と違って、とんでもなく受信範囲が広くって、鳴ると大体面倒ごとの処置依頼とかで、良い思い出がほとんどない(T . T)
当時の携帯は地下に入るとつながらなかったりとか平気でつながらないことが
あったのに、ポケベルはどんなに山奥でも(=折り返し連絡する電話がない場所でも)ピーピーなるという(笑)
ちょうど、PHSも出はじめだったりするあの頃が懐かしいです。
あれ?真面目な記事やん?????
キュラが違う、、、、けど、面白い記事でした。
面白かったわ(゚∀゚)
自分が使っていたのは最初数字が出るモデルでした。DDIポケット社のでした。青いライトが光り暗い所でも読めるのが新しかった時代です。当時の女子高生たちはものすごい速さで公衆電話のボタンを押してメッセージ送信してました。あの速さは芸術レベルです。その後、携帯電話はアナログでやっとショルダーホンから、家庭用電話の子機のサイズになりましたが、通話時間は連続120分とかで、いろいろ触ってるとすぐ電池切れでした。PHSが出て電話がかなり小型化し、電池持ちも通話連続6時間と飛躍的に伸びました。携帯電話に変わって行ったのは通話時間が変わらなくなったからですね。iPhone発売前に全面タッチパネルの携帯電話を使ってました。パイオニア製でした。スマートフォンではありませんでしたが、先駆けだと思います。
ポケベルのやりとりのために、公衆電話に長い列が出来ていたことも懐かしく感じます。
今では公衆電話もポケベルもすっかり少なくなってしまいましたが、災害時にこそ、公衆電話もポケベルも必要だと改めて感じた記事でした。
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#マイネ王5周年おめでとう!
電話が無い場所で鳴っても、何も出来ないので不便でした。☺️
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#マイネ王7周年おめでとう!
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#マイネ王8周年おめでとう!
*2*2 119221044513
↑わかりますか?
カタカナが使えない、番号だけ表示されるものを使ってました〜
数字の語呂合わせとか、事前に友達間でメッセージ表とか作って所持しておいて、指定の数字がポケベルに届いたらその表で確認して内容を理解したなんてやってましたよ〜
待ち合わせ場所とか、気持ちとか♥
でも、鳴って内容理解できても直ぐに連絡取りたいって(話したい)時は、公衆電話からその人の自宅に電話したり本人が居なければ結局、ポケベルで呼び出して会って話したりとかやってました…
田舎だったので公衆電話が周りにない事も多々あって、そ~いう時は近くの知らない人んちに駆け込んで電話をお借りしたこともあったな〜
m(_ _)m 「スミマセン、電話代金受け取って下さい!」って、10円玉を数枚渡してお礼を言って去ろうとすると、「いらないよ〜電話代なんて!お互い様だよ〜」と。いろいろご迷惑おかけした事もありますが。不便だったけど、なんか人とのつながりが良い時代だった思い出です。
切ない気持ち、楽しかった学生時代、あー、なんかな。思い出しちゃって。。。
(;^ω^)
>> popaye さん
後半ポケベル関係ねぇw. ✳️✳️✳️✳️
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#マイネ王9周年おめでとう!
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. #mineo10周年おめでとう!