心を育む事
今回で2回目の投稿になります。
最近はコロナウイルスが日本を襲っていますね。少しでも早く終息する事を願うばかりです。
さて、今回は最近の僕の出来事を綴ってみたいと思います。実は僕は現在無職です(笑)
と言うのも昨年末に退職し、これまで患っていた肝臓の治療をしようと現在奮闘してるからです。
そこで、今は治療しながら実家の片付けを大掛かりにやっている真っ最中なのです。
前置き話はこれ位で、さて本題です。
先日、納戸の片付けする際あまりにも汚い納戸に絶句し、壁紙を貼ると言う素人荒業をやる事に!
するとその最中に父が乱入し、手伝おうと言ってきました。御年82歳!さすがに体力が落ちてきました。そんな父が手伝うと言うので、できる範囲での協力をお願いする事に…。
お願いしたものの、作業がキツイという事と、性格的に大雑把な一面を持つ父は、貼るべき場所以外にも適当な配色のクロスをペタペタと貼ってるのです。
さすがに見かねた私は「ココにはこのクロスは貼らんよ!コッチの柱と同じだから、この色にしないと!」と投げかけました。
しかし、父は聞く耳を持たず…
見てない所で適当に作業を進めます。
ソコで私と父の意見がぶつかる事に…。
そもそもこの家を整理する為の私のコンセプトというのは、47歳になる私を支えてくれた両親に、これまで迷惑をかけた分の親孝行をする為に実家に引っ越してきたと言う経緯なのです…。
無職の私には、お金をかけずに出来る精一杯の意思表示のつもりでした。しかし、父を怒らせ言われた言葉は「棟梁は2人はいらん。お前が、好きにしろ!」と捨て台詞を言って出ていってしまいました。
その時はあまり気にも留めてなかったのですが、「棟梁」って言葉がモヤモヤしていました。「何でそんな言い方をしたんだろう」と腹立たしかったのです。
それから色々と口論になる場面が多かったのですが少しずつ感じる印象が変わってきました。「この人は大黒柱である自分の立ち位置に僕が傷をつけてる事が気に食わないのだ」と感じるようになりました。
僕にはそんな気持ちは微塵もありませんでしたが父を傷つけたのかも…と。
長期に渡り大黒柱を努めた父の気持ちを思うとそれも理解出来ます。
家族を支え、嫌な役を買って出ていた父はさぞや傷付いただろうと思ったのです。
さて、皆さんはここまで読んでどう理解されますか?
心の問題はとっても複雑です。ましてや親子関係ではお互いに近すぎる存在すぎて気が付かない部分や、甘えたりする部分もあり事がこじれやすいと思います。
我々一般人は自由に発想をします。私は「父を傷つけた」と想像し理解しました。私は後悔しました。何気ないやり取りの中で82歳まで踏ん張ってきた父の事を傷つけてしまったと…
それから真摯に自分と向き合って様々な思いを巡らせました。
そしてある人に相談したところ助言を頂いたのです。そしてなんと「棟梁」の意味が息子として接してきた私には想像すらしていなかった事でした。
私は実家に息子として帰り、息子の親孝行と言う事で家の片付けに励んでいたのですが、父の言う「棟梁」とは家の棟梁と言う事だったのではないかと言われたのです。まさに目からウロコ状態になりました。
お解りですか?
つまり、「大黒柱は一人でいい。
二人もいらない」…と!
「大黒柱の代を譲るから好きにしろ」と言う事です。
さて、いかがでしょうか?
真意は分かりませんが、最初からその様に捉えていれたならば不愉快な思いにはならずに済んだ筈です。
もし、「棟梁を渡す」が正しければ親父はとても大きな決心だったに違いありません。
「大黒柱に傷をつけてるのが気に食わなかった」と理解するのと「大黒柱を譲渡するからしっかりやれよ」と理解するのでは全く違うのです。
人間は受け止め方が変わる事でその後が全く変わります。
私の受け止め方次第で、歩む道が全く違うものになり結果として取るべき態度も向かい合う姿勢もかわります。
今の自分を変えたいと思ってる方は、外側だけを変えても変わることはできないと考えています。
取捨選択しながら生きていきている我々は受け止め方が過去の産物によりどの道を選ぶのかが決まってきます。
ファミレスでほぼ決まったメニューを頼むように、些細な決定を自分の中のルールブックに従い選択するのです。
つまり、ルールブックが出来た理由が過去のエピソードの中に詰まっているのです。
少し難しくなりましたが何となくお伝えしたいことが解って貰えたでしょうか?
自分のルールブックを変えることが出来たなら、選択するメニューが変わると言う事です。
では、今回のお話はここまでです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
私の実家は元々7人家族でした。それから月日が立ち今は両親二人の暮らしです。なのに捨てられない荷物等が山のようにあり、両親の生活を助けたいと言う思いだったのと、元気な間に近くに居てあげたい思いでした。
片付けの事は私自身も別の気持ちがなかったのか、つまり相続、姉弟に姿を見せたいなどなど考えましたが、両親の年齢や家族構成上は悩みました。
しかし片付けというテーマに対してはやはり親の老後を豊かにしたい気持ちを強く思っているところです。
深く考え過ぎではないですか?
一家に主婦は二人いらないという言葉もよく聞きます。
リーダが二人で考えが違えば、口論になる。それが親子なら遠慮がないのでので、けんかになる。お父様は高齢なので作業もきつくなり引いたのではないでしょうか?気持ちはおまえに任せたよだったのが、親のプライドもあり、捨て台詞だったりして。
でも、親子なのですぐに仲直りというか普通に生活できるはず。これが他人だったら、後々の行動を注意した方がよかったかもですが。。。
けんかしながらでも高齢の親の近くに子供がいるということは、どちらにとっても幸せですよ。
核家族が多く、子供は遠くで働き親のSOSにすぐに答えられない人が多い中うらやましいお話です。
お疲れ様でした。
swift707さんのおっしゃるように、戦中後期の時代、B29から逃げまわったと聞いてます。とても貧しく大変だっと。そんな中必死で生きてきたプライドもあると思います。
そしてakoyoさんがおっしゃるように親の近くに住めて喧嘩が出来る喜びも感じています。
さすらいの亀さんも喧嘩しても良いとおっしゃってますし…
喧嘩して、笑って、泣いて…なのでしょうね。