黄昏トワイライト
- 交流スペースフリートーク
- iPhone SE SIMフリー
- NifMo
転生してDevilmanとなり不動明の姿で他の方々の居心地の良いスレに好きなことを言ってきましたが、最近のヒトビトはデーモンと合体してまで地球上に残すべきなのか悩み始めてしまったので、昼と夜とが混ざり合う黄昏時であるトワイライトゾーン的に書けるスレを立てました。
基本的に私の趣味であるデジタルガジェット、イヤホン、スマホケース等の事が多いです。
↑これは現時点(2021/02/12)でのベストな組み合わせな
iPhone SE2Gen(128GB/BK/SIMFree)
https://www.apple.com/jp/iphone-se/
+
Jabra Elite 85t Black
https://www.jabra.jp/bluetooth-headsets/jabra-elite-85t/
です。
また、私のスマホのロック画面の壁紙は全て↑これです。
生きのびるために大事なことの多くをQUEENから学びました。
YouTube Queen Official
https://www.youtube.com/user/queenofficial
簡単に言えばマイネ王の他のスレとかリアル生活で疲れちゃったヒトビトと私の独り言を言いたくて立てたのでどうぞご自由に出入りしてください。
ただし、下等デーモンにも劣る様な表現やイザコザは、問答無用で削除するかもしれませんので悪しからず。
ま、ヒトなんて発生からしてヌメヌメした処から出てきたので所詮は土に還るだけなのですがね。
もし、此処に来ない時は…
きっとデーモンと闘い中です😈
2435 件のコメント
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ちなみに数日前からどんよりした気分なのは、災厄の多い世界について想いを馳せているだけでなく、ある介護施設の方の証言が事実と知っていたけどきつかったから。
要約するとIQ(本職の人が言っている以上、それはビネー式か何か知らないがちゃんとした方法だろう)が低けりゃ低い程、動画を、しかもエモーションがそそる動画を見たがる。そして本当に低いと反応もせず見ているという話。まあ、治療や保護を要するレベルだけどね、それは。
人の可能性ってのはかくも残酷なものなのかという事ですよ。
>
>それは「宗教」と「闘争」の2つである。
弱者が弱者を助けられるわけがないので弱者同士の互助なんて土台無理なのである。優しさを実行するには少なくとも相手より優れていなければ出来ないのだ。
デーモンは合体するか?されるか?なので弱者は合体したモノの一能力として存在してゆける。デーモンは行き先の解らない慰め合い(宗教)やどちらかを排除するまで終わらない衝突(闘争)と言う愚行をしないので人間どもより遥かに弱者に対しては優しいと私は思う。
多様性を認める事とはきれいごとじゃなくて「人の可能性の残酷さ」も認めざる得ない事です。それを自分が好むか否かは別ですが。とはいえ、a fourがこんだけ沢山出てきてそれが怒りを買うベクトルに(多様性がない故)一斉に並んでいるのは凄いとしか。
まあ私もココに腹が立って「最終兵器」を探したことがあります。あるにはあったんですが、逆に言えば「お腹をさらしている」んですよね、ココ。普通は最終兵器なんてありませんよ、映画かアニメの中以外では。
で、今の世の中、いい悪い別として「賢くなければ生きていけない」し、そうであってもイライラが溜まりやすい世の中です。そういうとき珍獣を見れば癒されるのは人のサガです。
が、そうかなあと日本人読者の私から見て思ったり。やはりベースとなる思想は違う気がします。
作内での文化圏の興亡については、文字通り食うか食われるかの発想です。肯定的に書けば「弱者は合体したモノの一能力として存在してゆける」の発想ですが、今の日本ではそれは表向きに言うのは「よくない考え」とされるのでは?
※みんな一緒発想でしょ?これが逆にルサンチマンを培養しているんだけど。
(精神面な意味で)BLや百合ネタを書けないのも、まあ向こうの法律の問題も現実にありますし、作内で「21世紀に入って日本や韓国では男性の女性化」と指摘する「その文面」が既に我々と違う(中性化とかジェンダーフリーとか言うでしょ、我々日本人は)。
逆にある日本人が「登場人物の名前がでたらめで気に食わない」と主張していたが、中国人の持つ英語圏へのあこがれの表明ですよね、あれは。(アイエーエーさんが、アイAAと書かれる設定とか)
ああ、日本でも昔ありましたよね、ジャニー何とかさんとか。今は流行らないけど。
まあ日本人が欧米文化圏に違和感を覚えない程度に「調教」されるのに50年100年かかっていますので、中央アジアまでの大陸部に欧米文化圏が理解されるのはまだ先の気がします。いい事か悪い事かは別にして。
https://t5blog.waveformlab.com/2016/04/5862.html
長いタイトル。w
要約すれば「集団思考を予防する為にはそれ相応のシステムが必要である」。そしてそれを看過すると
>集団思考は、合理的な推測/仮説立案を妨げ、組織を危機にさらす可能性がある
ということ。以前から繰り返しているとおり。考えるの面倒な人には嫌な事実だろうな。
例えば繁忙期の新幹線の座席。
拝金主義者じゃないけど、人間のうち幾らかは残念なことを否定できないので、やむを得ないのです。安酒場で友達を作ってはいけないというのと同じ。
私はプロ=職業人という認識なので職業倫理があるという想定だけど、アマチュアがプロ並みの能力を持っていても倫理観が抜けているのが嫌悪の理由だろうなあと思ったり。
とはいえ、当人は自分の能力について特異点と見ているみたいだから、まだ見ていられるけど(これで自慢していれば多分激おこ)。まれにそういう人がいるのはよく理解しているつもり。
才能(タレント)ってそういうもん。天から降ってくる災いだから、天才。
字幕をonにして再生させるのではなくタイムバーを読むペースでスライドさせてみた。
8分の動画が15秒程で理解できた。準備時間を含め1分以内。これなら許せる。どうせ大したこと言っていないから、ディテールが抜け落ちても支障はない。w
(メリトクラシーというのは、究極的にはそうなる)
不織布マスクって、DQ風に言えば「紙の防具」なんだよね。ワクチンは一体何に相当するんだろうね。
ただ、為政者の立場からすればいつまでもコロナ経済をやっている暇も余裕もないです。(40~50代は見捨てたわりには、ね)
そこを読んだうえで動いた方がいいです。
この世の地獄だなあと思うのは、先日Twitterで話があった「日本語が分からない人は人口の1/3ぐらい」説に該当する方が、同じく該当する方と日本語で会話しているシーン。
いやこれが雑談ならまだしもね(結果は求められていないんだから)。
でも分かるように嘴を突っ込んでも、そんなに短期間で改善されないから1/3として滓のように溜まっているんだから、ツッこむのが野暮なんだなあと最近は「深い絶望感と共に」思います。
ワクチンは「感染のリハーサル」だな。
Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguityの頭文字を取ったそれ。Mの有名なスピーチ「 I'm frightened because our enemies are no longer known to us. They do not exist on a map, they aren't nations. They are individuals. And look around you - who do you fear? Can you see a face, a uniform, a flag? No, our world is not more transparent now, it's more opaque! It's in the shadows - that's where we must do battle. So before you declare us irrelevant, ask yourselves - how safe do you feel?」を思い出す。
(スピーチ内容はwikiquoteより)
さて、ある方が先日Twitterで「優勝劣敗」で負けた奴は存在価値もないというのを徹底的にやった歴史上の人物がいると指摘していた。ドイツのアドルフさんの事で、確かに「第三帝国滅亡するならベルリンは破壊してまえ」を実施したので首尾一徹しているなあというか、狂気が怖い。w
少し前までここではよく、ちょっとでも批評しようとすると「他社を褒めるなら他社に出ていけ」ってのをよく見かけた。そういう排他的なところが大嫌いな私はずいぶんカチンときたもんだ。
ただ、最近は資本主義的な意味合いでの「優勝劣敗」で明らかに形勢不利なここ。アドルフ氏のような嘘がつけない正直者(であるが狂っていると思う)は世間での多数派ではなく、どっちかと言えばちょっとだけ狂ってちょっとだけ嘘つきの人の方が多いのが現実。
mineoの付加価値はマイネ王だと思っている人のいかに多い事か。付加価値って言葉は前半と後半に分けられるし、前半だけでも後半だけでも成り立つことをお忘れなく…。
価値ってのは二種類あって、自尊の意味の価値は自分で幾らでも決めれるんだけど、そうでない一般の意味での価値(上で書いた付加価値も含め)は、自分以外の第三者がその値を決めるんだよな。そこには自分は存在しませんよ。
アルミニウムの王冠がいい例で、今の社会では価値はないけど、電気の無い時代(200年も遡ればそういう時代)だと黄金かダイヤ程度には価値があったと思いますよ。
貨幣もそうであんな紙切れそのものに価値は無くて、あれを1,000円なり10,000円なりと認定して初めて千円札やら一万円札に化けるんであって。それが信用なんですよね。
だから日本やらヨーロッパやらアメリカ(最近は中国も)の貨幣には価値が乗っかかっているし、何処かの発展途上国の貨幣には世界レベルでの価値が乗っからない。前者をハードカレンシーというんですが。
わたしゃ、ハードカレンシー以外は信用していませんのよ。w
例えば仕事の上では、確率論(博打性)は入っては困るのでどの業種であってもそれなりの管理をおこなってそういう類を排除するんだけど、はた目から見れば欠陥品が全くない、つまり確率論(博打性)は入り込まない錯覚が発生する。
ただ、現実は確率(博打)ですよね。
仕事をちゃんとしていればそれは知っている話なんだけど。
(きかんしゃトーマスの「じこはおこるさ」です。あいつはおバカだけどw)
だから現実と認識のずれが発生してしまうし、その上基本の認識が無謬であればこそ、現実に確率(博打)が存在する事が許せない(ご納得いただけない)という。これはこのつぶやきの主様の業界(弁護士?)だけでなく、どこでも同じ話だわ。
昔の日本語で言う幼稚、今風に詳細に言えばナルシシズム。私がそれにハマりきらないのも、確率でものを見る癖がついているから。(ここでもたまにそういう人見かけるが)昔の言葉で言う神経症傾向なら博打性を許容できない。確かに完全に自己のインテグラティと表裏一体の関係だよね、これ。
根っこがいい加減な人間で助かったわ。w
デモクラシーが腐っているんですが、困ったことにメリトクラシーにしても他の何かにしても、ごく一部の役立つ役立たないという基準で全てが評価される地獄が待っているんで、チャーチルの「民主主義は最悪の政体である(他の政体を全て考慮外とした場合)」という言葉が生きてくるんです。
この方の続きのつぶやきどおり、公正世界信念が全ての人間に存在する以上、一見理解できないランダムで確率で発生する理不尽を正面から受け止めてしまって、心が壊れないように現実逃避しちゃうんだろうね。
以前から、コントロール欲求は生存本能と直結しているので、コントロールフリーク傾向の人間を排除する事は至難(多分無理)と思っているが。
とはいえ、高等な知能や学歴を誇る人でも、この誘惑に勝てないというか、優秀だから誘惑に負けるというのか。なかなか難しい。
犬に食われるのもまた人間か。w
メリトクラシーでも実力主義でもいいけど、こいつらの最悪の弱点は主張する人間は自分が強い側(賢い側)にいると思ってる事だ。
逆バージョン(弱者は庇護されるべきだ主義?)も最悪で、自分が弱い側(愚かな側)にいると思っている事だ。
『どっちも平等に価値がない』とハートマン軍曹みたく言いたいものです。w
ふん、難しい御託並べて要するに自分が生き残りたい、楽したいと言っているだけでしょ?と思わざる得ない。

本当の意味での多様性を理解するには自分を含め誰もが多様性を内在していると自覚して初めて多様性とは何かと気づき始めるのだ。中身がどうであれ主張という事自体が主観なので、どの主観が正しいか選択する作業というのはとてつもなく難しい。現実への観察力や洞察力、発想力の他にオーソリティをどれだけ経由出来るかどうか、が答えだけど。
※善意の専門家であっても疑わしいケースや見解のズレがひどいケースもざらにある。
よく「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ってのがあるけど、本物の愚者は経験にすら学ばない(感情だけで動く)ので、かといって人間として最低限の理屈はこねられるわ、屁理屈と軟膏は何処にでもつくのでそこで詰んでしまうという。w
特にここのQ&Aは、文章が読めない人(一人ではなく複数名!)が頑張って回答するので、こういう風になってはいけないという強烈な反省材料になります。予断や思い込みが過ぎるんですよね。世の中残酷すぎる…。
街中でヤクザの話をしていたとする。当然ヤクザの人の方が一般人に比べてよりその会話に注目するだろう。別にヤクザが特殊なのではなく、それが人間の普遍的心理なんだから。
ヤクザが本当に嫌いなら、ヤクザの話は街中でしないのが正しい対処であり、それについてイシューとして取り扱うのは間違いである。
という例え話が出来る話を何度私はここでした事だろうか。
なので、「かわいそうなぼく(自称)」をイシューとした会話はしてはいけない。頭の良い奴はそれを一種のフラグと見なして距離を置くから。さすれば残るのは必然的に…であるから。
まあ分かる。そういうのは私だってある。しかし、
自分は何でもよく知っている、愚かな愚民どもぐははは…。
はネタでしかやらない。確かに自信がある程度にやり込んでいる事もあるが無敵ではない。当然だ。何でも知っていると思ったら大間違いだ。逆にそういって周囲を叱る事もある。
ところが老人(と推測される)って寂しいもんで、これをやってしまう。いやはや、国の代表や世界をまたに活動している人々が、私利私欲にまみれていたとしても自分より頭が馬鹿な訳がない。(逆説的に賢くてもミスをするとは見ているが)
そういうのを揶揄して「ぼくのさいきょうの云々」とネットでは言うんだけど。
小さな世界で賛同を得ても、別に世界は動かないっすよ。
でも本音は賛同を得るのが目的だからつい、「愚かな愚民どもめがはは」とやってしまう。ある時はネットでパクった情報で、ある時は何十年前の知識で。ある時は経験談を一般論に変換して。
マイネ王が苦痛なのは今年に入ってから以前以上にこれが増えた事。普段孫に小遣いやっていないからそっぽ向かれているんじゃないの?とか突っ込みたくもなるが、流石にそれは残酷すぎるので突っ込まない…。
私はおっさんの与太話なぞ聞きとーない。それだけ。そこまで暇じゃないのだ。
無能な働き者ってやつですな…。
これらがまとめて出来るなら世の中の問題はかなり解決するんだけど、それはなかなか難しい話かなあと。
言っている事が正しくても、ルサンチマンが入ってしまうと、基本的に全て没案にした方が安全パイなんだけど。かといって「リスクを冒さないことこそ、最大のリスクだ♪」。
もっとも今のmineoは(私のキライな)保守に走る事で命脈をつないでいるので、こういう体質をいきなり改革してしまうと本当のリスクになりかねない。行き止まりだとは思うんだけど、それはそれで一つの解。
先の暗殺者の話に通じるけど、自分オンリーベースでの人って別に自己中な人でなくても結構多い事をここで知って、まあ勉強にはなる。
親ガチャという不遜な言葉があるけど、実家が太いのもその継いだ遺伝子もガチャであり、世の中の何割かは知的生産社会において知を欠いた状態で存在するわけだ。
競争社会、生存競争である以上、有利不利からの呪縛から逃れられないんだけど、一線を越えたら本当の地獄が始まるのも確か。
まあその集団がどうでも良ければマナー違反をやっても(実害はあるかもしれないが)構わないとも言い換えられる。仲良くやりたいならプロコトールは守れよという。
勿論、ストロング系缶チューハイをかぱーっ系プロトコールを実施する集団に受け入れられたいか否かは別問題です。孤独に耐えられない場合は、かぱーっとやっちゃうケースも多いみたいですが。
ストロング系チューハイに薬物依存研究の第一人者がもの申す 「違法薬物でもこんなに乱れることはありません」
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/strong-1
※何かの景品で貰ったけど、アレ本当にぐびぐびいけるので怖いと思ったわ。w
老害笑うな、いずれ行く道。(南無)
MSD マニュアル 家庭版
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム
一応「MSD マニュアル」は医療辞典としてはwikipediaより信ぴょう性があるだろう。アプリもあるので興味があればぜひ。
要するに、疑似家族制度を持ち出す団体はろくでもない団体であると言いたい。やの付く自由業やブラック企業と言われる会社、一部の宗教団体は好例かと。
往々にして(ドラえもんのジャイアンのように)一方的関係かつ脱離の不自由が発生するから。
ただそういうノービスが「大発見、これはこうです!」と言っているところに、ちょっと微細な間違いを発見したりしてツッこむとかなりの高確率で嫌がられる(そういう人たちの世界観ではマウントされたというらしい)ので、知っている人も知識のおすそ分けなんてしたくなくなる。知識のおすそ分け自体が理系特有の文化なのかもしれないが。
多分、自分が知らない事を恥と思っているんだろうなあ。ある程度やっていると近隣ジャンルの話は「専門外だから知らないです」としか思わないし。
というか、タレントが無い人間を指して文系というのは、ずいぶん失礼な話だとも以前から思っているけどね。実際お会いしたガチの文系はまあ、それなりにすごいです(客観的に証明する手段がないけど)。
まあタレントがある無いで評価すると行き着く先はメリトクラシーという名の地獄なんで、タレントのない状態であっても守られるべきは守られなければならないんですが。
で、守っていると「キサマらのいる場所は」案件が発生するという。我慢しろという事ですね、わかります。
>言葉によって騙すことは容易である。言葉が嘘であったということがしばしば起これば、聞き手は言葉を無視することで対応しようとする。言語が働くためには話し手が一般的には誠実だと聞き手が信頼していなければならない。
さも当たり前の事を言葉にするとこうなるんですが。ただ、これがないとコミュニケーションのロジックが成立しないレベルでの大事な点でもあります。
つまり、仲間内であれば若干の発言のウソは認められるんです。
(この場合のウソとは、結果として誤りであったことを含めます)
逆に仲間でなければ、発言のウソは結果として誤りであっても許されないのです。
ネットで交流する相手が赤の他人と定義している人は、後者を判断基準にしているわけですし、仲間と交流していると定義している人は、前者である可能性が高い。
(余談だが、ネットに限らず広義のウソを多用する人間は、仲間と交流していると定義したがっている、俗な言い方でいう「かまちょ」行為であると定義できるし、これは世間で実際観察できる例としてありがちで矛盾していませんね)
wikipediaから続けて引用。
>このため、言語は普通ではないレベルの信頼を前提とする。このため言語の起源の理論は、他の動物ができていないとみられるやり方でヒトは何故お互いに信頼するようになれたのかを説明しなければならない(シグナル理論を参照)。
なんか、マイネ王ファンとそうでない人の理由の本質的な鍵が見つかったかもしれないです。
もっとも直感はもう答えを探し出していて、「人は信じたいものを信じる」だと指摘していますけど、そういう大雑把な答えじゃなくてもう少し解像度が高い答えを探してみます。
あなた方は上。私は下の方。
皆様が愛を語らいつつ、憎悪と嫉妬で醜く化して、自由を否定したければそれはそれで構わないんじゃない、そういう人同士であれば。
私は『誰かに支配された小さな島よサヨナラ、僕らは数えきれぬ夢を覚えてる、君がくれたもの全て抱きしめ行こう』と思うのだ。
保革の心情はお互いの理解を「絶対に不可能にさせる」絶望があるよね…。
エンガール
信じれば救われるのは何処かの宗教だけ。(それも嘘と言えば嘘)
逆説的に相成れない集団に対しても会話を続けないとならない理由でもある。壁の内外どちらでも壁がある事実には変わらないので。
その昔、金の卵って言葉があって、世間ではそれは誉め言葉というかなんだか素晴らしいもののように取り扱っていたが、これって自己啓発系で言われる「人財」級におかしな言葉であることに気づけよ的な。
後、この方のつぶやきの続きで
>ああいうのに物凄く適応しちゃう人って、大概、嫉妬深いというか、束縛系ですね。
というのを言われていて、ああ、なんだか関連性を感じるよね(今頃気づいた俺は間抜けか?)、という感じ。具体例を挙げるのは鬼の話になるのでやめておくが。
https://gigazine.net/news/20211005-nft-projects-multi-level-marketing/
私が思うデジタルデータのプリンシプルは複製が出来る事以外の何物でもない(通信なんて複製作業の最たるものな)ので、複製の出来ないデジタルデータに価値を認められないんですよね。だからNFTには近寄る気がしない。
ただ社会一般法則として、希少性があるものについては価値(というか価格)が自動的にエスカレーションするんだよね。とは言え、天文学かじっていたら分かるように宇宙にはダイヤモンドで出来た星もある次第で、そこでは地球の価値観や希少性ってのはあんまり意味を持たない。つまりそれがごみと判定されれば名実関係なくゴミなんですよね。逆もまた真。
神奈川県、いい加減に境川を埋めたてるかどうにかしろ、案外邪魔。w
(旧国境なので往来できる道路が限定されているのは仕方がないんだけど、今は同じ県下だろう?)
指揮者はボストン交響楽団の立役者だそうです。
価値ってのは第三者に決められるものではないので、他人の価値観が自分の価値観と衝突している場合腹が立つんだろうけど、いちいちそれをぶちまけているのは「危険人物フラグ」を自分で上げている様なもんだから、私は推奨しないな。
とは言え「お金ゼッタイダイスキ」な人が世の中いるのは仕方がない。mineoのパケットも同様です。
それは小金持ちの高慢なのかな?
但し外部非公開。誰がメンバーなのか、そもそも何処から集めているのか全く不明。以前一度だけ、募集のお知らせがあった気もしないでもない。噂では選抜されたそのメンバーはヘビーユーザーとの事らしい。povo2.0の構成には彼らが関与しているとか否とか。
そもそもmineoのアンバサダー制度自体は、アイデアを自動車製造会社のやり方からリスペクト?したそうであるが、まあ似た事を考えるのが人間なのでどっちが鶏でどっちが卵かは問うまい。
ただ、自動車会社もヘビーユーザーを数名選抜したとは聞いている。この点mineo(マイネ王)は公平で比較的明示的ともいえる。そもそもユーザーについているランクは運営側によるユーザーの「入り浸り度測定器」であり、入り浸り度が高いユーザーを必ずしも歓迎している訳じゃないと過去にハッキリ言っていますんで。
が、それが今の失敗の元になっているの、気が付いているんだろうかね(勿論それが上手く行ったケースもある筈だが)。
先にも書いたとおり凡人は似た事を考えるし、まして人様の欲しいものねだりもする。今がベストと思えば変化は完全に嫌われる。アンバサダーは属人性満開のやり方なので、凡人を選んだ段階で泥沼は必至。mineoも反省したのかここ一年はデータによる非属人性、データドリブンな施策を進めている模様で。
データ分析組織を顧客企業と一緒に作る - 日経ビジネス電子版 SPECIAL
https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/ONB/21/nobdata0924/
伝統芸のブロ解があるのでこの機能には意味がない説もあるが、Twitter社はブロックの意味を重くみて処理したい(アカウントはく奪の内部資料にする)意向があるから、フォロワー削除を使ってほしいんだろうなあ。
もっとも、本当に文字通りの機能であればすごく安心できる機能であるが、そんな物騒な機能はSFじゃないので不可能かと。w
(要するにこれでは安心は全く出来ないという意味です)
自分自身を貶されると腹が立つ。まあ当然。
ところで貶しについては許容力ってのがあって、よく言われる「象に突撃されたら逃げるけど、蟻に突撃されても逃げない」わけです。箸にも棒にもかからないものは貶しにはならない(個人差があります)。
で、貶し耐性が弱い人(=自尊心が弱い)は、容易に腹を立てる。仮に内心であっても。
更にそういう人は自分自身で自分の心を維持できないから、第三者に心を仮託する。昭和の時代なら野球球団、今なら極端な政治集団とかマイネ王とか。
そうなると、改善を理由に批評される事自体がマイネ王ではリスキーなんですよね。理系の人間ばかりが集まって批評してアイデアが洗い出される時代は当の昔に終わっていたということです。以前から言っている「駄サイクル」化です。
能力が欠けているからこんなところに頼るのであって、能力がある人間は不快だから何処かに(黙って)行きますよって。かつていくらかの人に識者として相談をメッセージで受けた事がありますが、概ねアカウントこそ残っていますが連携もないし活動もされていません。
理系の人間はやる気の有無は別として、技術で勝負しないといけないので、どうしても競争と比較の世界で生きています。なので特定の方式に仮に愛着があっても固着しないのです。
文系の場合は能力のある人間はある意味腹黒いと思います。なので、こういう発想が出来るという。ニンゲンをちゃんと見ていると思います。
熱狂的な「信者」を生み出すカルト・ブランディングに迫る
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00109/00087/
>カルトで「非合理的な忠誠心」を獲得せよ
(中略)
>カルト・ブランディング関連本『カルトになれ! 顧客を信者にする7つのルール』(マシュー・W・ラガス、ボリバー・J・ブエノ著、安田拡訳、フォレスト出版、2005)では、カルト・ブランディングを「企業、人間、場所、組織を、実際に『好きなブランドのためなら身をささげる信者』の集合体に変えるプロセスを指す」と定義している。
※私の場合は、コスト問題が優先なのでmineoだって上手く使えばかなりお得に安いとだけ言っておきます。