70過ぎたら毎年厄年、毎日厄日?
定年仲間の忘年会で今年を振り返る。私は新年のおみくじの“災厄あり”の通り、ケガの多い年でした。春は畑で踏み台から落ちて腰痛で1週間動けず、夏は大腸ポリープが見つかり切除、秋は疲れから歯痛で抜歯と自転車で転び手首捻挫でギプス初体験。右手の捻挫は1ヶ月以上たつのにいまだに痛みが残りリハビリ中。骨折はないのが幸いだったが、こういうのが案外長引くとのこと。
男の厄年は61歳までだが、少子化で七五三詣りが減っている神社もあるとかで、高齢化時代に合わせて新厄年を作って神社も収入増を図るのではないか、100歳まで生きる人が増えると70歳はまだ若手、80歳、90歳でも厄年が作られるかもなどとたわいのない会話。
仲間の一人が「70歳を過ぎたら、転んだり、ケガなんかしょっちゅうやで。厄年を増やされたら、毎年お参りせなアカンで。70過ぎたら、もう毎年が厄年で、毎日厄日みたいなもんやで」と言う。「そうや、お参りした帰りに転んでケガして、ご利益ないやないかと恨まれるかもな」
そうか、それで昔は70歳以上の厄年を作らなかったのか!
「それに80歳、90歳の厄年なんかあってもボケてお参りするのを忘れるで」と皆納得のオチ。
「厄除けや厄払いという意味も今後は超高齢者に近づくなという厄介者除けや厄介者払いみたいな意味に変わるかもしれんな」「“やばい”なんて言葉も今は“すごい”みたいな意味に変わってるし、ありうるな」「俺達の飲み会だって、晩飯作らんでもいいからと家から厄介払いやろ?」「“亭主、丈夫で留守がいい”から“亭主、丈夫で厄介払い”か。“家で叩かれ、外で叩かれ”なんてCMがあったな。これだけは昔も今も、“今後”も変わらずか・・・」
残り時間が少なくなっていくと一年一年、一日一日がますます大切になっていく。
平成最後の“有馬記念”でバーンと当てて、終わりよければすべてよし!と“厄払い”したいものだなぁ。。。
来年はじゃばんさんにとって良い年であるよう願っております✨
なので、男性が70歳超えると健康的に暮らすことは難しいです。
60歳からの心身の健康管理で、健康寿命が決まると実感させられています。
ありますように...
厄払いに有馬記念
狙っっちゃってください(笑)
。+゚p´∀`o)_尸゛
ありゃま、記念
ですが^^;
こんにちは~
初めまして
まだ70には年数ありますが、
年齢とともに、気力より体力、機敏さの衰えは
感じ始めている今日この頃。
痛みがまだ取れないのは鬱陶しいですね。
お大事に。
お仲間さん達との会話、
苦笑しながら読んでました。
皆さんこれから先、体調の不都合出てきても
お仲間さんとの会話で、厄も吹き飛ばして欲しいですね(*‘∀‘)
暖かくなって、体調も戻ったら、
>>晴れときどき野菜作りの70代です。
👆いいですね!(*^_^*)
また、予防接種も有効かと思います。
特に肺炎予防にはワクチン接種が宜しいかと。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou/haienkyukin/index_1.html
あくまでも僕の個人的な意見ですが、「人生100年時代」などと乗せられずに、健康寿命の70歳を過ぎたら地獄の30年の始まりと心すべし、と···。
有馬記念にはいろいろと思いを持っている方も多いようですね。競馬の話になると腕よりも頭が痛くなるので、置いておきましょう。
年令とともに何でもなく動けることがつくづくありがたいなと思うようになりますね。転ばぬ先の杖ということも意識するようになり、肺炎・インフルエンザ対策の予防接種もしていますが、体の衰えには追いつかないこともありそう。体力は毎日目に見えて衰えるのではなく、今日も昨日と同じかなと思っているとある日ガクッと落ちて昨日には戻れない。仕方がないのでそれに合わせて日々を送る。と、またガクッと。ゆるい坂を下るのではなく、見えない階段を降りていくような・・・
健康寿命を伸ばすように努力が必要なので、畑作業はその1つですが、無理すると余計に悪化するし。
何事もなく、日々是好日は理想ですね。