板東俘虜収容所跡
2ケ月程暑さのため巣籠状態であったがここに来て秋の気配が感じられるようになって来たので観光旅行を敢行した。
行先は鳴門市のドイツ公園村(板東俘虜収容所跡)である。
フェリーを降りJR徳島駅に着いたのは13時を過ぎていた。
駅前のビル内に市立図書館があるのを知り入ってみると郷土資料が充実していてこれらを読み耽って4時間弱過ごした。
おかげで初日に予定していた阿波踊りや人形浄瑠璃の資料館へは行けなかった。
捕虜収容所の入口を再現したもの
翌日朝からドイツ公園村へ行った。
JR徳島駅から20分程の板東駅で降りる。
板東俘虜収容所とは第1次世界大戦の時中国青島(チンタオ)に駐留していたドイツ軍との戦いに勝利しドイツ兵を収容するために造られたものである。
収容所は他も併せて国内に6ヶ所あった。
ここは57,000㎡の敷地に捕虜を収容した宿舎(幅7.5m、長さ72.9m)8棟の他将校用や日本軍の管理棟など約20棟の建物を容していた。
今は建物は全て撤去され木々に囲まれた公園として開放されている。
木陰で風を受けると涼しく爽やかな気分になる。
給水タンク
ドイツ捕虜兵が建てたもので他にも100を超える施設を建てたという。
当時の生活全般の技術はドイツの方が優れたものが多く農業、畜産業、建築等ドイツ人捕虜が出向いて技術指導したりサッカー、レスリング、器械体操も教えて地元学生と試合をしたり音楽会、演劇公演、美術展示会、各種の講演も行われるなど地元との交流が盛んであった。
普通思う捕虜収容所とは趣が違う。
石橋
これは公園内に復元されたものである。
現物は少し離れた式内社の大麻比古神社にありドイツの捕虜が帰国の際建造したものである。
他にめがね橋もある。
残された体力に限界を感じたので現地には行かなかった。
公園の約500m東方 に四国88か所巡りの1番札所の霊山(りょうぜんじ)寺がありこちらの方が有名かもしれない。
巡礼の始まりの寺ということで色々な装身具も販売されていた。
季節がらか袖なしの白衣(びゃくえ)が人気のようであった。
駅の待合室で白衣を脱ぎ鞄にしまう人がいたので、白衣や金剛杖や頭陀袋など行路中常に身に着けているのか或いは(参勤交代の様に)目的地の手前で身なりを整えて参拝するのか疑問に思った。
今回は南海電車と南海フェリーを利用した。
両者とも同じクレジットカードやスマホアプリを使うと出発地に関係なく南海電車区間の料金が無料になりフェリー代金の2500円だけで済む「好きっぷ」というサービスがあり予約も窓口での対応も必要なく改札口でタッチするだけで事足りる便利でお得なものであった。










投稿後重要な「ドイツ館」に全く触れていないことに気付きました。編集し直すのも面倒くさいし、ここは別の視点から見た新たな投稿と関わる点が多いので詳細はそちらに譲るとして今回は画像紹介のみでお茶を濁すことにしました。
>> uuuw さん
チンタオのドイツ兵は世界大戦が始まってから志願した民兵ともいうべき人達が大半で鉄工、食品加工、建築、出版業関係の職人が多かったそうです(ドイツ館にあった捕虜分析の報告書による)。外国で働くくらいですから腕は達者であったと思われます。
双方の真面目さや気質が合っていた上に教えられる方が真剣なら教える方も真剣になりますので技術の伝播も上手くいったのではないでしょうか。
コメントありがとうございました。
>> hijiake さん
調べたところ、日本の明治以降の近代化はドイツ(当時プロイセン)の影響を強く受けていたのですね。大日本帝国憲法をはじめ、近代医学、軍事訓練、東京の近代的な街づくりなど。
>> uuuw さん
なんとカルテはドイツ語で診療録という意味で、1960年まではドイツ語でかかれていたそうです。>> uuuw さん
明治維新の時新政権の目指した統治形態は天皇を中心とした中央集権国家だったと言えます。当時このような体制を取っていたのがプロイセンであったのでそれをお手本にしそれまで日本になかった憲法等の諸制度も取り入れたものと思われます。
>> uuuw さん
これは明治時代初期に「カメは犬の名前だ」と言われていたことと一脈通じる所があると思います。イギリス人が犬に向って「come (日本人にはカメと聞こえる)」と呼ぶと犬が寄ってくるのを見て「カメは犬の名前だ」と勘違いしたという話が残っています。
つまり紙に書かれた診療録を見て質問者(日本人)は何が書かれているかと訊いているのに医師(ドイツ人)は何に書かれているのかと解釈して「これはカルテ(紙)ですよ」と答えたので日本人は診療録はカルテというのかと信じ込みそれが定着したと愚考します。
カード、カルタ、カルテと国により字は違いますが全てラテン語由来で紙の意味です。
>> ダンシャーリ さん
飛行機の旅楽しみですね大塚国際美術館は見方によっては1日でも足りないと聞きます。
折角の旅行ですから欲張って範囲を広げるのもありだと思います。
素晴らしい旅行になると(鳴門)いいですね。
コメントありがとうございました。
私も旅行したことがあるので色々思い出しました。
巨人のV10を阻止した時の歌も覚えています。
>> ダータンスヒルビリー さん
出身地名と同じ苗字だったのは全くの偶然だったみたいですね。ドラゴンズの応援歌、メロディーは知っていましたが歌詞を聴いたのは初めてです。
いつ板東英二の名前が出てくるかと期待していましたが一向に出て来ず、聞き漏らしたかともう一回聞き直しました。
やはり名前は出て来ない。
何のことはない。
既に現役引退してたのですね。
更に驚いたのは板東英二御本人が歌っているということ。
野球音痴にも程がある「穴があったら入りたい」心境です。
コメントありがとうございました。
>> hijiake さん
順番の問題で、偶然であって偶然ではないと思いますよ。「ばんどう」という姓は一般には、板東、坂東、阪東などがあり一般には坂東が多いそうです。
そして鳴門市には「ばんどう」という苗字が多く板東が多い、これは特殊なようです。
日本で一般庶民が苗字を名乗ることが許されたのは1870年(明治3年)に「平民苗字許可令」が出されてからで、5年後には「平民苗字必称義務令」となり名乗っていいから名乗らなければならないと変わった。そこからたった150年の歴史しかない。
その時に様々な事情や理由から苗字を適当に決めているのでしょうから、地域名が使われた可能性が高いと見るほうが自然でしょう。
それ以前は屋号や通称とか色々使われていて、そのまま流用して名字にしたり様々なパターンがあったようです。
我が家も母方の地元の名字は数パターンしかない、あっちもこっちも片っ端からみんな同じ名字。
本家だったので通称は御前元と呼ばれていたと言っていた。今となっては色々と定かではないことが多い。
列車を使う人は、周りの目が気になるので白衣を脱いでいるのかもしれません。
列車を使う人は、1番札所の霊山寺だけで参拝が終わり、別の目的地に向かう方かもしれません。
白衣は次の巡礼で使ったり、亡くなった場合に棺桶に入れる人も多いので、大切に保管されています。
>> ダータンスヒルビリー さん
確かに板東姓は徳島県が突出して多いですね。県内では特に北東部に集中していて板野郡がキーワードのようです。
「板」と「坂」の違い、「東」があれば「西」もある。
歴史的な経緯等少し検索しただけでも多くの情報が得られ興味が尽きません。
有益なご教示に感謝いたします。
ありがとうございました。
>> ピカリ王 さん
札所参拝だけでなくそこまでの道中にも意味があるのですね。弘法大師と常に同行していると思えば着衣も疎かにできない。
歩き遍路をするような熱心な信者にとっては当たり前の事なんでしょうね。
コメントありがとうございました。