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なぜ日本は戦争に突入したのか — 起源から構造へ  概要 追記あり

15年戦争を説明すると長大になるので、簡単な概略を

征韓論は、明治維新直後の日本が、朝鮮に国交樹立を求めたものの拒否されたことを契機に高まった、武力による開国論。

背景には、欧米列強への劣等感と、幕末以来の吉田松陰の朝鮮蔑視の帝国主義的思想、そして士族の不満を外に向けたいという国内事情がありました。

日本は清と対等な日清修好条規を結び、朝鮮にも同様の関係を求めました。しかし、朝鮮側は日本の国書に含まれる 皇、勅、の字を問題視し、受理を拒否しました

その結果、無礼を懲罰すべしという論理が膨らみ、征韓論が政府内で政治争点となったのです。

日清戦争は、朝鮮半島をめぐる日本と清の対立が軍事衝突へと発展したものです。

朝鮮の内政不安と改革をめぐる対立に、日本と清がそれぞれ介入し、甲午農民戦争や甲申事変などを経て、最終的に日本が武力で清を破り、下関条約によって朝鮮の独立を名目に清の宗主権を排除しました。

この勝利は日本国内に文明国としての自信をもたらす一方、中国側には屈辱と反日感情を残し、日本人の側には中国は弱く、支配されるべき存在という蔑視意識を強める契機ともなりました。

日露戦争は、同じく朝鮮半島と満州をめぐる日本とロシアの対立から生じました。日本はロシアの南下政策を脅威とみなし、朝鮮・満州を自国の安全保障圏と位置づけて戦争に踏み切りました。

勝利後のポーツマス条約は、賠償金が得られなかったことから日本国内で勝って負けた講和と受け止められ、民衆は日比谷焼打事件などで激しい不満を表明しました。

ここには、戦争を通じて膨らんだ帝国としての自負と、経済的困窮・増税への不満が複雑に絡み合っていたのです。

その後、北米では日本人移民に対する排斥運動が起こり、カナダやアメリカで日本人移民制限が進みました。

これらは人種主義的な差別政策であると同時に、日本側に不当に扱われているという被害意識を強め、対米不信の土壌を形成しました。

また、国内では東北の飢饉や世界恐慌の打撃により、農村の困窮と社会不安が拡大し、軍部や国家主義的勢力が外への膨張を正当化する土壌となりました。

こうした一連の要因が、日中戦争・対米戦争への道を形づくる重要な背景であったと考えられます。

元をただせば、松陰の帝国主義的思想が15年戦争の一因となったといえます。

なお、日比谷暴動は自然発生ではなく、黒幕がいました。

また、驚くべきことに、軍部はむしろ国民の過激な戦争継続論に足を引っ張られたと感じていました。
軍中央自身はこれ以上の戦争は不可能と明確に認識していたのです。

しかし、後で説明したいのですが、日比谷暴動は結果的に軍部が膨張する好機ときっかけを与えてしまったのです。

日比谷暴動がなければ、扇動者がいなければ、そして民衆がその扇動に乗らなければ・・戦争は起こらなかったといえます。

このように、youtubeででたらめの主張を繰り返す、左右のポピュリズム政党に踊らされてはならないのです。


1 件のコメント
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日露戦争の戦果としては日英ロシアの南下阻止、朝鮮半島や満州の利権獲得。
一番の利益は日英同盟を結べたことでしょう。
日比谷焼打事件は、そのような先行投資を知らない、いわゆる情弱によるものでしょう。

それが証拠に第一次世界大戦の勝利はどう説明するのか?
それができないのでマイネ王で言うところのレス無しという自称識者が、今でも多い。
それは2018年に行われた「第一次世界大戦終戦100周年記念式典」の扱いの小ささによってもわかります。
麻生副総理(当時)も出席したのですが。
一方でBBC報道による各国の扱い。
https://www.bbc.com/japanese/46175660

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれね大和魂
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし日本魂
2首とも吉田松陰。
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