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なぜ日本は戦争に突入したのか — 起源から構造へ

敗戦から80年以上が経過しました。日中戦争から対米戦争へ続く15年戦争は突然勃発したわけではありません。

最新の成果を踏まえて、戦争に突入したのはなぜかを振り返ってみます。

15年戦争の起源は征韓論が契機

1. 征韓論が起こった背景

明治新政府は1868年に王政復古を朝鮮に通告する書契を送りました。しかし
朝鮮側は書契の格式が以前と違うことを理由に受付を拒否しました。ここから朝鮮を征伐せねばという主張が噴出します。これが一般に1873年の征韓論です。

背景は3つあります。

旧来の華夷秩序の衝突:これはあまり知られていないのですが、
江戸時代から吉田松陰らが、朝鮮・満州を切り随へと唱えたように、大陸への膨張論は尊王攘夷の延長にありました。

もう少し詳しく説明すると、
松陰は欧米列強の脅威に屈しないために、日本自身が帝国主義的な手法をとるべきだと考えたのです。

征韓論への影響この思想は、松下村塾で学んだ木戸孝允や山県有朋、伊藤博文らに引き継がれ、明治初期の征韓論争や、その後の日本の対外進出政策の思想的土台になりました。

士族の不満のはけ口:廃藩置県・地租改正・徴兵令で職を失った士族のエネルギーを外に向けようとした。木戸孝允自身が日記に「征韓を行えば国内が一致団結する」と記しています。

ロシアへの恐怖:1861年ロシア軍艦対馬占領事件で露の南下を実感。朝鮮を露に取られる前に抑えたいという安全保障観でした。

近年の研究では、毛利敏彦・石田徹らが西郷隆盛は武断派ではなく平和的遣韓を主張した遣韓論だった、と再評価しています。ただ、明治六年政変で西郷・板垣らが下野し、不平士族の乱へ繋がったのです。

続く


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