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【掌編三昧】曖昧な輪郭

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 どうしたのだろう、すでに午後5時をまわっているのに裕司はまだ現れなかった。いつもの土曜日ならもうとっくに来て、テレビの夕方のニュースに釘付けになっている時刻だ。
 しかしそんな落ち着かない気持ちとは裏腹に、私の心の中には、それもありがたいと思う気持ちが見え隠れしていた。明日の朝10時迄に出版社に届けなくてはならないイラストの仕上げ作業ががまだ少し残っていたからだ。

 病院の医療事務に勤めるかたわら内緒で始めたこのバイトが私はとても気に入っていた。
 学生時代からイラストを描くことが好きで、自己流ながら趣味であちこちの懸賞作品募集に応募し、時々入選したりしていたのを切っ掛けに、ある出版社の編集者から話を持ち掛けられたのがちょうど去年の今頃のことだった。

 最初は雑誌の挿絵ということだったので、なんとなく面白そうだったし、これを機会にイラストの道で生計を立てていくことができるかもしれないという淡い期待もあって、連絡を受け取った時には天もにも昇る心地だった。しかし、いざ蓋を開けてみると、挿絵と云っても男性誌のアダルト連載小説のイメージ・イラストのようなもので、大方が欲情をそそるオンナの裸体ばかり描くことを求められた。一旦は自分には不向きかと躊躇したものの、一枚描き上げた時の単価が他のバイトと比べて何倍も良かったし、何度か描いていくうちに自分の描く裸体が読者の間でやけに好評らしいことを聞いたのと、オンナの身体の微妙な曲線と色使いによって変わるしなやかな姿態の多様さが結構面白く感じられてきたこともあって、これまで一年以上も続いていた。
 オンナの身体といっても、自分のものだって風呂上りにバスタオルを使いながら傍の洗面所の鏡に上半身を映す程度で、胸の大きさくらいは気にはしてみるもののじっくり眺めたことなどはなかった。だからいざ最初の仕事が告げられた時には、普段は出かける前にしか使わない姿見に何度となく自分の裸を映しては、あれやこれやポーズを作ってデッサンを描いてみた。
 どの服が似合うか、その日の気分に合うのはどんな色かと思案しながら眺めていたそれまでの鏡と、オブジェとして一歩離れたところから自分の裸体を映し出す鏡とはこうも違って見えるものかと驚いた。
 自分の挿絵が載るはずのサンプル雑誌がすでに送られてきていたが、その巻頭を飾るグラビアと比較して目の前の鏡には似て非なるモノが映っていた。それをまざまざと見せ付けられたときには、溜息どころか思わず苦笑いしてしまったくらいだ。それでも、形は別としても肌の張りとツヤはまんざらでもないな、と思えたのは救いだった。
 裕司がいつも週末にやって来て、飽きもせず見ているモノがこれなのかと思ったらチョッと可哀そうな気もするが、現実とは所詮そんなものと納得してもらうしかない。そう割り切ってもらうしかないし、イヤなら他の相手を探してもらうだけのことだ。男と女なんて裸の身体の良し悪しだけで全てが決まるものでもなかろうと、半分居直りの気持ちが目の前の鏡に映る現実を吹き飛ばした。

 一通りの下絵は出来上がっていたから、あとは絵の具で色づけするだけだった。慣れた淡い色づけをするだけで噎せるようなオンナの色気が溢れ出てくる。女の自分でありながら、魔術をかけられたようなこの瞬間がたまらなく刺激的なものに感じられた。こんなイラストを楽しみにしている男がいるとしたら、一体どんな奴なのだろうかと、くだらない興味が湧いてくる。
 そういえば、どうしてオトコの裸体の挿絵は載せないのだろうかと疑問に思ったことがある。試みに頭の中で描こうとしたことがあったが、オトコの身体の骨格や肉付きどころか、輪郭の流れすら何とも曖昧なものしか浮かんでこなかった。
 何度となく見たはずの裕司の身体ですら具体的なものなんて何一つ覚えていないことに気づいて溜息が出た。近づき過ぎると互いの目にはその形が捉えられなくなるものなのか、それとも互いの視覚的記憶なんて儚いもので、その後の一時の炎の熱さに燃え尽くされてしまうのか、いずれなのか分らなかった。

 「きっと裕司だって、私の身体のしっとりした丸みなんか曖昧にすら覚えていないんだ……」

 そう思うと急に可笑しさが込み上げてきた。
 その時ドアのチャイムが鳴った。

 ドアの向こう側には沈みかけた夕陽を背にして立つセピア色のシルエットの人影があった。逆光でハッキリしない輪郭なのにもかかわらず、それが誰のものかはすぐに分った。

 「ごめん、待った?……」

 目が慣れてくると、笑顔で話し掛ける裕司の手にはあの雑誌の最新号が握られていた。


         <了>



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