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【掌編三昧】二人のパラソル

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「パラソルを忘れずに持ってきてね…」それが智子の口癖だった。
 あの頃は、七里の浜辺に着くなり智子は早々にタンクトップを脱ぎ捨てて下に付けて来ていた水着になった。僕のことなどお構いなしに真っ先に大波めがけて飛び込んでいく。均整の取れた身体が夏の陽射しに眩しい。 さすがにインターハイで鳴らした元ランキング・バックスイマーのそれと周囲の海水浴客達との違いは歴然としていた。

 僕は、未だしっかり記憶に残っている ムラのない小麦色の肌を想い出していた。今はもう、かつてのトップスイマーの痕跡すら見られない。水泳などとは無縁なほど白い肌がここにある。

 一人で波打ち際に向かう智子は左脚を微かに引きずって歩く。短パンから覗く左の腿の外側から内側にかけて回り込む大きな縫合の跡。
 県予選を翌日に控えたあの日の事故が鮮やかに蘇ってきた。たった、たったの9ミリ詰められた大腿骨は智子の華麗な泳ぎを蛇行に変え、リハビリのプールで智子は誰にも見えない涙を流した。そして再び競技場に姿を現すことのないまま智子をランキングから引きずり降ろしたのだ。それ以来、智子は誰にも涙を見せてはいない。
  
「ちょっと泳いでくる…」あの時からそれが僕の口癖になった。
 返事を待つことなく、波打ち際で静かに砂山を作る智子の傍を通り過ぎる。それ以上のことを言葉にしないことが却ってお互いの気持ちを素直に伝えられることを智子も僕も知っている。
 一瞬の間 手を止めて、智子は海に一人で入っていく僕の、さほど泳ぎも得意でない後ろ姿を心配そうな目で追っているに違いない。背中に感じる視線を意識しながら、向かってくる大波めがけて僕は身体を投げつけた。
 僕の身体が波の奥に吸い込まれるのを見届けて、智子は微笑を浮かべながら再び視線を砂山に戻すだろう。 周囲に集まって来ている子供たちは智子の作る砂のトンネルがお気に入りだ。目を輝かせている子供たちは、智子の腿の傷跡など一向に気に留めてなんかいない。
 
 少し沖まで出ると潮の流れはきつい。暫く経っても仲々戻って来ない僕を探して、砂山の陰で智子の顔が少し不安げに水平線の上を左右に移動しているに違いない。
 ちょっと悪戯してやろう。遠回りして海から上がり、背後に回って驚かそう。きっと顔を真っ赤にして怒るに違いない。あんなに気が強いのに、怒るときは今にも泣き出しそうな顔になる。泣かれるのは困るからいつも僕が謝ってピリオド。場面は変わっても筋書きはいつも同じだ。膨れっ面でもエクボが出るから面白い。

 人影に隠れるようにしながら僕は後ろから砂浜のパラソルを目指した。熱く焼けた砂が素足を執拗に焦がす。 目立たないように腰を屈めてパラソルまで辿りつき、乾いたタオルでそっと身体の水滴を拭った。まだ気付いていない。しめた!これなら上手くいく。

 そう思った瞬間、パラソルの下の隅に、きちんと揃えられた黄色のビーチサンダルが目にとまった。アンバランスに磨り減った左の踵。智子の青春の爪痕が僕の胸を締め付ける。


         <了>




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